第80話
「船を守れ!」
NPCの号令を機に巨大イカとの交戦が始まった。
私も鞘からダガーを抜き放って床を蹴る。
触手が船の床目がけて振り落ちた。破砕音が鳴り響いて足場の一部がくずれ落ちる。
床が全部なくなったらどうなるんだろう。そのまま沈没しちゃうのかな。
そんなの困る。破壊工作を阻止するべく触手を斬りつける。
大雨まで床を打つ中、触手が引き戻されて海に消える。
他のところでも一本、また一本と視界から消える。
全ての触手が引き上げたのもつかの間。大きなイカ頭が顔を出した。
「クラーケンですね」
「何それ」
「巨大なイカの怪物です。タコって説もありますけれど」
「そんなのがいるんだね」
イカだろうとタコなぐりすることに変わりはない。触手の刺突やイカスミブレスを交わしつつ攻撃を積み重ねる。
イカがのけぞった。大きな頭が落下して視界内から消える。
その一方で触手は外れない。ベキッと嫌な音が鳴り響いて振り返る。
それはマストが折れた音だった。
「ちょっと⁉」
折られたのは、帆を張るために立てられた垂直棒。
マストがないと船が風を受けて進めない。どうなるのこれ。
触手がギュルッと船に絡みついた。
「わわっ!」
船体が大きく傾いた。とっさに手すりを握りしめて滑り落ちを回避する。
刻一刻と傾きの度合いが増す。
やがて船が沈み始めた。海面が渦を巻いて船だった物を徐々にのみ込む。
必死に手すりにしがみついたものの、船全体が海に沈んだら何の意味もなかった。
「ねえ、大丈夫かい?」
「ん……」
正面に女性の顔が映る。
背景にはオレンジ色の空。鉛のように重い色合いの雲はどこにもない。
私はおもむろに上体を起こす。
「ここは?」
「妖華の砂浜だよ。散歩してたらあんたが流れ着いててびっくりしちまった」
見渡すと目新しい景観が視界に映る。
今妖華って言ったけど、私は目的地に着いたってことなんだろうか。
「私以外に誰か流れ着いてませんでしたか?」
「いや、お前さんだけだよ」
「そう、ですか」
私より早く目が覚めて散歩してるとか?
ないか。他のプレイヤーならともかくミザリがそんな真似するはずないし。
流れ着いてないなら仕方ない。私は砂浜から腰を浮かせる。
男性に街まで案内してもらえることになった。私はおしりについた砂を払い落として大きな背中に続く。
よくよく見ると女性の装いは和風だ。見覚えのある様相を前に口元がゆるむ。
砂浜の地面を脱して進む内に日が落ちた。
歩いた先には桜の木が点在していた。
月夜を背景に広がる桃色の花は妖しくも優雅。ひらひらと花びらが舞い踊るさまは幻想的の一言に尽きる。
桜のアクセントと言わんばかりに建物が配置されている。妖しい美を背景に灯るちょうちんは何とも温かそうだ。
きれいな場所ですねと言ったら同意された。
その一方で警告された。
妖怪や鬼の動きが活発で夜中に出歩くのは危ない。大方精霊王に告げられた通りだった。
宿の場所も教えてもらった。私はお礼を言ってチェックインをすませる。
早速外を散歩するべく部屋を出ると正面のドアが開く。
見知った顔と目が合った。あどけなさの残る顔立ちがパッと華やぐ。
「ヒナタさん! 無事だったんですね!」
「ミザリも大丈夫そうだね。よかった」
ゲームの中とはいえ難破のイベントはインパクトがありすぎた。内心ほっと胸をなで下ろす。
話を聞くにミザリも砂浜に流れ着いたらしい。イベントだから一人ずつ起こるように調整されているのかもしれない。
「私これから外に行く予定だったの。よかったらミザリも行かない?」
「行きます!」
二人で夜天の下に出た。雅な景観をしり目に流しつつ景色の感想を交わす。
「ヒナタさんは装いが和風だから映えますね。私は黒ローブだから浮いちゃいます」
「ミザリも和風の装いにしたらいいよ。弓道部に属してるって話だし、道着なんか似合うんじゃない?」
「道着ですか。分かりました、今度似てる防具やコスチューム探してみます」
「無理しなくていいからね? ミザリがその格好気に入ってるならそのままでいいんだよ」
「ありがとうございます。でもせっかく前髪切りましたし、色々挑戦してみようと思うんです」
「そっか。じゃあミザリの着せ替えショー楽しみにしてるね」
「え、あの、ショーはちょっと恥ずかしいので」
冗談交じりに笑いながら夜の地面にブーツの跡を刻む。
街の外を出歩いても襲われる気配はない。
さすがに街を出てすぐ襲われるってことはないようだ。
「今回のアップデートから動物をペットとして飼えるんですよね。ヒナタさんは何をテイムするか決めてますか?」
「ううん、まだ決めてない。ミザリは決めてるの?」
「明確には決めてません。でも和風の国ですし、日本らしい動物がいいなとは思ってます」
「日本らしいっていうとサルとかイノシシ?」
「たぬきさん辺りで許してほしいです」
ミザリが苦笑いする。
私も小さく笑った。
「せっかくのペットだしかわいい方がいいよね」
「そうですね」
離れた茂みがごそっと鳴る。
エネミーかと思って身構える中、小さな影が茂みからぽてっと出てきた。
丸みを帯びたしっぽ。間抜けな印象のある顔。そしてふわふわしていそうな毛並み。
まさにうわさをすればだ。
「たぬきさん!」
ミザリが口角を上げて駆け寄る。
止めようか逡巡したものの、たぬきにエネミー特有のアイコンはない。
ただの野生動物らしい。
「たぬきさ~~ん」
ミザリが黄色い声を上げて腕を伸ばす。
好奇心の強さと警戒心の薄さで人なつっこいと勘違いされがちだけど、現実の野良たぬきは人を避けるとされる。
狂犬病の危険もある。見つけても近づかない方がお互いのためになることも多い。
そんなしがらみはゲームの世界には関係ない。たぬきがなされるがままになでられる。
繊細な指によしよしされるたぬきが気持ちよさそうに身を委ねている。
私も触りたい!
「わ、私も」
意を決して足を前に出す。
たぬきが悲鳴を上げた。
「た、たぬきさん?」
戸惑うミザリの前でずんぐりした体が身をひるがえす。
そのまま一目散に茂みの中へと駆け戻った。
「なんでっ⁉」
月下、私の抗議の声がむなしく響き渡った。




