目覚め(3)
「…精神…体…?」
『はい。あなた方にはただの巨大な岩に見えていたようですが、実際にはそうではなく…一つの生き物なのです』
「…生き物だって……!?」
全く予想外の言葉に、キアナは驚愕を隠せなかった。
何処までも続く荒野にぽつんと一つあった巨岩── あれが自分と同じ生き物だとは到底思えない。
一瞬、岩に口や手足の生えた姿を想像し、そのグロテスクさにキアナは慌ててその想像を追い払った。
「い、生き物って…本当なのか?」
『ええ。嘘や冗談を言っていると思うかもしれませんが…そんな必要は何処にもないでしょう?』
「そ、それは…そうだけど……」
それでもそう簡単に納得出来る話でもない。
あの岩には直接触れもしたが、ごつごつとした表面と言い、堅さと言い、岩以外の何物でもなかったように思う。
しかし、青年はその事についてそれ以上説明する気はないようだった。キアナの困惑をそのままに、一方的に話を進めて来る。
『…キアナ。あなたは「リーウ」が消えた事を哀しんでくれた』
「…!」
青年の言葉に我に返ると、キアナはようやく一つの事実を思い出した。
── 目の前にいる青年が、太陽の化身として扱われていた岩の精神だと言うのなら、つまり彼こそが彼女から『リーウ』を奪い去った存在なのだという事を。
瞬時に湧きあがった激情を寸での所で抑え、キアナは相変わらず友好的な微笑みを浮かべる青年を睨みつけた。
『…今まで幾人もの《供物》がここに捧げられましたが、そうしたのはキアナ、あなたが初めてだった。だから……』
青年は胸に当てていた手をキアナに差し伸べたかと思うと、有無を言わさない口調で告げる。
『手を、キアナ』
「手、だって?」
いきなり何を言い出すかと思えば、青年は至極当たり前のように言葉を重ねてくる。
『知りたいでしょう? そうすれば全て伝わる』
その言葉に、先程は耐えた激情が再び頭をもたげた。
「そうやって、一体何が伝わるって言うんだ……!」
ばかにされているような気さえした。
相手は恐らく人ではない。ならばきっとその価値観も違うのだろう。そうとでも思わなければ、こんな態度を取れるはずがない。
「今更…一体何をわたしに伝えようって言うんだ!? リーウを…存在した記憶すら残さずわたしから奪い去っておいて……っ!」
『その事についてです、キアナ。あなたは誤解している…いえ、この地上に生きる人々は何一つ知らないし、今までは知る必要もなかった。でも…キアナ、あなたには伝えるべきでしょう。「リーウ」が消えた事を哀しんでくれたあなただからこそ……』
言いながらも、青年はゆっくりとした足取りで歩み寄って来る。
差し伸べられた白い手を無意識に凝視しながら、キアナは言われた事を整理しようと必死に頭を働かせた。
(…誤解? 一体何を誤解していると言うんだ? 知る必要もないって…どういう意味なんだ?)
考えれば考える程、混乱は深まるばかりだ。
ふと気がつくと、青年がすぐ触れられそうな場所にまで近付いていた。
「……!」
反射的に後ずさるキアナの腕を、青年の手が一瞬早く捉える。
その手は見た目よりもしっかりとしていて、力強い。瞬間感じた恐怖に身を竦ませるキアナに、青年は初めて見せる自嘲的な苦笑を浮かべると厳かに告げた。
『教えましょう…《供物》とは一体何だったのか、私が何なのか…全てを』
「…──!?」
その言葉を言い終わるや否や、キアナの中に自分のものではない存在の記憶が流れ込んできた。
それはまだ人々が地上に降り立って間もない頃、空から飛来した《太陽の化身》の記憶だった──……。
+ + +
それは随分長い時間、暗闇の中を漂流し続けていた。人の時間では計り知る事も難しい、膨大な時間をたったひとりで。
『彼』はずっと探し続けていた。
自分が生きて行く場所── 根付く場所を。
それは一見した所、まるで隕石のようにしか見えなかったが、実際は生き物だった。
手足はなく、口や鼻、耳といった感覚器も、思考する脳といったものさえ、何一つ備えていなかったけれど。
それでも彼には『心』があったし、『願い』や『夢』も持っていた。
彼の願いは、この旅の終着地点が一日も早く見つかる事。
彼の夢は、いつか辿り着いた場所で『本来の姿』になる事。
真空状態でも耐えられる外殻に守られ、彼はその内でただ時が訪れるのを待ち続けた。
そして彼はようやく星の海の中から、彼が根付く事が可能な星を見つけたのだ──。
+ + +
『…私達は宇宙を渡り、惑星に根付く生物。けれど、その根付く事が可能な場所は、この広い宇宙には一握りほどしか存在しない──』
何処からか声が届く。
それが、あの太陽の化身の精神体のものであると気付くのに少し時間がかかった。
それだけキアナの心は流れ込んできた記憶に囚われていたのだ。その記憶にあったのは、何処まで続くのかわからない孤独と、ほんの小さな希望。
それをまるで自分の身に起こった事のように感じた。
『ほら、これが私達が今存在している惑星です。草原と荒野の斑模様が見えるでしょう』
声と同時に、漆黒に染まった脳裏に緑と赤茶の斑模様の球体がふと浮かび上がった。
『…ここに辿り着くまでに、一体どれだけの時間を必要としたのか、もう私にもわかりません。でも、だからこそ…私は表現出来ない程に喜びを感じました。「願い」が叶った事で、今度は「夢」も実現出来るのではないかと』
再び視界が暗転し、次は何処までも広がる荒野が浮かび上がる。それは何処か見覚えのある光景で── しばらく考えてそれがあの《聖地》である事に気付いた。
『しかし…私が「本来の姿」になる為には、唯一にして重要な条件がありました。それは……』
「── 外部との交感……」
無意識の内に口にして、キアナは我に返った。
余程深く青年の記憶に潜り込んでいたらしい。彼の代わりに言葉の続きを口にするほどに。
我に返った今、もう先程まで自分を支配していた《太陽の化身》の記憶の支配はない。
けれどその名残は色濃くキアナの内に残り、もはや青年を一方的に非難する事は出来なくなっていた。
あの、何処までも続く漆黒の空間。あの中でたった独りで漂う、気の狂いそうな孤独感を疑似体験してしまっては。
『そうです。どうしてもそれが必要だった。それがなければ私達は真実、目覚める事が出来ない。…外界との交感がなければ。何故なら私達は、根付く場所の生き物の波動と感応する事で成長する生き物だったから──』
「…その為に、《供物》を?」
『ええ…この星に私と意識を交わせる生命体がいる事はわかっていましたから。…まさか彼等もまた、私と同じようにこの星に辿り着いた流民だとは思ってもみませんでしたが』
くすり、と青年は笑い、いつの間にかキアナの手首から離していた手を持ち上げると、そこに視線を落とした。まるでそこに大切な何かがあるかのような、何処か穏やかな表情で。