永遠に(1)
「長ー!」
「キアナさま、大変!!」
「大変だよーっ!」
ぶんぶんと手を振り回しながら、子供達が駆けて来る。
彼等がそんな風に『大変』と言いながらやって来るのはいつもの事だった為、キアナは慌てず騒がず、落ち着き払った顔で彼等を迎えた。
「どうした。今度は太陽でも空から落ちてきたか?」
からかうように言うと、息を切らせ走ってきた為か、それとも興奮の為か、赤く紅潮した顔の子供達は大袈裟な位に一斉に首を横に振る。
年の頃は、上は十、下は五つほど。そうした仕草は端で見ていると微笑ましい限りなのだが、本人達にとってはそれどころではない。
「長、笑い事じゃないんだって!」
明らかにむっとした様子で、子供達の中でも一番年上でリーダー格の少年が言い、他の子供達も同意を示すようにうんうん、と頷く。
この間の『大変』は、今まで見た事もないような植物が咲いていた事だった。
その前のは、集落の家畜に子供が産まれた事。
前例が前例だけに、子供達と同じような危惧感など抱けるはずもない。
「わかった、わかった。一体、何があった?」
それでも笑いを収めて話を促す。
長たるもの、集落に属する全ての人間に対して公平でなければならない。子供だからと言って軽い扱いをするな── それが前代の長である、父からの唯一の教えでもある。
屈みこんで視線の高さを近づけると、囲むように並ぶ子供達の顔を一人一人眺める。
キアナが聞く態勢になったからか、子供達の顔から緊張感がいくらか薄れるのを確認し── おや、と思う。
一番見慣れた顔がない。
まさか、と思ったその時、やはりリーダー格の少年が口を開いた。そして告げる。
いなくなったんだ、と……。
「ほんのついさっきまで、確かにいたんだ。本当だよ。でも気付いたら……」
「…いなかった?」
「うん…ねえ、長。どうしよう?」
子供達の顔に、今度は不安が浮かぶ。
確かに今度ばかりは本当に『大変』な事に違いない。知らずキアナの顔にも緊張が走る。しかしすぐに自分を抑えると、子供達ににこりと笑いかけた。
「教えてくれてありがとう。後は任せて、お前達は自分の家にお帰り」
「…おれ達も手伝うよ!」
「駄目だ」
意気込む子供達にしっかりと釘を刺して、キアナは厳しい口調で諭す。
「あの子はすぐに見つけ出すから。もしかしたら《神殿》の方まで行ってしまったのかもしれない。あの辺りは獣がいない訳でもないんだ。お前達まで何かあったら大変だからな」
その言葉に子供達はまだ何か言い足りなさそうな顔をしていたものの、結局は頷いた。
こと、命の危険が絡むと子供相手でも── 否、そうであるからこそ厳しく接するキアナの気性を、彼等もよく知っていたからだ。
「約束しよう。必ず見つける」
キアナの約束する言葉に、彼等も任せる気持ちになったのだろう。それが表情でもわかったが、それでも駄目押しで尋ねて来る。
「…《聖木》に誓って?」
それはいつしか約束を交わす時にお決まりのように口にするようになった確認の言葉。
キアナは微笑し、きっぱりと頷いてから応えた。
「ああ、《聖木》に誓って」
+ + +
少女は一人、ぽつんと立ち尽くしていた。
年の頃は五つか六つ。黒髪を頭の上の方で一つに束ね、身に着けている服はこれからの成長を見越してか、年長の者から譲り受けたのか、何処となく身体に合っていなかった。
柔らかな緑の葉の隙間から、優しい木漏れ日が降り注ぐ。
吸い込まれるような大きな瞳は、底の見えない深い色。そこに映っているのは、空に大きく腕を広げた大樹の姿。
「…こんな所で何をしているんだい?」
魅入られるように樹を見上げる少女の背後から、そんな声がかかる。
他に誰もいないとばかり思っていた少女は、びくりと肩を揺らし、そろそろと声の方に目を向けた。
そしてそこに立つ人物が自分の既知の人物でない事に気付くと、訝しげに尋ねる。
「…だあれ?」
「秘密」
にこりと人好きのする笑みを浮かべて、彼は軽い口調でそんな意地悪な事を言う。
少女は少し警戒した。父親からも母親からも、言い含められた事だ。
── 知らない人と、むやみに口を利いたり、その後を付いていったりしてはいけないよ……
けれど、同時に不思議と何処かで会った事が気がしてならなかった。
そう思うと確認を取らずにはいられなくて、少女は警戒する態度はそのままに口を開く。
「あたし、何処かでお兄さんに会った事、ある?」
「ないよ」
やはり気軽な口調で否定されて、少女は少し混乱する。
「でも、あたし…会った事があるような気がするよ」
「じゃあ、会った事があるのかもね」
「……」
「こんな所に君みたいな小さな子が一人でいるものじゃないよ。昔程じゃないけど、危険な場所である事は変わりないんだからね」
そんな説教じみた事を言いながら、彼はゆっくりと歩み寄ってきた。
一瞬、逃げるべきだろうか、と少女は考えたが、行動を起こす前に相手が先に立ち止まってしまった。
少女の足で数歩先、手を伸ばしても届かないけれど、瞳の色がはっきりわかる程度には近い距離。
そこで立ち止まった彼は、そのまま特に何も言うでもなくにこにことそこにいて、少女は一体どんな対応をすればいいのかわからなくなった。
そのまま黙ってしばらく見詰め合う。二人の間を緩やかな風が一度、二度と通り過ぎていった頃、唐突に彼が口を開いた。
「何故、空を見上げていたんだい? 随分長い事、じっと見ていたね」
その質問に少女は少し驚く。
一体いつから見ていたのだろう。実際、少女はかなり長い事一人で空を見上げていたのだ。
「…見ていたのは、空じゃないよ」
彼の口調が何処となく楽しげだったから、何となく答えてしまう。
彼はどうやらここから去ってはくれないようだし、かと言ってここから逃げ去るような事も出来ない以上、話した方が良いような気がしたからだ。
「《聖木》を見てたの」
「…へえ?」
少女の言葉に、彼は少し驚いた顔をする。そんなに意外な事だったのだろうか。
その反応が少し可笑しかったので、つい調子に乗って、少女はここへ来た目的を喋ってしまった。
「あのね、本当は秘密なんだけど教えてあげる。この木にはね、神様が住んでいるんだって。あたし達を見守ってくれる神様が、何処かにいるんだって。だから会いに来たの」