第98話
次に視界が白以外の色を取り戻すと、私は邸宅の庭にいた。
長久さんや朧さんが武器を構えていた。
「戻ったかヒナタ!」
「はい。あの、どうしてみなさんは武器を構えているんですか?」
「どうしてって、そこにいるのが見えないのか」
「え?」
朧さんの視線を追って振り向く。
そこにはお腹を地面にぺたんとくっつけている鹿がいた。
私は状況を察して声を張り上げる。
「武器を納めてください。説得は成功しましたから」
「そうなのか? 長久殿はヒナタと悪霊が戦っていると言っていたが」
「戦ったのは事実ですけど納得してもらえました。今なら宝玉は問題なく使えるはずです。早く小夜さんを!」
「分かった、長久殿」
「はい。早速儀式に取りかかりましょう」
私はゼルニーオを連れて庭の隅に移動する。
朧さんたちや観客はゼルニーオの方をちらちら見ている。一度派手にスパークを散らしたからすっかり警戒している様子だ。
ここで暴れられたらさすがに擁護できない。このまま大人しくしてくれるとうれしいなぁ。
「では、始めます」
長久さんが祝詞を唱える。
台にまつられた宝玉が光を発した。内に秘められた青白いきらめきが玉の枠を出て燃え盛る。
炎が小夜さんの体に乗り移った。
思わず悲鳴を上げかけたけど、前に出ようとした朧さんを男性が止めた。魔を祓う儀式に必要なプロセスと知って傍観に努める。
小夜さんをおおう青白さが暗さを帯びる。
藍色になった揺らめきが火柱に転じて天を衝いた。龍のごとく天を昇ってUターンする。
炎が宝玉に収まった。先程までの荒々しさが嘘のように静まり返る。
長久さんが深く息をつく。
「終わりました。もう大丈夫です」
私は朧さんたちに続いて小夜さんのもとに駆け寄る。
皮膚を穢していた禍々しい紋様が消えている。耳を澄ませると安らかな寝息が聞こえる。
私はほっと胸をなで下ろした。
「ありがとうございます長久さん」
「私は私にできることをしただけですよ」
揺らめきが気になって振り向く。
台の上に鎮座する宝玉。儀式開始時の清浄な青白さはどこにもない。
「宝玉の色変わっちゃいましたね」
「新たな穢れを吸わなければ直に浄化されます。問題はありませんよ」
「その宝玉はどうするのだ」
「嶺様のもとに返します。人の手で奪われた神器、人の手で神に返さねば道理が通りませんから」
「承知した。このたびは同胞を助けてくれたことに感謝する。この恩は一生忘れぬ」
「でしたら後片づけを手伝ってくれませんか? 庭の景観をもとに戻さねば怒られてしまいますゆえ」
二つ返事で片づけに取りかかった。儀式の道具を倉庫に収めて、スパークで焦げた雑草や飛び散った枝を袋に詰める。
作業を終えて解散した。
小夜さんは気がつくまで別棟で寝かせるらしい。私は朧さんたちと別れのあいさつを交わしてゼルニーオに歩み寄る。
「お待たせ。じゃあ行こっか」
「本当に行くのか」
「もちろん。怖くなっちゃった?」
「誰に物を言っている」
ゼルニーオがお腹を浮かせて四本の足で立つ。
私たちは多くの視線に見送られて邸宅を後にした。
ゼルニーオを連れての転移はできないらしい。私は妖華からラティカへ向かう船に乗った。
乗客からは大いに視線を受けた。
船上にはペットを連れているプレイヤーが大勢乗っていた。
スライムやネコがいる中でもゼルニーオの姿は一際目立つ。私の頭上を越しているし、体表は銀河を映しているように神秘的だ。何事かと思われて遠目から観察された。
その間ゼルニーオは静かだった。
見世物じゃないぞ人間! くらいは言うと思っていたけど、何だかんだ緊張しているのかもしれない。
満をじしてラティカに入港した。
アップデート初日に出たクラーケンとは遭遇しなかった。穏やかな船旅で終えられたことを感謝してアスチック山を目指す。
アスレチックじみた地形を乗り越えて山頂までたどり着いた。
「心の準備はできた?」
「ああ」
「じゃあ行くよ」
私はとびらを開けて精霊界に踏み入った。
当たり前だけどすぐ精霊たちに包囲された。
ゼルニーオがやったことは精霊界全体に知れ渡っている。
国家転覆なんて日本でも重罪だ。駆けつけた軍属の精霊によって私たちは連行された。
ゼルニーオは牢屋に、私は取り調べのために別室に案内された。
私は考えていることを包み隠さず伝えた。
私の名前は国賊を討った恩人として広まっていたようだ。尋問官が私のあつかいに困っていると精霊王からの使いがやってきた。
私は使者によって玉座の間に連れ出された。玉座の上で大きなライオン頭が複雑な表情を浮かべている。
両脇には騎士がひかえている。
この前謁見した時にはいなかった。私も警戒されているみたいだ。
「久しいなヒナタ。早速だが、今回は何の目的で精霊界を訪れたのか聞いておきたい」
「ゼルニーオに謝らせようと思って連れてきました」
「謝らせる? 今までの所業についてか」
「はい。みんなゼルニーオのことが気掛かりでしょ? 報復はないってことを伝えて安心させてあげないと」
ディカーンが小さくため息をついた。
「ヒナタよ、君はこんなに破天荒な少女だったか?」
「そこまで道理から外れてますか? ゼルニーオの背景を知った今ではそうは思えません」
「そうか、ヒナタは知ったのか」
「はい。ゼルニーオは確かに悪いことをしましたけど、純粋悪として処断するのは違うと思うんです。一度謝罪の機会を恵んであげてくれませんか?」
精霊王が腕を組んでうなる。
私だって勝ち目のない交渉はしない。
精霊と妖怪は仲が悪いと聞いた。私とのつながりを絶ったらディカーンはアーケンを追えなくなる。そう簡単には私とのつながりを断てないはずだ。
それにディカーンは以前ゼルニーオに情けをかけた。個として思うところがある証拠だろう。温情を引き出せる余地は十分にある。
「あい分かった。場を整えるから待合室で待っていてくれ」
「分かりました」
命を受けた近侍の後に続いて待合室に入った。
ソファーに座って思考をめぐらせること数分。近侍がとびらを開けてむかえに来た。
再び玉座の間に入ると、高そうな衣服を身にまとう人型がずらっと並んでいる。大方貴族や大臣といったお偉いさんだろう。
程なくして、武装した二匹の精霊が拘束されたゼルニーオを連れてきた。
精霊王が重々しく口を開いた。
「これより罪精ゼルニーオに対しての審問を行う。罪状は国家転覆。おのれが欲のために秩序を乱し同胞を傷つけた罪は重い。本来なら問答無用で死刑を言い渡すところだが、ヒナタの嘆願により弁明の機会を与えることにした。言いたいことがあるなら述べよ」
ゼルニーオが精霊王を見すえる。
その瞳に宿る光に怒りや憎悪の色はない。
「まずは精霊王、そして精霊界に住まう全ての者に謝罪する。私は長きに渡り憤怒に身を委ねてきた。出自によりもたらされた理不尽への怒り、そして理解されぬ孤独に負けてあのような騒動を起こすに至った。だが怒りを向けるべきは、決して彼らではなかったのだ。多くの信頼を裏切り傷つけたこと、ここに詫びさせていただく」
野次の一つや二つ覚悟していたけど罵声は飛び交わない。
ディカーンが視線をスライドさせて私を見た。
「次にヒナタ、君の考えを聞かせてくれ」
「はい」
すーっと空気を吸って自分の考えを言葉にする。
一通り告げて精霊たちの議論が始まった。
大半はゼルニーオを咎める内容。その一方で反省すべき点はあったと主張する者もいる。
一通り語り尽くされて、ディカーンが重い口を開いた。
「我々にも非があったことは認めよう。だがそれを踏まえてもゼルニーオはやりすぎた。アーケンの非道な実験に手を貸して同胞を売った。謝罪程度では民草の溜飲は収まらんだろう」
ゼルニーオがうつむく。
やっぱり駄目なのかな。威勢のいいことを言って連れてきたのに、これじゃ本当にただのおせっかいだ。
ディカーンが声を張り上げる。
「精霊王の名において判決を言い渡す! ゼルニーオ、お前を精霊界からの永久追放とする。贖罪を兼ねてその力をヒナタに捧げよ」
「私に?」
発言の許可をもらってないのに思わずつぶやいてしまった。
死刑宣告されなかったことよりも、判決に私の名前が出たことに驚きを隠せない。
ディカーンが私に視線を向ける。
「我々の不手際、精霊界に対する長年の貢献、境遇を踏まえて安易に処刑すべきではないと判断した。だがそれだけだ。我々は手放しにゼルニーオを信用できない。冒険者には主従の関係を結んで対象を縛る術があると聞く。確かテイムだったか、ヒナタにはそれをゼルニーオに施してほしい」
「テイムって、でも」
ゼルニーオにもプライドがある。私の下につくなんて嫌だろう。
「ヒナタが首を縦に振らぬなら、我々もゼルニーオを野放しにはできない。悪いが永劫牢の中で過ごしてもらうしかない」
「そんな、いくら何でも――」
「ヒナタ」
呼びかけられてゼルニーオの方を見やる。
初めて名前で呼ばれた気がする。
「ここに来たきっかけは貴様にほだされたことだが、精霊界に戻る前に罰を受ける覚悟はすませてきた。どのみち情けをかけられなかったら滅びていた身だ。ヒナタが決めると言うならいさぎよく受け入れよう」
胸の奥がじんわりと温かみを帯びる。
戦ってまだ一日も経ってないのに私を信頼してくれている。それが純粋にうれしい。
でも私は守ってあげると約束した。見捨てる選択肢は最初からない。
「分かった。ゼルニーオ、私のペットになってくれる?」
「是非もなし」
私はゴンドラレースの優勝賞品を実体化させた。テイミングアイテムの契約書を広げてゼルニーオにかざす。
青紫の前足が契約書に触れる。
ほのかな光が起こった。私とゼルニーオの間に光の線が走る。
それは何事もなかったように空気に溶けた。
「従属の契約、このディカーンがしかと見届けた。審問はこれにて閉廷とする。速やかに精霊界から出て行くがよい」
ゼルニーオが頭を下げる。
私も一礼して玉座の間を出た。




