第82話
私は一度街に戻った。
昼夜の逆転は時間経過だ。宿と言っても名ばかりで、昼夜を逆転させるシステムはない。
夜になるまでの時間つぶしを兼ねて街の中を歩いた。
商店や武家屋敷。カフェの代わりに設けられた和の香り漂う茶店。私でも知っている旧い日本がここにある。見慣れないのに不思議と心はおだやかだ。
日が昇って街を覆っていた闇が晴れた。
リアルよりも時の流れが早いらしい。妖しい美をはらんだ景観から一転して人々とプレイヤーの活気が街をにぎわせる。
おいしそうな匂いにつられてお店に立ち寄った。赤い傘の下で魚の塩焼きにかぶりつく。
淡白かつ上品な味わいに口角が上がる。
そういえば夕食まだだったっけ。今日は何かなぁ。
鮎に似た食感に舌鼓を打っているとカシャッと音が鳴った。
視線を振った先には、カメラをかざしたようなポーズを取る二人がいる。私には見えないだけで、彼らの視界にはカメラ機能が映っているのだろう。
食べているところを撮られたみたいで微かにほおが火照る。
彼らはお店の写真を撮りたかっただけだ。自分が撮られたなんて自意識過剰にもほどがある。
ぱくぱくと食事の手を速めて床几から腰を浮かせた。
ウィンドウが浮かんでHP自動回復の文字が表記された。さっきの塩焼きを食べると一定時間だけ特殊な効果がつくようだ。
気持ちを新たにして街の外に出た。昨晩ミザリと散歩したルートから外れて、最寄りの採取ポイントへ一直線に駆ける。日光に照らされた地面を走っていると清々しい心持ちになる。
ルートを開拓しながら植物や鉱石を採集する。
一通り走り回ってもまだ日は落ちない。昨晩釣り場を見つけたし釣りにチャレンジしてみようかな。
そう思って釣り場に足を運んだら先客がいた。年が近そうな女の子だ。
親近感がわいたのも一瞬のこと。結構本格的な釣り人の装いを見て確信する。
この人、プロだ。
少女と目が合った。帽子の下でツリがちな目がまばたきする。
「ヒナタ?」
「え」
どうして私の名前を知ってるの。
そう告げる前に思い至るものがあった。
身にまとう衣服が全然違うから気づかなかったけど、凛としたこの雰囲気には覚えがある。
「ルイナさん。どうしてここに?」
「釣りがしたかったから」
「へえ、釣りが趣味なんだね。リアルでも魚を釣りに行くの?」
「子供の頃は父に連れて行ってもらったわ。今はたまにしか釣りに行かない」
「喧嘩中?」
「喧嘩はしてない。単に生臭いのが嫌なだけ」
「あー魚の生臭さね。子供の頃は大丈夫でも気になるよね」
「それもあるけれど、ここにはゲームハードをかぶるだけで来れるから」
まさかの利便性優先。
でもVR技術が発達している現状だとこれが自然なのかも。
「でもたまにってことはまだリアルでも行くんでしょ。どうして?」
「あの生臭さがくせになるから」
「……そっか」
よく分からない。釣りに行けば分かるんだろうか。
私は足を前に出してルイナさんとの距離を詰める。
「ここよく釣れる?」
「釣り始めたばかりだから分からないわね」
浮きがピクッとする。
ルイナさんがチェアから立ち上がった。細い腕がリールを巻いて腕を振り上げる。
水面から魚が上がった。
「やったね」
「ええ。ちょうど欲しかった魚だわ」
「そうなんだ。その魚って何に使えるの?」
「料理の素材になる」
「プレイヤーは料理できるの?」
「できるわよ。調理師のジョブがあれば」
調理師か、何かそれっぽい響きだ。
「何なら食べてみる?」
「いいの? それ欲しかった魚なんでしょ」
「魚なんてまた釣ればいい。嫌なら無理にとは言わないけれど」
「ううん、食べる」
せっかくの機会。ここは食べる一択だ。
「あ、食べ方リクエストしていい? 塩焼きにしてほしいんだけど」
「いいわよ。少し待ってて」
ルイナさんが小さな箱から包丁を取り出した。慣れた手つきで下処理をすませて塩をふりかける。
繊細な手が踊り串を魚に刺してたき火にさらす。
パチパチと小気味いい音が鳴る。
「こんな簡単にできちゃうんだ」
「手の込んだものは小難しいけれど、塩焼きみたいなお手軽料理だとこんなものね。きれいな嘘ってやつじゃないかしら」
いつだったか、バーバラさんが似たようなことを言っていたっけ。
料理には長時間漬けて寝かせる作業もある。料理に情熱を注ぐ人はともかく、そんな仕様だと大半の人に敬遠される。
大勢に調理師のジョブを楽しんでもらうには今の形が適しているってことか。
「ずっと気になってたんだけど、その格好は雰囲気作りのためなの?」
「それも理由の一つね。この衣装を身に着けていると料理に使える魚が釣れやすくなるのよ」
ルイナさんが串を回して火の当て方を変える。
しばらくしてルイナさんが串を持ち上げた。
「いいできね。どうぞ」
「ありがとう」
串を受け取って口元に近づける。
思ったほど熱くない。食べやすいように温度が調整されているのかも。
ぱくっと一口。
ほろほろした身に口当たりのいい油。口の中で溶けるみたいに食べやすい。
ぺろりとたいらげてしまった。満足の息をつく前に半透明な長方形が浮き上がる。
HP自動回復の特殊効果に加えて、一定時間VIT上昇の効果もある。
「どうだった?」
「おいしかった。魚の種類のせいかな? 同じ塩焼きなのにお店で食べたものと効果が違うみたい」
「調理師のスキルね。別の素材も使って作れば特殊効果が増えたり強くなったりするの」
「それはすごいね。毎回料理を食べてから戦った方がいいってことじゃない」
「あまりおすすめはできないわね。与えるダメージに直結する効果は高級料理を食べないと得られないから」
「防御面を補強するのは駄目なの?」
「駄目じゃないけれど、人は慣れると効率を求めちゃうでしょう? マニーを払ってまで耐久を高める価値はない。それが今の主流なの」
「そうなんだ。教えてくれてありがとう」
言われてみると慣れた狩りって動きがリファインされるし、VIT上昇が役に立つ場面って少ないかも。私の場合は攻撃をかわすこと前提のビルドだし。
でも上昇が固定値って点に可能性を感じる。一撃で即死する相手と戦う際には有用だ。
これから先そういう機会がないとも限らない。頭の隅に入れておいて損はない。
「あなたはずっと笑顔ね」
「そう? 意識したことはないけど、ルイナさんと話してるからかな」
「私といて楽しい?」
「うん。今日まで調理師や料理の効果なんて知らなかったし、新しいことを知るのは気持ちいいよ」
「そう、ならよかった」
ルイナさんが釣り竿を持ってチェアに腰かけた。
「釣りの邪魔をしてごめんね。私が後片付けするよ」
「私も食べるからそのままでいい」
「りょうかい。邪魔にならなければでいいんだけど、私もここで釣りしていいかな?」
「ええ、いいわよ」
「ありがとう」
私はコンソールを開いてデフォルトの釣り竿を実体化させる。
チェアの上に腰を落ち着けて、日が落ちるまで釣り談義に耳を傾けた。




