光の子(1)
『あなた方が《供物》と呼び、この地へ捧げてきた子供達── 彼等は全て正しい意味では人間ではありません』
「人間じゃない……?」
『そう…彼等は私が作り出した幻像。私の分身のようなものと言った方がわかりやすいでしょうか』
「そんな…! 幻像…つまり、幻だったって言うのか!?」
とてもではないが信じられなかった。
確かにリーウの記憶が奪い去られた今、その言葉を完全に否定出来るだけの裏付けはない。それでも、長い間共に在り、共に育ったという事実が青年の言葉を信じさせようとはしなかった。
それとも…一緒に育ったという記憶自体も幻で、本当はリーウなんて存在は実在しなかったのだろうか?
だから…こんなにも根こそぎ記憶が抜け落ちてしまえたのだろうか。
「信じられない…そんな事、信じられる訳がない!」
『……』
「本当にリーウが存在していなかったというのなら、どうしてこんなに苦しいんだ? どうしてこんなに悲しみを覚えないとならない!? 幻だったなんて…そんな事……っ!」
『確かに彼等の存在は偽りでした。でも…あなた達の間に存在していたのは事実。だからあなたが悲しむのは決して不思議な事ではありません、キアナ』
全てを否定されたような気持ちでいたキアナは、その言葉に目を見開いた。
「え……?」
『幻像、という表現を使ったのは間違いでしたね。でも実際、それ以外に表現のしようがなかったのです。《供物》と呼ばれ、この地に捧げられてきた子供達は全て私が作り出し、人々の間に送り出したものなのですから』
「ちょっと待て…じゃあ、それじゃあ、今までわたし達は…自ら《供物》を選んでここへ捧げてきた訳ではないという事なのか……?」
言いながらもキアナの頭の中は混乱する。
人間の性質を見極める為の試金石だった《供物》の存在すらも、彼の差し向けた偽りの存在なのだとしたら──。
「わたし達は、結局の所…何一つ犠牲にしてはいないという事……?」
『そういう事になりますね。何しろ…《供物》は最初から人に似せてあるだけで、存在してはいても、本当の意味でそこに実在している訳ではありません。だから…役目を終えると、その存在は最初そうだったように「無」に還り、人々の間からは同時にそれと関わったあらゆる記憶も消えてしまうのです』
「どうして…何故、そんな事を……? 記憶まで消す必要なんてないじゃないか」
『言ったでしょう、キアナ。私の目的は…夢は、この地に根付く事。それにはここに生きる存在に受け入れられなければならない。…キアナ、あなたは自分をどんな理由があったとしても利用した存在に、心を許す事が出来ますか?』
「それは……」
出来るか、と聞かれてすぐさま頷ける事でもなかった。
答えに困るキアナに、青年は続ける。
『出来ないでしょう? だから…記憶まで消すようにしたのです。卑怯なのは承知の上です。それでも…私は、人に嫌われるような事にはしたくなかった』
青年はその緑の瞳を真っ直ぐに向けてくる。そこにある深い渇望に初めて気付き、キアナは息を飲んだ。
それは…生き物が生まれつき持っている本能── 生きたい、という気持ち。
『私は自分一人だけでは生きてゆけない存在。だからこそ、人という存在に希望を抱かずにはいられなかった。…ずっと待っていました。寄る辺のない存在に対しても、心を砕いてくれる存在が、いつか人の間から現れてくれる事を』
そして青年は、どういう顔をしていいのかわからないまま立ち尽くすキアナに、例の穏やかな微笑を向けた。
『キアナ、あなたのような人が…現れてくれる事を』
その笑顔は、キアナの記憶から抜け落ちた記憶を呼び起こす。
喪う事が辛くて、無茶な事までして取り戻そうとした。何事もなければ、ずっと傍にあると信じていたかった誰かの──。
「…リーウ?」
誘われるように呟いたその瞬間、視界は不意に暗転した。
+ + +
「…アナ…キアナ、しっかりしろ!」
すぐ側で聞こえた声は何処か切羽詰ったもので、キアナは驚いて目を開いた。
「……?」
「キアナ! 良かった、気がついたな。何処か怪我はないか?」
目の前にいた年嵩の男がほっとしたように声をかけてくる。一瞬、それが誰なのかキアナにはわからなかった。
「…旅団長……?」
実際に口にしてようやく現実を認識する。
何だかとてつもなく長い夢を見ていたような気がする。まだ心の何処かがその夢に囚われているかのように、何処か現実感が戻りきれていない。
そろそろと身を起こして周囲を見回し── そしてそのまま呆然となる。
というのも──そこに、キアナの想像を遥かに絶する光景が広がっていたからだ。
「これは…一体……?」
空が緑色の何かに覆われている。
その隙間から覗く青は遥かに遠く、それが本来の空である事に気付くのにしばらく時間がかかった。
それまで地平まで続いているように見えていた荒野はすっかり様変わりし、起伏に富み、所々に茶色の岩のようなものが見えている。
ふと自分が横たわっていた地面を見れば、そこはざらざらと独特の質感のある、土とはまた違う何かに変わっていた。
「木だ、キアナ」
「…木?」
「ああ。…後ろを見てみろ」
「後ろ……」
言われるままに身体を捻って背後を見たキアナは、そのまま固まった。
事態が全て飲み込めただけでなく、あまりの非現実さに言葉を奪われた為だ。
「…木、だ……」
ようやく言葉が出たと思えばそんな間抜けなものだった。
しかしそれ以上、何が言えただろう。
視界を覆って余りある大木が、すぐ背後に聳え立っていたというのに──。