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光の子  作者: 宗像竜子
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涙(3)

 明るい陽射しの元、隠す事もなく零れ落ちるキアナの涙に、人々はかける言葉もない。気丈で男勝りなキアナが流すが故に、その涙は心を揺さぶる。

 だが── だからと言って、そのままキアナを見過ごす彼等でもなかった。

 拾い上げたフードを手に、旅団長はキアナを刺激しないように気を付けながら、ゆっくりと彼女に歩み寄って行く。そして説得を試みた。

「── キアナ。お前の哀しみはわかった。確かに…我々は今までに何度も愚かな行為を行ってきた。だが、キアナ。今ここでお前が死んで、何になる?」

「……」

「リーウの死に殉じて、お前はそれで満足だろう。だが、遺される人間の気持ちも考えるんだ。…同じだろう、今のお前と。長や、お前の母親が、今のお前と同じ哀しみを── いや、それ以上の痛みを得るのだぞ」

 それは全くの正論で、キアナは反論する言葉もなかった。

 久し振りに流す涙のせいもあったが、様々な思いが胸に詰まって苦しい。リーウを喪う哀しみを知ったが故に、敬愛する両親を同様に哀しませるという事実が重く圧し掛かる。

 黙り込み、ただ涙を零すキアナを、旅団長は幾分ほっとした顔で見つめ、手にしたフードを持ち上げた。

「さあ、キアナ…帰ろう」

 旅団長の手にあるフードを見つめ、キアナは呆然と立ち尽くす。

 先程まであった感情の嵐は、涙の雨によって鎮まった。けれど── 心の奥はまだ諦めきれずにいた。

 このまま、何事もなかったかのように帰っていいとは思えなかった。

 リーウを忘れ、この哀しみも忘れ、将来は長となり…そして何十年後には罪の意識もなく、リーウのような犠牲をこの聖地に送るのだろうか?

 …それが正しい行いだと信じて。

「…駄目だ。そんな事、許されるはずがない……」

「キアナ?」

 先程までの激しさこそなくなったものの、何処となく虚ろな目を向けるキアナを、旅団長は怪訝そうな声で呼びかける。

 しかしキアナはその呼びかけを無視して思い浮かんだ言葉を紡いだ。

「旅団長、わたし達は今まで一体何人の《供物》を捧げてきたのでしょう。罪もない子供が一体何人、ここで存在を奪われたのでしょう。わたしはリーウを…いや、リーウ達を忘れたくない。ここを離れれば…きっと忘れる。忘れさせられてしまう。だから──」

「キアナ?」

「だから── わたしは、ここに残ります」

 言い切ると不意に心が軽くなった。

 その感覚に背中を押されるような気持ちで、キアナは再び光を取り戻した目を真っ直ぐに持ち上げ、狼狽する村の人々にきっぱりと宣言する。

「わたしの死で父や母が哀しむのは辛いけれど── わたしは、ここに残る。だからあなた方はこのまま村に帰って下さい」

「キアナ、いい加減にするんだ! そんな事が出来る訳がないだろう!!」

「何故?」

「何故、だと?」

 一歩も退かないどころか、むしろ不思議そうに問い返されて、旅団長の顔が怒りに染まった。

「…お前を前にして、その我が侭を許し、むざむざ見殺しに出来ると思っているのか!? こんな事をさせる為に、長も同行を許した訳ではないのだぞ!!」

「でも、わたし達はリーウを見殺しにしました。…それとどう違いますか。同じでしょう? ただ、哀しむ人間がわたしには何人もいて、リーウにはわたししかいなかった、それだけの──!?」

 キアナの反論は途中で途切れた。

 キアナのフードを片手に、いつの間にか詰め寄ってきていた旅団長が、その手首を恐ろしい力で掴んだ為だ。

「は、離し……!」

「キアナ、お前のそれは単なる屁理屈だ」

 腕を取り戻そうとするのを遮るように、押し殺すような低い声で一喝し、旅団長はそのままもう片方の手に持っていたフードを、キアナの頭にばさりと被せた。

 視界が遮られ、咄嗟にそれを払い退けようとしたもう片方の手も、動かす前に掴まれて動きを封じられる。

「…嫌だ……ッ!」

「セダ、ネルト、押さえておくからこの我が侭娘をロープで縛れ!」

「!!」

 旅団長は本気だった。このまま縛ってキアナの自由を奪い、村に強制的に連れ帰るつもりなのだ。

 旅団長の指示に、名指しで呼ばれた男達が近寄ってくる気配を感じ取り、キアナは恐慌状態に陥った。

 このままでは為す術もなく連れ帰られてしまう。

 忘れたくないのに。せめて最後の時まで、存在していた事を覚えていたいのに。

 ── 太陽に捧げられた多くの名も知らない、忘れられてしまった供物達…リーウの事を。

「やめろ、離せ──ッ!!」

 両手を封じられたまま、キアナは足掻いた。

 手を振り回し、旅団長の手から逃れようとする。

「っ、暴れるな! お前達、早く!!」

 フードが視界を邪魔して、周りが見えないが、旅団長が幾分焦っているのは感じ取れた。

 腕力に差があっても、勢いはキアナの方にある。何より、キアナは必死だった。

「離──ッ!!」

 力任せに腕を振り回そうとした瞬間。

 ぶつん、と何かが切れるような音を聞いたような気がした。次いでぱらぱらと、身体に何か小さなものが当たる感触。

「…あ……?」

 それが何であるのか── 一瞬、わからなかったが、それによって旅団長が怯んで、掴む手の力が僅かに緩んだのがわかった。

 そのまま腕を取り戻し、自由になった片手で視界を遮るフードを払い退ける。

 …そして、ようやく何が起こったのかを理解した。

「──」

 唐突にキアナがおとなしくなっても、旅団長はもう無理矢理自由を奪おうとはしなかった。

 彼等も荒れた地面に散らばったそれ── 木製の古びたビーズを、呆然と見つめるばかりだ。

 それが何か、彼等もそれなりに察した為だろう、気まずい空気が生じた。

「……」

 元々、繋いでいた糸も古かったのだ。暴れればこうなるのは仕方がない事だろう。

 頭の中ではそんな風に理解出来たものの、キアナは拾い集める事も思いつけずにただ呆然と散らばったビーズを見つめ── そのまま力尽きたようにぺたり、とその場に座りこんだ。

 …まるで、今まで張り詰めていた糸が、首飾りの糸が切れたと同時にぷつりと切れてしまったかのように。

「…リーウ……」

 うわ言のように呟き、キアナはのろのろと手を伸ばして、一番近くにあったビーズを一つ手に取る。

 …全部、なくなってしまう、と思った。

 先程暴れた事で、リーウが最後に着ていた服も少し離れた所に散らばっていた。リーウに関するものが全て、キアナの手から離れて行く、そんな錯覚に囚われる。

「あ、あはは…ははははは……っ」

 無駄なのだろうか。忘れたくない、としがみつく事すらも。いや、執着すればする程、遠ざかって行く気がする。

 そう思うと、口から零れ落ちたのは虚ろな笑い声だった。

「ばか…みたいだ……ふふ……っ」

 自分は何をしているのだろう。泣いて、暴れて── 迎えに来てくれた人達を困らせて。

 まるで小さな子供だ。願いが叶わないからと、駄々をこねる聞き分けのない子供。

 でも、ならばどうしたら良かったというのだろう?

(教えてくれ、リーウ…わたしは、もうどうしていいのかわからない……!)

 ── その時だった。

「……? 地鳴り、か……?」

 沈黙を破る事を恐れるような口調で、迎えに来た青年の一人がぽつりと呟いた。そして周囲の人間に確認を取るようにそれぞれの顔を見つめる。

 その言葉に、そこにいた人間は無意識に耳をそばだて── そして彼等の耳にも、微かに何がしかの音が聞こえてくる事に気付いた。

 ズズズ…、と何処か遠くから聞こえてくる音は、耳の錯覚でなければ彼等の足元から聞こえてくる。彼等は互いに顔を見合わせ、予想外の出来事にどう対応すればいいのか考えあぐねた。


 ズズ……

 ズズ、ズズズ……


 やがてその音は次第にその大きさを増し、微かに地面を震わせ始める。

 そして。


 ドオオオオオオ………ッ!!


「──ッ!?」

 不意に耳を覆わんばかりの地鳴りがし、それと同時に激しく地面が揺れ始めたのだった。

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