第三章:〈現実界〉の抹消とサントームの不在
「〈現実界〉」私がその言葉を口にすると、部屋の空気が少しだけ重くなった気がした。「この物語の、そしておそらくは、なろう小説というジャンル全体の、最も根本的な欠陥は、この〈現実界〉が完全に不在であることよ。象徴界の網の目からこぼれ落ちる、言語化も意味付けも不可能な、あのトラウマ的な核。それが、ここにはない」
私は立ち上がり、部屋の中を歩き回りながら話し始めた。思考をまとめるための、私の癖だ。
「もちろん、物語の中には、一見すると『理不尽』や『残酷』に見える出来事が起こるわ。戦争、病、貧困、差別。でも、それらはすべて、主人公の『知識チート』によって解決されるべき『問題』や『課題』としてしか提示されない。それらは、象徴界の秩序の中に、きちんと位置づけられている。解決可能なものとして、意味付け可能なものとして。ジジェクが、ハリウッド映画を批判して言っていたでしょう。『一見、世界の終わりを描いているようで、その実、世界の終わりというスペクタクルを楽しむことで、本当の終末、つまり象徴的な座標軸そのものが崩壊するという〈現実界〉の恐怖から、我々は守られている』と。この物語は、その構造の、最も純粋で、最も幼稚なバージョンよ」
私は本棚からジジェクの『厄介なる主体』を抜き取り、あるページを開いた。
「異世界の『謎の病』は、主人公の生化学の知識によって、単なる『ビタミン欠乏症』や『細菌感染』として再定義され、ペニシリンやビタミン剤によって治療される。国の財政危機は、彼の現代経済学の知識(というより、高校レベルの公民の知識だけど)によって、新たな産業を興すことで解決される。すべての『理不尽』は、最終的には彼の〈知〉によって意味付けされ、象徴界の秩序の中に回収されてしまう。そこには、どんなに頑張っても理解できない、解決できない、ただそこにあるだけの、無意味で暴力的な〈現実界〉の硬い核が存在しないの」
「そして、なぜ読者がこのような物語を求めるのか。答えは明白よ」私は続けた。「それは、私たちが生きるこの現実が、まさに解決不可能な〈現実界〉に満ちているから。気候変動、制御不能な資本主義、政治の機能不全、いつ終わるとも知れないパンデミックの記憶。私たちは、自分の力ではどうにもならない、巨大で無意味な暴力に常に晒されている。なろう小説は、その耐え難い〈現実界〉の不安から目を背けさせてくれる、巨大なファンタジー・スクリーンなのよ。そこでは、すべての問題に答えがあり、すべての病に特効薬がある。主人公の万能の知識は、私たちの無力感を埋め合わせるための、最も甘美な麻薬なの」
私は自分の論に、ある種の完璧さを感じていた。これはもう、反論のしようがないだろう、と。しかし、黒川さんは、私の熱弁を、まるで遠い国の出来事を聞くかのように、静かに聞いていた。そして、私が話し終えるのを待って、ゆっくりと口を開いた。
「〈現実界〉の不在。その指摘は、その通りよ。あまりに自明すぎて、議論する価値もないくらいにね」
彼女の言葉は、冷や水を浴びせるには十分すぎるほど、冷たかった。
「でも、あなたの議論は、またしても同じ過ちを犯している。あなたは〈現実界〉を、社会的な現象や、解決不可能な問題といった、外部の『何か』としてしか捉えていない。ラカンにとって、特に後期のラカンにとって、〈現実界〉は、もっと主体の内部に、その構造そのものに食い込んでいるものなのよ。そして、その観点からこの物語を見ると、もっと興味深い、病理的な構造が浮かび上がってくる。それは、『サントーム』の不在という問題よ」
「サントーム…」後期ラカンの、最も難解な概念の一つ。
「ええ」黒川さんは頷いた。「ラカンは晩年、ボロメオの結び目というモデルを使って、主体を考えたでしょう。象徴界(S)、想像界(I)、現実界(R)という三つの輪が、互いに結びつくことで、私たちの精神の構造は安定している。そして、この三つの輪を結びつけている、いわば『第四の結び目』。それが、サントーム。それは、主体にとっての根源的な症状でありながら、同時に、その症状があるからこそ、主体がバラバラにならずに済んでいる、という逆説的な支え。主体の最も特異な、意味から外れた、核となる享楽のあり方。ジェイムズ・ジョイスにとっての、あの独特な言葉遊びが、彼のサントームだったようにね」
彼女は、再びホワイトボードに向かった。今度は、三つの輪が絡み合った、ボロメオの結び目を描く。
「さて、我らが佐藤健太君よ。彼のサントームは、何かしら?」黒川さんは、私に問いかけた。「彼を彼たらしめている、根源的な症状、特異な享楽の様式とは?」
私は考え込んだ。彼の行動原理は、常に他者の要求に応えることだ。彼自身の、内側から湧き出すような、無意味で、固執的な行動…。
「……ないわね」私は答えた。「彼の行動は、すべて合理的で、目的合理的。ポーションを作るのは、人を助けるため、金儲けのため。彼の行動は、常に『意味』に満ちている。意味から外れた、彼だけの固執、彼だけの享楽のパターンというものが、見当たらない」
「その通り!」黒川さんの声が、部屋に響いた。「彼には、サントームがないのよ。彼は、症状を持たない主体、完全に『正常』で、完全に『健康的』な主体として描かれている。そして、精神分析的に言えば、これこそが最も異常で、最も病的な状態なの。サントームを持たない主体とは、ボロメオの結び目がほどけてしまっている主体、つまり、象徴界・想像界・現実界がバラバラになった、精神病一歩手前の、極めて脆弱な構造をしているということよ」
「じゃあ、なぜ彼は、精神病を発症せずにいられるの?」
「それこそが、この物語の核心的なファンタジーよ」黒川さんは、結び目の図に、もう一つの輪を書き加えた。「彼の『知識チート』こそが、サントームの『代用品』として、かろうじて彼の精神構造を繋ぎ止めている、後付けの、人工的な第四の輪なのよ」
その瞬間、すべてのピースが繋がったような気がした。彼の〈知〉の構造、彼の受動的な欲望、彼のファルス的享楽。そのすべてが、この「サントームの不在」という一点から説明できる。
「彼は、固有の享楽の核を持っていない。だから、彼は他者の要求という外部の座標軸に、完全に依存するしかない。彼には、自分を内側から支える柱がないから。そして、彼の『知識』は、彼の特異性の証ではない。むしろ逆よ。それは、彼を『誰でもない、ただの知識の担い手』という一般性の中に埋没させ、彼が固有の主体性を持たないという事実を、覆い隠してくれる。彼の知識は、彼の空虚さを埋めるための、最大の防御壁なの」
黒川さんは続けた。「考えてみて。もし彼が、異世界でその知識を失ったら? もし、彼よりも優れた薬師が他にいたら? 彼のアイデンティティは、即座に崩壊するでしょう。なぜなら、彼の自己は、その『知識』という借り物の上にしか成り立っていない、砂上の楼閣だから。サントームが、主体の存在の根拠そのものであるのに対し、彼の知識は、ただの外部的な『機能』にすぎない。この物語は、サントームを持たない、空っぽの主体が、いかにして『チート能力』という名の外部装置によって、かろうじて自己の統一性を保っているか、という、痛々しい記録なのよ」
「……恐ろしい話ね」私は呟いた。「つまり、読者は、主人公の万能感に酔いしれているようで、その実、いつすべてが崩壊するかわからない、極めて脆弱な主体の姿に、無意識のうちに同一化している、ということ?」
「そう解釈することもできるわね」黒川さんは、少し意地悪く笑った。「あなたの好きな、ジジェク的な言い方をすれば、こうなるかしら。読者は、主人公の成功物語という『想像的同一化』の裏で、彼の根源的な脆弱性、つまり『象徴的同一化』のレベルで、彼と結びついている。だからこそ、この物語は、奇妙な説得力を持ってしまう。なぜなら、私たち現代人自身が、多かれ少なかれ、固有のサントームを見失い、社会的成功や、消費や、SNSでの承認といった、外部の『機能』によって、かろうじて自己を支えている存在だからよ」
彼女の言葉は、私自身にも突き刺さった。私たちが今こうして、難解な理論を振り回しているこの行為もまた、私たちの空虚さを埋めるための、脆弱な第四の輪なのではないか?
「あなたの分析は…」私は言葉を選びながら言った。「…ほとんど完璧だわ。ぐうの音も出ない。でも、最後に一つだけ、聞かせて。あなたは、この物語を、そしてそれを生み出す文化を、どう評価するの? ただ『病理的だ』と診断して、終わり? そこに、あなたの立場はどこにあるの?」
それは、純粋な問いだった。彼女の分析の冷徹さと正確さは、彼女自身の主体性を、完全に消し去っているように見えたからだ。
黒川さんは、少しの間、窓の外に目をやった。すでに街は、夜の闇に包まれようとしている。
「評価…」彼女は静かに繰り返した。「私は、医者じゃないわ。ただの、構造の分析家よ。良いとか悪いとか、そういう倫理的な判断は、私の仕事じゃない。ただ、この物語が、〈現実界〉との遭遇を回避し、サントームという主体の核を欠いたまま、ファルス的享楽のサーキットを空回りさせ続ける、極めて『成功した』失敗作である、という事実を指摘するだけ。そして…」
彼女は、私に向き直った。その目には、いつもの冷たさとは違う、何か別の光が宿っているように見えた。
「そして、このどうしようもなく空虚で、倒錯した物語を、こうしてあなたと、夜が明けるまで語り明かすという行為そのものが、おそらく、私にとっての…ささやかなサントーム、なのかもしれないわね」
その言葉は、不意打ちだった。彼女の口から、そんな自己言及的な、ほとんど告白に近い言葉が出てくるとは、思ってもみなかった。