第49話
「落ち着いた?」
「はい。取り乱してすみません」
宮嵜さんことミザリがぺこっと頭を下げる。
奥の談話室に二人きり。沈黙に満たされた空気がミザリの言葉で乱される。
「一応確認させてください。ヒナタさんは風早日向さんですか?」
「うん、そうだよ」
ミザリが両手で顔をおおう。
「恥ずかしい。私、風早さんの前で風早さんのこと話してたんですね」
「えーっと、その……うれしかったよ?」
「追い打ちやめてくださいっ」
「ごめん」
怒られちゃった。
私も照れくさかったんだけどなぁ。まだ私にあこがれを向ける人がいるとは思わなかったし。
正直まだ顔が火照っている。
うれし恥ずかしに内心もだえていると、ミザリがソファーから腰を浮かせた。
「よし、私忘れました!」
「忘れたって何を?」
「さっき起こったできごと全てをです!」
さっきできごとがあったことは覚えてるんだ。
そう思ったけど口にするのは止めた。
これはいつもの調子に戻るチャンス。私も乗っからないと。
「そうだね、私もさっきのことは忘れたよ。ミザリ、クナイちょうだい」
「分かりました! 持ってけドロボー!」
「あ、ううん。ちゃんとマニー出して買うよ」
何だか変なテンション。いつもの調子に戻るにはしばらくかかりそうだ。
カウンターまで戻ってクナイ型の弾を購入した。
「ところでさ」
「はい」
「移動教室の時、私に何を言おうとしてたの?」
「ここで思い出させますか」
「悪いとは思うけど気になっちゃって」
「廊下で九条さんとアイセについて話してましたよね。お近づきになるチャンスはあの時しかないと思いまして」
「そういうことね。よかった、大事なことじゃなくて」
「大事なことです!」
「わわっ!」
急に身を乗り出されて背筋を反らす。
「日向さんはあこがれの人とかいますか? アイドルとか」
「い、いない、けど」
ずっと陸上に夢中だった。クラスメイトからアイドルや俳優の話を聞いてもさっぱり分からなかった。知ろうとも思わなかった。
陸上においても自分のライバルは自分だった。他人をうらやんだことなんてない。
「そうですか。いいですかヒナタさん」
「はい」
「あこがれの人というのはですね、目の前にすると何かこう、とめどなくあふれるんですよ」
「あふれるの? とめどなく」
「はい。それはもうとめどなく」
言い切られてしまった。
何があふれるんだろう。気になる。
「そっか。なんかごめんね」
「いえ、分かってくれればいいんです」
ミザリがハッとして距離を取った。
「ご、ごめんなさい! 調子に乗ったことを言って本当にごめんなさい!」
「ううん、こちらこそぶしつけな質問だったよ。人によって大事なものは違うもんね」
足を故障したくらいで不登校。そんな言葉を耳にしたことがある。
当時はいらっとした。私は意図せず彼らと同じことをしてしまったんだ。そのことを深く恥じる。
「謝らないでください。そんなことをされたら私、困っちゃいます」
「困っちゃうなら仕方ないね」
「はい。仕方ないんです」
ミザリの言葉を最後に再び沈黙が訪れる。
可笑しくなってくすっとした。ミザリもひかえめに笑い声を上げる。
ひときしり笑って買い物を終えた。また明日を交わして店舗を後にする。
リアル割れを通して宮嵜さんと仲良くなれた気がする。
揚羽以外にも教室でアイセのお話ができる。そのことが純粋にうれしい。
明日は宮嵜さんと何を話そうかな。




