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第二章:欲望の回路とファルス的享楽の隘路

「欲望と享楽、ね」私は緑茶を一口飲んで、思考を切り替えた。「その前に、まず欲望の構造から片付けましょう。あの物語は、ラカンの言う『欲望は他者の欲望である』という命題の、最も単純で、露骨な教科書よ」


 私はノートパソコンの画面を彼女に向けた。


 王は言った。「勇者ケンタよ。我が国は今、隣国との戦争で疲弊し、多くの兵士が傷ついている。お主の持つ神の如き薬学の知識で、彼らを救ってはくれまいか。それが、国民すべての『望み』なのだ」

 俺は答えた。「わかりました。俺にできることなら」

(正直、面倒くさい。俺はただ、静かにスローライフを送りたいだけなんだが……。でも、国王直々の頼みじゃ断れないし、みんながそれを望んでいるなら、仕方ないか)


「これよ。主人公、佐藤健太には、固有の欲望というものが存在しない。彼の行動原理は、常に『他者から何を求められているか』だけ。国王が、国民が、ヒロインたちが、彼に『こうしてほしい』と要求する。彼はその要求に応えることで、その他者の欲望を、あたかも自分自身の欲望であるかのように引き受ける。彼が口にする『スローライフを送りたい』という願望すら、なろう小説のテンプレートという『他者』から借りてきた、空虚な記号に過ぎないわ」


「それはその通りね」黒川さんも同意する。「彼は、他者の要求(demand)を、そのまま自分の欲望(desire)だと誤認している。あるいは、そう誤認するふりをしている。要求の彼方にある、決して満たされることのない『欠如』としての欲望の次元に、彼は一度も到達することがない。だから、彼の物語は、次から次へと現れる『問題(他者の要求)』を解決していくという、単純なタスク処理の連続になる」


「そう。そして、そのタスク処理こそが、ジジェクの言う『相互受動性(interpassivity)』の構造を完璧に体現しているのよ」私は続けた。「主人公は、能動的に行動しているように見える。でも、その実、彼は他者の欲望というプログラムに従って動いているだけの、自動機械(オートマタ)にすぎない。そして読者は、その受動的な主人公に自己同一化することで、自ら欲望し、行動する責任とリスクを、彼に肩代わりさせる。読者は、ソファに寝転がってポテトチップスを食べながら、安全な画面の向こうで主人公が活躍するのを見て、あたかも自分が成功体験を味わっているかのように感じる。何もせず、ただ代理人に楽しんでもらう。これこそ、現代のエンターテイメントが提供する、最も基本的な快楽の形式よ」


「そして、その快楽は、本質的に『資本主義のディスクール』と完全に同期している」私は、議論をさらに社会的な次元へと接続しようと試みた。「彼のポーション作りという行為を見て。あれは、病気や怪我という『欠如』や『穴』を、商品(ポーション)によって埋めるという作業の繰り返しでしょう。これは、資本主義が絶えず新たな欠如(流行遅れ、スペック不足)を人為的に作り出し、それを埋め合わせるための新商品を供給し続けるという、無限のサイクルと全く同じ構造よ。主人公は、異世界に『市場原理』を持ち込み、最も効率的な生産者として君臨する。彼が手に入れるのは、莫大な富と、彼を所有物として欲しがるハーレムの女たち。すべてが、カネと所有という、象徴界の秩序に回収されていく。そこに、その秩序を破壊するような、過剰で、無意味で、危険な『享楽』が入り込む余地は、どこにもないの」


 私は言い切った。これが、ジジェク的な視点からの、この作品の欲望と享楽の分析の結論だ。しかし、黒川さんは、まるで子供の戯言を聞くかのように、冷めた目で私を見ていた。


「あなたの議論は、いつも同じ場所をぐるぐる回っているだけね。資本主義、イデオロギー、相互受動性。まるで、どんな病気にも同じ薬を処方する、ヤブ医者みたい」


 彼女は、私の分析の脆弱な一点を、的確に突いてきた。


「あなたは『享楽の不在』を指摘した。その点では、私も完全に同意するわ。でも、その理由付けが、あまりにも浅い。問題は、資本主義に回収される云々、という社会的なレベルの話じゃない。もっと根源的な、主体の構造に関わる問題なのよ。あの物語に欠けているのは、ただの享楽じゃない。ラカンが区別した、『女性的享楽』、あるいは『大他者の享楽』が、完全に、意図的に、排除されていること。これこそが、この物語のグロテスクさの核心よ」


「女性的享楽…?」


「そう。ラカンの性の(sexuation)公式( formulas)を思い出して。男性側は、普遍的な去勢の法則に服するがゆえに、『ファルス機能(Φx)』によって規定される。彼の享楽は、すべてこのファルス、つまり象徴的な力や所有、意味の秩序に結びついた『ファルス的享楽』なの。一方で、女性側は、『非-全(pas-tout)』として、このファルス機能に完全には回収されない。彼女は、ファルス的享楽に加えて、それを超えた、言語化できない、特異で、過剰な『もう一つの享楽』、すなわち『大他者の享楽(JA)』を持つとされている」


 黒川さんは、私の部屋のホワイトボード(いつか買ったが、ほとんど使っていない)に、マーカーで乱暴に性の公式を描きつけた。


「あの物語の世界は、この『男性側』の論理だけで、完全に構築されているの。佐藤健太の『知識チート』は、まさにこの『ファルス(Φ)』そのものとして機能する。それは彼に万能感を与え、異世界の秩序を支配する力を与える。そして、彼が形成するハーレム。あれは、彼のファルス的価値を、次から次へと承認し、反射するためだけの、鏡の集まりに過ぎないのよ」


 彼女は、小説のヒロインたちを一人ずつ、俎上に載せていく。


「王国の王女様。彼女は、主人公の知識がもたらす『国の安泰』という価値を承認する。エルフの姫。彼女は、主人公の知識が持つ『自然の理との調和』という神秘性を承認する。獣人の奴隷少女。彼女は、主人公の知識がもたらす『弱者救済』という倫理性を承認する。彼女たち一人ひとりが、主人公というファルスの、異なる側面を照らし出すための、ただの機能(ファンクション)なの。誰一人として、主人公のファルス的秩序を脅かすような、理解不能で、制御不能な、固有の『大他者の享楽』を持つ主体としては描かれない。彼女たちの欲望は、常に『主人公に愛されたい』という、ファルスに向けられた欲望に回収されてしまう」


「だから、あの物語は、本質的に『セックス』がない物語なのよ」黒川さんは、衝撃的な言葉を口にした。「もちろん、性的な描写を示唆するシーンはあるかもしれない。でも、ラカンの言う『性関係は存在しない(Il n'y a pas de rapport sexuel)』、つまり、二つの異なる享楽の様式を持つ主体が、その隔たりにもかかわらず、奇跡的に出会ってしまうという、あの根源的な意味での『性関係』は、そこには絶対に生じない。なぜなら、登場人物は、主人公も含めて、全員が『男性側』の論理、ファルス的享楽の論理に囚われているから。あれは、巨大なマスターベーションなのよ。主人公というファルスを、物語全体で、そして読者も一体となって、延々と愛撫し続ける、閉鎖的で、自己完結した、倒錯的な構造」


 私は、返す言葉を失っていた。彼女の分析は、まるで鋭利なメスのように、物語の美しい外皮を切り裂き、その下に隠された、醜悪で、しかし整然とした臓物の配置を暴き出していた。ファルス的享楽の自己愛的なサーキット。


「じゃあ、主人公のあの『謙遜』や『無欲さ』は、一体何なの?」私はかろうじて声を絞り出した。


「それこそが、この倒錯構造を維持するための、最も重要な防衛機制よ」黒川さんは答えた。「もし、主人公が自らの力、自らのファルスを『俺はすごいだろう』と自覚し、能動的に欲望し始めたら、どうなると思う? そこには必然的に、『去勢の不安』が生じるわ。いつかこの力を失うのではないか、この力にふさわしくないのではないか、という不安が。ファルスを持つ者は、常に去勢の脅威に晒される。それが、象徴界の法則よ」


「しかし、佐藤健太は、その不安を巧みに回避する。彼は、決して自らの意志で力を振るわない。『みんなに頼まれたから』『仕方なく』『他に方法がないから』。彼は常に、その他者の要求に応えるという受動的な立場に身を置くことで、自らがファルスの所有者であるという、危険な事実から目を背ける。彼は、去勢の不安から逃れるために、自ら『主体』であることを放棄しているの。彼の無気力さと謙遜は、彼の強さの源泉であると同時に、彼の根本的な不能性の証でもあるのよ」


 黒川さんの議論は、完璧な円を描いて閉じたように見えた。主人公の〈知〉の構造と、欲望の回路、そして享楽の様式が、一つの理論的な枠組みの中で、見事に連結されている。


「……あなたの言うことは、わかったわ」私はゆっくりと口を開いた。「構造的には、その通りなのでしょう。でも、私はやはり、その構造がなぜ、今、ここで、これほどまでに求められているのかを問いたい。なぜ、読者はこの『去勢の不安から逃れた、安全なファルス的享楽』の物語を、貪るように消費するのか。それは、テクストの内部だけを見ていても、答えは出ないんじゃないかしら。私たちは、この物語が機能している、より大きな社会的文脈、つまり、私たちの生きるこの『現実』そのものに、目を向けなければならないはずよ」


 私は、反撃の狼煙を上げた。黒川さんの緻密な構造分析は、それ自体が、現実の複雑さから目を背けるための、洗練された知的防衛機制ではないのか? 彼女を、その安全な城から引きずり出す必要があった。


「現実、ね」黒川さんは、私の挑戦的な視線を受け止めて、静かに言った。「いいわ。その話をしましょうか。ラカン派にとって最も厄介で、そして最も重要な概念。〈現実界〉の話を。そして、この物語が、いかにしてその〈現実界〉との遭遇を、徹底的に、病的なまでに回避し続けているか、という話をね」


 窓の外は、すでにオレンジ色の光に染まり始めていた。私たちの終わりなき解剖学は、いよいよ核心、物語の心臓部に隠された、空虚な空洞へと、そのメスを進めようとしていた。



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