14話 監視の始まり
馬車は揺れることなく、ただひたすらに王都を目指して進んでいく。
窓の外の景色は、やがて森から拓けた街道へと変わり、次第に灯りが増え始めた。
空の色は既に深い藍色に染まり、星が瞬き始めている。半日の旅路を経て、馬車が王都の城壁を潜り抜ける頃には、完全に夜になっていた。
王都の夜は、学院がある郊外とは比べ物にならないほど賑やかだった。
魔石の灯りが石畳の道を煌々と照らし、行き交う人々も多い。遠くからは酒場の喧騒や、大道芸人の軽快な音楽が聞こえてくる。
けれど、馬車の中の私は、その喧騒をどこか遠い世界の事のように感じていた。
馬車は市街地を抜け、厳重な門をくぐり、やがて質素ながらも堅牢な建物――おそらく魔導院の敷地内にある宿泊施設だろうか――の前に停まった。
ゼルビスさんが先に降り立ち、馬車の扉を開く。
「キリエ殿。こちらでございます。本日はお疲れのことと存じますゆえ、お休みください」
彼の言葉に促され、私は馬車を降りた。
私達を迎え出てきたのは、ゼルビスさんと同じく騎士の制服を身につけた、しかし甲冑ではなくより動きやすそうな装束をまとった、一人の女性だった。三十代ほどの、切れ長の目をした理知的な雰囲気の人物。
ゼルビスさんが女性騎士に指示を出す。
「エリス。キリエ殿を部屋へ案内しろ。明日朝の面談までは、決して目を離すな」
「承知いたしました、隊長」
エリスと呼ばれた女性騎士は無表情に頷き、私に視線を向けた。その視線には、騎士としての任務を全うする意思が見て取れる。
「キリエ殿、こちらへ」
エリスさんに導かれ、私は宿舎の一室に通された。部屋は清潔で必要最低限のものが揃っている。ベッド、机、そして簡素な椅子。余計な装飾は一切ない。
エリスさんは部屋の入口で立ち止まることなく、そのまま部屋の中へと入ってきた。
「キリエ殿のお部屋は、こちらになります。そして、私も同室させていただきます」
彼女はそう言いながら、壁際にあるもう一つのベッドを指差した。
やっぱりそうか……。
私は内心で小さく溜め息をついた。ゼルビスさんの指示の通り、「決して目を離す」つもりはないらしい。
彼等は私を「お客様」として迎えているのではなく、貴重な「資産」として、厳重に管理・監視する対象として扱っている。
それは私の行動を制限し、自由を奪う行為でしかなかった。
「何かご不便がございましたら、お申し付けください。ただし、部屋の外へ出られることはご遠慮願います」
エリスさんの言葉は丁寧だったが、その内容は明確な拘束を意味していた。
彼女は部屋の隅に用意された椅子に腰掛け、微動だにせず私を監視している。
「あの……」
空腹を感じた私はエリスさんに声をかける。
「はい」
とだけ返答が返ってくる。
「お腹が空きました」
お昼は学院の食堂で食べたけれど、お弁当も持たずの長旅だったから、だいぶお腹が空いていた。
「では持ってこさせます。何か、食べたいものは?」
「あ……えっと。お肉料理が良いです」
「わかりました」
エリスさんは、マジックレターでどこかへ連絡した。しばらくして、扉がノックされる。
動きやすそうな装束の男性騎士が、お肉のソテーとパンとスープを運んできてくれた。
室内のテーブルにそれらと食器が置かれ、男性騎士は一礼をして部屋を出て行く。
「どうぞ」
私はエリスさんにじっと監視され居心地の悪さを感じながら、黙って出された料理を食べた。
食べ終えてから特にすることもなかったので、私はベッドに体を横たえた。
食器はまたエリスさんがマジックレターを飛ばし、男性騎士が片付けていった。
オルカのいる学院からだいぶ遠くに来てしまったことを思って、寂しさを感じる。
『ねえ……やっぱり貴方と離れていると寂しいわ……』
今までずっと一緒だったから。元の場所でも、この世界でも。
テレパシーでやり取りできるとはいえ、身近にその存在を感じられないのは今の私には辛い。
『そうだろうな。まあしばらくの辛抱だ。お前がこの選択のまま進めるのなら俺もじきにそちらへ向かう』
私は、夏休み前にオルカにも招待状が来ていたのを思い返す。
最初の世界で、私が軍の招待を断った理由。オルカと離れたくない。今回はそれを乗り越えなければならない。
私はため息をつくと、静かに目を閉じた。
翌朝、窓から差す朝の明るさで目が覚めた。
身を起こすと、エリスさんはもう目覚めていたようで、引き続き私の様子をじっと監視していた。
「おはようございます、キリエ殿」
「……おはようございます」
朝食は、パンとスープ、それに簡単な温野菜が出された。
男性騎士が運び入れ、無言で下げていくのは昨夜と同じだ。エリスさんは食事中も決して私から視線を外さなかった。
食後、私は特にすることがなく、手持無沙汰に部屋を見回した。
簡素な部屋には、読み物一つない。窓の外を眺めようにも、高層階なのか、あるいは特殊な魔法が施されているのか、外の景色はぼんやりとしか見えない。
完全に隔離施設ね……。
私は念のために鞄に入れてきた魔導書とノートを取り出してみる。読もうとすると、エリスさんの視線がわずかに鋭くなった気がした。
彼女は何も言わないけれど、その視線は私が何をしようとしているのかをしっかりと観察しているように感じられた。
私は、ごく普通に学生が復習のために本を開くように、ゆっくりと魔導書を広げる。エリスさんは、それでも微動だにせず、ただ静かに私を見守っていた。