第92話
「ヒナタ!」
視界が右にぶれる。
小夜さんと宙に放り出された。一拍おいて私たちのいた階層で爆発が起こる。
間一髪。
でも危機は続いている。足場を失った体は重力に引かれて落ちている。
小夜さんが顔に手を添えた。いつぞやの赤い霧がお面をなして顔をおおい隠す。
間近に迫った地面が遠ざかった。浮き上がるような感覚に遅れて屋根に着地する。
まさかの空中ジャンプだった。
「今のも忍術ですか?」
「そんなところだ。とにかくここを脱出するぞ」
「はい」
地上へ続く階段を目指す。
後方でカンカンカン! と金属質な音が鳴り響いた。常軌を逸した大声がくノ一二名を捕縛するように号令をかける。
私たちは屋根の上を走っている。忍び装束じゃなくてもすごく目立つ。
たちまち鬼たちが集まってきた。
「止まれいそこの女子! 食ってやるからよォ!」
屋根に上がった個体が進行方向をふさぐ。
小夜さんの一振りでポリゴンと化して砕け散った。
相手は身体能力に優れた鬼なのに、やっぱりこの状態の小夜さんは無敵だ。
「ごめんなさい、私のせいで」
「ヒナタのせいではないだろう。あの鬼が人を見抜くのに長けていただけだ。私一人潜入しても結果は同じだったよ」
そうなのかな。
あの男性、私を見て「見つけた」と言ってた。明らかに私のことを知ってるプレイヤーだ。
どこで会ったんだろう。全く思い出せない。
「逃がさんぞ女ァッ!」
振り向くとさっきのプレイヤーが屋根上を走っている。
すごいスピードだ。他の鬼を砂利のごとく蹴散らしながら距離を詰めてくる。私のビルドはAGI特化なのに、この身体能力の差は何なの?
逃げ切れない!
「先に行けヒナタ」
般若の面が視界を横切った。
「小夜さん!」
足を止めそうになったものの、くやしい思いをのみ込んで階段に足をかけた。
小夜さんが反転したのは、私の足じゃ逃げ切れないと悟ったからだ。私が階段をのぼらないと小夜さんも逃げられない。
踊り場で反転するたびに戦闘模様が視界に入る。
二つの人型が攻撃を繰り出しながら街中を移動する。進行方向にいる鬼をついでのように砕いて剣戟を交わす。地形を活かした立ち回りは立体的で見ごたえがある。
観戦したい欲を振り払って次の段差に足をかける。
破砕音がとどろく。
見下ろすと小夜さんが地面にひざをついていた。
「小夜さん!」
小夜さんが立ち上がって腰を落とす。
赤い閃光が発せられた。霧状の刃が拡散して建物や地面を切り刻む。
サイクロンエッジかな? 見た目はだいぶ違うけど。
「ほう、いい攻撃だな女」
砂ぼこりが払われる。
まともに小夜さんの技を受けたはずなのに、男性は微笑すらたたえていた。
「攻撃が効いてないの?」
小夜さんの攻撃は鬼を一撃でほうむる威力がある。この前遭遇した二人のプレイヤーもろくに反撃すらできなかった。
今回の攻撃は明らかなスキルだった。威力だって比較にならないはずなのに。
男性が一歩足を前に出す。
小夜さんが負けちゃう。
私は焦燥に駆られて左の前腕を右手で握る。
大きな青紫のクナイが実体化した。螺旋を描いて高い音をまき散らす。
「小夜さん!」
呼びかけてフュージョンバレットを射出した。
男性は避けもしない。振り向いた顔面にクナイが直撃する。
長身が地面の上を転がったものの、やはりむっくと起き上がった。
「焦るな。お前は次だ」
男性が不敵に笑む。
何かに気づいたように右側頭部を向けた。
「銀、貴様も来ていたか。ちょうどいい! お前たちがオレを踏み台にして得た物、全てここで吐き出させてやる!」
屋根上へ向けての咆哮。もちろんそこには誰もいない。
幻覚の効果時間は短い。すぐに小夜さんを引き上げに行かないと。
私が動く前にかぎ爪のような器具が飛んできた。階段に引っかかって甲高い音を鳴らす。
見下ろすと小夜さんが垂れ下がる縄を伝って上ってきた。
「小夜さん!」
同行者がとなりに着地する。
「待たせたな。地上に出よう」
「はい」
下からとどろく怒号を無視して階段を駆け上がった。仮面を解いた小夜さんと地上に出て洞窟を逆走する。
さらに日の下を走って物陰に隠れた。
鬼が追ってくる気配はない。
逃げ切れたと知って二人で安堵のため息をついた。
「何とか逃げ切れたみたいですね」
「そうだな。しかしどうして見破られたんだ。他の鬼は全く気づきもしなかったのに」
それは私にも分からない。
考えるのは後だ。まずは安全な場所まで退避しないと。
「ぐっ」
小夜さんが地面にひざをついた。
「小夜さん!?」
「う、あ……っ」
小夜さんが頭部を抱えて目を見開く。
様子がおかしい。すぐ医者に診てもらわないと。
でもアイセの世界に病院あるのかな?
マップを開いて該当しそうな建物を探していると、小夜さんが荒い息を整えて腰を上げた。
「すまない、もう大丈夫だ」
「大丈夫って、そんなわけないじゃないですか。とにかく街に行きましょう」
「大丈夫だと言っている。少し頭痛がしただけだ。そんなことより次の計画を立てるぞ」
少し頭痛がしただけ? あんなに苦しそうだったのに?
絶対嘘だ。これまでだって何回も具合が悪そうにしてた。
何を隠してるのか知らないけど、今日という今日は聞き出さなきゃ。
「駄目です。しばらくは安静にしてください」
「そんな暇はない」
「どうしてですか? それもいつか話すじゃ通りませんよ。今までも何度か話に上がりましたけど、結局話してくれてないじゃないですか」
「それは……」
小夜さんが顔を逸らす。
いつもはきはきしてしゃべる小夜さんが言いよどんだ。後ろめたく思っている証拠だ。
このまま押せば理由を聞き出せるかも。
「あーヒナタこんなところにいた!」
バッと振り向いてダガーの柄に腕を伸ばす。
追っ手の鬼だと思ったけど、声の主は浮遊するねこだった。
「何だにゃん丸か、おどかさないでよこんな時に」
「今回はオラっち悪くないでしょ。そんなことよりすぐに来て! 急に過激派が領土を懸けて試合やるって言いだしたんだ! 頭領はまだ戻って来ないし、このままだと不戦敗になっちまうよ!」
「それは大変だね。分かった、すぐに――」
行くよ。そう告げる前に小夜さんの存在を思い出す。
まずは穏便派のことを小夜さんに伝えないと。
「ヒナタ、まさか妖怪とつながっていたのか?」
思った通り小夜さんが動揺している。
すぐに誤解を解かなくちゃ。
「違うんです。妖怪には過激派と穏便派がいて、この妖怪は人を襲わない派閥に属しているんです」
「味方っていうとちょっと違う気もするなぁ」
「にゃん丸黙って!」
「そうか、分かったぞ。あの時鬼にサインを出していたんだな。だから潜入がばれたのか」
「誤解です! 小夜さん私の話を聞いて!」
「おかしいと思っていたんだ。忍び装束を着込んでいるのに忍術を使えないし、かと思えば足は異様に速い。ヒナタが鬼とも通じていたならしっくりくる」
何で、どうしてそんな悪い方向にいくの?
小夜さんがどこからともなく球体を取り出した。
「ヒナタ、君は破門だ」
小夜さんが足元の地面に球体を投げつける。
寂しげな表情が煙の灰色におおい隠された。
「待って小夜さん!」
駆け寄って腕を伸ばしたけど手ごたえはない。
忍術を使えない私には、煙が晴れるまで小夜さんに呼びかけることしかできなかった。
ザンキはヒナタが人間サイドのプレイヤーだと見破ったわけじゃありません




