第100話
小夜さんと人気のない草原まで歩いた。
障害物のない開けた景色。ピクニックも楽しそうだけど今は他にやりたいことがある。
小夜さんがかしこまって口を開いた。
「では始めよう。これよりヒナタに面の作り方を教える」
「よろしくお願いします!」
「いい返事だ。最初に注意事項を話しておこう。妖力は本来人に害しかもたらさない代物だ。発現させるとどれだけ鍛えていても急速に体力を奪われる。少しでも体がおかしいと思ったらすぐに外せ。いいな?」
「了解です」
「まずは額に手を添えて倒すべき敵のことを考えろ。手元に霧が集まったら成功だ」
「分かりました。やってみます」
私は右手を額に添える。
倒すべき敵か。誰を思い浮かべたらいいんだろう。
誰でもいいか。とりあえずアーケンとあの二人のプレイヤーを思い浮かべる。
斬る。
いつか絶対斬る。
念じていると視界が青紫に色づいた。
「成功だ」
小夜さんのつぶやきに遅れて視界がクリアになる。
鏡がないからどうなったかは見えないけど、顔に何かがくっついていることは分かる。
これが、私の鬼面。
胸の奥がじわっと温かくなる。
「小夜さん、私の仮面はどんな形状してますか?」
「鹿に似ているな」
「鹿? 般若じゃなくてですか?」
「ああ。色も赤じゃなくて青紫だ。あの霊の影響かもしれないな」
ゼルニーオが妖怪と精霊のハーフだからかな。
まあいいや。
「じゃあ私走ってきますね!」
告げながら地面を蹴った。
「あ、おいヒナタ!」
「大丈夫です。すぐ戻ってきます」
「少しでもおかしいと思ったら仮面を外すんだぞ!」
「はーい!」
風を受けながら全力で手足を動かす。
すごい、すごい!
草木も岩も、大きくなったと思ったら目じりに消える!
何キロ出てるんだろう。押し戻そうとする風が突風じみて強いのに体は進む。向かい風じゃ影響しないくらい身体能力が上がっているのか。
「あはははっ!」
思わず笑い声が出た。
すごい爽快感。
鬼面をつけると体力を奪われるって話だけど、今のところは大丈夫そうだ。
もう少し走ってみよう。せっかくの機会だし、どこまで走れるか試したい。
前方に液面が映る。
「湖かな」
数秒して違うと分かった。毒々しい液面がぼこぼこいっている。
行く?
行っちゃおう!
「えーいっ!」
思い切って跳んだ。重力に引かれてブーツの裏が水面に近づく。
沈まない。
あはっと変な笑いが出た。
「沼の上を走ってるーっ!」
リアルじゃ絶対できない。二次元の住人になっちゃったみたいだ。
毒沼の縁が近づいてUターンする。
曲がる時はどうしたって速度が下がる。
さすがに沈むかと思ったけど、無事Uターンして元来たルートをたどれている。
これはもうくノ一名乗っちゃっていいんじゃない? 私。
視界の隅が微かに赤くなった。
「あれ」
何だろう、これ。
ふと視線を左上に向けると、HPバーの中身が空っぽになりかけていた。
「な、何で!?」
仮面の着用でHPが減ってたってこと? 体力が奪われるってそういう意味だったの?
でもまだ一分すら経ってないよ。HPの減少速すぎるって!
「早く外さなきゃ!」
腕を伸ばして、外す寸前に思いとどまる。
今仮面を外したら毒沼に沈む。岸に着くまでにHPはもつの?
無理、絶対もたない。
岸に戻ってから仮面を外さないと。
「待って待って待って!」
左端を目指すHPに懇願する。
左胸の奧がバクバク言っている。
ついさっきまで楽しく走ってたのに、一体どうしてこんなことに。
「あと少し!」
HPも少し。
間に合って!
「やった!」
土の地面を踏む感触を得て仮面を外した。握る仮面が青紫の霧になって空気に溶ける。
「わわっ⁉」
急に体が重くなって転んだ。地面の上を転がってあお向けになる。
達成感と安堵で自然と口角が浮き上がる。
「何をしているのだ貴様は」
どこからともなくゼルニーオの声が聞こえた。
「ちょっとハイになっちゃった。角に入ってる状態でもしゃべれるんだね。言ってくれればよかったのに」
「言う必要性を感じなかったものでな」
「どうして? 角に入ってても意思疎通できるなんてすごく便利じゃない。それと貴様はやめて。私たちはパートナーなんだからちゃんと名前で呼んでよ」
「了解した。これからはヒナタと呼ぼう」
意図せず小さな笑いがこぼれた。
「硬いなぁ、もっとフレンドリーな感じでいいのに」
「友人と呼べるほど心を許した相手はいない」
「じゃあ私が第一号だね。ちなみにゼルニーオは自分の名前に愛着ある?」
「そんなものはない。何故そんなことを聞く」
「ゼルニーオって呼ぶの少し長いと思ってさ。ニオって呼んでいい?」
「好きにしろ」
「ありがと。私の仮面ってニオの妖力を使うんだよね。実体化してる時に仮面を使ったらどうなるの?」
「使った妖力の分だけ体が小さくなる」
「仮面はあんなに小さいのに?」
「力の密度が違うからな」
要は塩のかたまりと塩水みたいなものか。確かに人の体には塩や水が流れてるもんね。かたまりになるだけ出したら薄まっちゃう。
妖怪にも血が流れてるかどうかは知らないけど。
「角に妖力を残しておけば小さいままでいられるの?」
「いられるだろうな。やらないが」
「いつかでいいよ」
「やらん」
「ヒナタ!」
張り上げられた声を耳にして元来た方に視線を振る。
小夜さんだ。戻らない私を探しにきてくれたらしい。
双眸が見開かれて小夜さんが足を速める。
私は地面の上であお向けになっている。余計な心配かけちゃったみたいだ。
「怒られるかな」
「怒られろ。今後のためにも」
私は苦笑いして地面から腰を浮かせる。




