終章:共犯者たちの夜明け
黒川さんの最後の言葉は、私たちの間に、長い沈黙をもたらした。それは気まずい沈黙ではなく、消耗しきった思考が、ようやく安息を見つけたかのような、穏やかな沈黙だった。これまで私たちが築き上げてきた、理論と引用の巨大な建築物が、彼女の一言によって、ガラガラと崩れ落ちていく。そして、その瓦礫の中から、むき出しになった私たち自身の姿が現れる。
「…私たち、この主人公のこと、笑えないわね」
ようやく、私はそう言った。声は、少し掠れていた。
「ええ、本当に」黒川さんは、ふっと息を漏らすように笑った。「自分たちの〈知〉を、これ見よがしのファルスとして振り回して、相手を論破することに、倒錯的な快楽を見出している。物語の構造を分析することで、現実の複雑さや、自分自身のどうしようもなさから、目を背けているだけ。…全く、滑稽だわ」
私たちのこの異常な会話。それは、佐藤健太がポーションを作る行為と、構造的に何ら変わりはなかったのかもしれない。私たちは、ラカンやジジェクという「知識チート」を使って、なろう小説という「問題」を鮮やかに「解決」してみせることで、万能感という安手のファルス的享楽に浸っていただけなのだ。私たちのこの部屋は、異世界と同じ、現実から切り離された安全なファンタジー空間だった。
そして、私たちのこの会話という「サントーム」。それは、あまりにも知的で、洗練されすぎていて、もはや症状としての純粋さを失っている。意味から外れた享楽の核であるはずのサントームが、「高度な批評」という意味に満ち溢れている。これでは、佐藤健太の「意味のあるポーション作り」と、五十歩百歩ではないか。
「結局、私たちも、この時代の産物なのよ」私は、窓の外の白み始めた空を見ながら言った。「〈現実界〉の耐え難い重圧から逃れるために、自分だけの小さなファンタジーの城を築いて、そこに立てこもっている。ある者は、異世界転生を夢想し、ある者は、難解な理論に逃げ込む。その手つきが、洗練されているか、幼稚であるかの違いでしかない」
「そうね」黒川さんは、テーブルに残っていた最後の一粒のチョコレートを口に入れた。「でも、一つだけ、違いはあるかもしれないわ」
「何?」
「あの物語は、決して自己言及しない。自らがファンタジーであるという事実を、決して認めない。登場人物たちは、自分たちのいる世界が、絶対的な現実だと信じて疑わない。でも、私たちは…」
彼女は、私を見た。
「私たちは、自分たちがやっていることの虚しさを、その構造を、自覚している。この会話が、現実からの逃避であり、知的なマスターベーションであると、知った上で、それでもなお、この行為を続けている。その一点において、私たちは、あの哀れな主人公よりは、少しだけマシなのかもしれないわね。ほんの、少しだけ」
それは、慰めにもならない、しかし、唯一可能な自己肯定だったのかもしれない。自らの倒錯を自覚する倒錯者。そのねじれた誠実さだけが、私たちの最後の砦だった。
部屋に、朝の光が差し込んでくる。長い夜が終わったのだ。私たちは、膨大な言葉を費やして、一つのなろう小説を解体し尽くした。しかし、その結果、私たちが手にしたのは、対象の完全な理解ではなく、むしろ、私たち自身の姿が映し出された、歪んだ鏡だけだった。
「…また、やる?」
沈黙を破ったのは、意外にも黒川さんの方だった。その口調は、いつもの挑戦的なものではなく、まるで共犯者に次の計画を持ちかけるような、親密な響きを帯びていた。
「何を?」
「決まってるでしょう。別の、どうしようもなくクソみたいな作品を見つけてきて、こうして、また解剖するのよ」
私は、思わず笑ってしまった。疲労困憊のはずなのに、心の底から、笑いがこみ上げてきた。そうだ、これが私たちのサントームなのだ。意味がないと知りながら、虚しいと知りながら、それでもやめられない、私たちの特異な享楽の形。
「望むところよ」
私は答えた。
私たちの間に、これ以上、言葉は必要なかった。私たちは、決して交わることのない思想的立場に立ちながら、この一点において、奇妙な、そして強固な連帯で結ばれている。私たちは、この世界の空虚さを、そしてその空虚さを埋めるために生み出される無数のファンタジーを、共に嘲笑し、共に分析し、そして、共に愛でる、唯一無二の共犯者なのだ。
朝日が、散らかった部屋と、私たちの疲れた顔を、平等に照らし出していた。それは、新たな日常の始まりを告げる光であると同時に、私たちの終わりなき知的遊戯の、次なる幕開けを告げる、ファンファーレのようでもあった。