第56話
エーファさんと精霊界に戻った。長老に調査の成果がなかったことを告げる。
報告する間長老の仕草を注視する。
私とエーファさんの行き先を知り得たのは長老だけだ。
どうやって情報をアーケンに知らせたかは分からない。でも可能性があるなら確かめておかないと以降の捜索に支障が出る。
人面が笑んだ。
「報告ご苦労。もぬけの殻で残念だったな」
「はい。でも私たちはあきらめません。同胞の仇は必ず打ちます」
「うむ、その意気だ。犠牲となった同胞も浮かばれよう」
人面からすっと笑みが抜ける。
「して、これからお主らはどうするつもりなのだ?」
「次の拠点候補を探します。というより、すでに新たな候補は絞り込めております」
「ほう」
長老が目を細める。
感心か、あるいはいぶかしんでいるようにも見える仕草だ。
どっちだろう。
そう思っていることすら表に出すことは許されない。
「しかしお主らは拠点候補となる場所を回ったはずだ。次はどこへ向かおうと――」
「事は急を要します。また逃げられては構いませんから、私たちはこれで失礼します!」
私はエーファさんを肩に乗せて身をひるがえした。制止の声を無視して手足を動かす。
「まったく、あやつらは」
長老が愚痴って元来た道をたどった。周囲を見渡してから小さく詠唱する。
輝く長方形が宙を飾った。一拍遅れて男性の顔が映し出される。
「やあ同志ゼルニーオ。めずらしいじゃないか、君がこんな頻繁に連絡を寄越すなんて」
「急用だ。奴らが次の拠点の場所を突き止めたらしい」
「ここをかい? 君の連絡であの拠点を放棄したばかりなのに、一体どういう理屈でばれたんだ」
「知らん。奴ら、私が話を聞き出す前に精霊界を出おった。これだから最近の若いもんは」
「老害に言われても説得力ありませんね」
四つ足の獣がバッと振り向く。
驚くその顔をにらみつけてやった。
「貴様ら、どうしてここにいる⁉」
「あなたの跡をつけてきたんですよ」
「これは一杯くわされたみたいだねゼルニーオ」
アーケンらしき男性がクックと可笑しそうに喉を鳴らす。
長老がいまいましげに歯を食いしばった。
「ええい笑うなアーケン!」
「すまんね」
まさに対岸の火事だ。アーケンは明らかに楽しんでいる。
画面の向こう側で笑う男性は無視。居場所を聞き出す前にやるべきことがある。
「長老、これはどういうことですか」
エーファさんも目つきを鋭くする。
エーファさんは友人を亡くしている。その原因となった人間と通じていたとなれば怒りもひとしおだろう。
長老がおもむろに向き直る。
「ばれてしまっては仕方ない。お前たちが見た通りだ、アーケンに情報を流していたのは私だよ」
「何故ですか! その人間は我々の同胞を手に掛けたのですよ!」
「若く、ありたかったのだ」
「は?」
肩から素っとんきょうな声が上がる。
長老の表情は大真面目だ。
「老いは精霊にもある。じきに魔素の結合が弱まり、この体は宙に溶け消えるだろう」
「それが我々精霊のさだめです。長老だって同胞に説いてきたことでしょう」
「知っていることと受け入れることは話が別だ。私は怖かった。膂力が低下し、死へと近づくこの現状を変えたかった。そんな時、この人間に会った。豊富な知識と技術を持つこの男ならば老いを超越せしめるかもしれん」
「だから手を貸したと? そんな、利己的なことのために」
「断じて利己的ではない。これは精霊という種族全体の進化にもつながるのだぞ」
「嘘をつかないでください! あなたは自分の死が怖かっただけじゃないですか! 私の友人は、同胞たちは、あなたの寿命を延ばすための道具なんかじゃない!」
エーファさんが目元に涙をたたえて叫ぶ。
長老が深くため息をついた。
「やはりこうなったか。理解されないと思ったから黙っていたというのに」
物音がして横目を振る。
数十の精霊が私たちを囲んでいた。
長老の加勢に来たのかと内心身構えるものの、それらの険しい視線は全て長老に向けられている。
「さっきまでの会話は魔法で全精霊に中継させてもらいました。長老、いえゼルニーオ。観念してください」
ゼルニーオが視線で周囲を薙ぐ。
人面がフッと笑みをこぼした。
「この私を捕縛か。大きく出たなエーファよ」
「この数を見てよくそんな口が叩けますね」
三匹のライオンが地面を蹴ってシカ姿に迫る。
悲鳴に遅れて三つの巨体が宙を舞った。
天を衝かんとばかりに伸びたのは巨大な根っこ。勢いよく飛び出したそれらが生き物のようにうねる。
「なめられたものだ。何故衰えるばかりの私が長老を努めていると思っとる。老いてもなお貴様らより強いからに決まっておろうが」
私は精霊に混じってダガーを構える。
ゼルニーオが魔法的なウィンドウに横目を振る。
「アーケンよ。喜べ、例の術式を使ってやる」
「正気かい? あの術式は未完成だ。補助となる道具がないと機能しないはずだが」
「なーに、道具はある」
ゼルニーオのすぐそばで根っこが伸びる。
その先端には黒ずんだ丸い物がはまっている。
私は目を見張った。
色が全然違うけど間違いない。
「それ私の!」
「すまんな人間のお嬢さん、これは私が大事に使わせてもらう。大事な物をうかつに預けたおのれの純粋さを恨んでおくれ」
宙に大きな紋様が浮かび上がった。変化の妖玉がカッと光って辺り一帯を白く染め上げる。
反射的に目を閉じた。まぶた越しの圧力が引いて目を開く。
長老が大きくなっている。元から私の背丈を越していたけど、今はその倍近くある。
力なく垂れていた首は力強く上を向き、獣くさい体毛は消え去って神秘的な藍色を帯びている。その身に宇宙を映し出しているみたいだ。
「成った」
甘い声が、驚き戸惑う私たちの意識を現実に引き戻した。しわだらけの人面はどこへやら、シカらしいとがった頭部が私たちを睥睨する。
すらっと伸びる脚が地面を突いた。雑草が急激に成長して生い茂る。
「この力強き足! 自然が応えるような圧倒的霊力の通り! これだ、これこそ私が求めてやまなかった若く美しい肉体! この力さえあれば私は王にだってなれる!」
「王って、まさか精霊王に挑むつもりですか?」
精霊王なんているんだ。
すごそうな響きなのに、ゼルニーオの方は不敵な笑みをくずさない。
「無論だ。この力、この威容。森羅万象が見ても王にふさわしいだろう。まさか先程私が語ったことを信じたのか? おろかな、そんなだから友をみすみす改造されるのだ」
「お前が言うなああああアアアアアアアアッ!」
エーファの怒声がゼルニーオの嘲笑にかき消された。地面が隆起して新たな根っこが顔を出す。
突っ込まないか心配したものの、エーファさんは叫び終えるなり深呼吸して落ち着いた。
「ヒナタ、私は精霊王に奴のことを伝えてきます。この場を任せてもいいですか?」
「させん!」
私が返事をするより早くゼルニーオが声を張り上げた。神秘的な巨体から発せられた波動が空間をなでる。
エーファさんがバッと空を見上げた。
「これは結界ですか。あんなことを言って、結局精霊王が怖いんじゃないですか」
「たわけたことをほざくな鳥風情が。物事には順序があるのだ。王座の簒奪は貴様らの口を封じた後で行えばよい。さあ!」
新たな精霊王誕生の礎となれ!
その言葉を皮切りに、巨大なシカの頭頂で『ゼルニーオ』の文字が表記された。
精霊たちが徒党を組んで距離を詰める中、根っこがシカ型の周りをおおう。
根っこの隙間から詠唱の声がもれる。
計四個の大きな氷が宙を飾りつけた。駆け寄る精霊たちへ向けて砲弾のごとく射出される。
「ヒナタ、こんなことに巻き込んですみません。頼めた義理ではないかもしれませんが、私たちと一緒に戦ってくれませんか?」
「もちろんだよ。私たちもうお友だちでしょう」
「ありがとう」
笑みを交わしてゼルニーオに向き直る。
巨体の周りは根っこのバリケードにおおわれている。まずはあの守りをどうにかしないと。
ポーチから取り出した果実を口に入れて攻撃力を上げる。
剣のアイコンを一瞥して根っことの距離を詰めた。伸びた根っことすれ違って上半身ごと腰をひねる。
切断された根っこが宙を舞った。落雷を思わせる音に遅れてバリケードがくずれ落ちる。
雷の方にも当たり判定があるらしい。いつもエネミーを通り過ぎるから気づかなかった。
「根っこのバリケードがくずれたぞ!」
「人間の少女に続け!」
藍色の前足に駆け寄ってダガーの刃でなでつける。
硬質な感触が返ってきた。ヒットエフェクトは青。ほとんどダメージが通っていない証だ。
次は後ろ脚を狙ったものの、舞い散ったのはさっきと同じ青のエフェクト。精霊たちも攻撃しているのにうめき声一つ上がらない。
「だったらこれはどう?」
回復したMPを注ぎ込んでサイクロンエッジを放った。
多くのエネミーをひるませてきた渾身の一撃。
期待して振り向いた先には、平然と立つゼルニーオの姿があった。
「嘘でしょ……」
呆然とする中、ゼルニーオの体が鈍く発光する。
熱を感じてとっさに両腕を交差させる。
「きゃっ!」
ブーツの裏が地面を離れた。浮遊感に遅れて背中に衝撃が走る。
まぶたを開けると地面が金色を帯びていた。地面を染めるきらめきが移動してすらっとした脚を上る。
枝分かれした立派な角が一回り成長した。
「今宵王座の簒奪は成る! 我が名はゼルニーオ。森羅万象に覇を唱える者なり!」
細長い首が天を仰ぐ。
結界に彩られた空がまたたいた。光の球が青白い軌跡を残して降り落ちる。
いくたもの爆発が視界内を染め上げる。
私のHPバーが0を出力するまで数秒とかからなかった。




