その光に気づくまで
僕の名前は松野裕也。会社員として大手企業で毎日せっせと働いている。
僕の趣味は歌を歌うこと。歌投稿サイトで、自分の好きな歌を投稿している。
あまり聞いてはもらえないけどね。
好きなことは親友の徹と遊ぶことと美人な彼女の美久と過ごすこと。
僕は恵まれていると思う。
容姿だって良く褒められるし、大学の同期の親友と同じ会社に入社出来た。
おまけに、同じ会社には、社内で評判の美人の彼女がいる。
入社して早々彼女の方から僕に告白してきたんだ。
もちろんすぐOKした。
前から可愛いと思っていたし、別に断る理由もない。
そもそも僕は自分から告白するタイプでもない。
今までは向こうから告白されて付き合うことが多かったから。
これ、決して自慢じゃなくて、僕が自分からいいなと思う女性と出会えなかったのも原因の一端だと思ってる。
恋い焦がれるような出会いがあれば、僕だって衝動的に告白して、アタックしたかもしれない。
とはいえ、そんな経験がないんだから、かもしれないとしか言えないけどね。
だから、僕は、自分の境遇が恵まれていると思っているし、特段不満はない。
「裕也!」
会社のフロアを歩いていた時、同期入社した親友の綿貫徹に呼び止められた。
振り向いて、徹に応える。
「おー、徹、こっち行くの?」
「そうそう、この見積もり書部長に渡さなきゃ行けなくて。お前は?」
「僕も、企画書提出しに行くところだよ。何度目かな。もう今度バツ出されたらへこむかも」
「何いってんだよ、お前なら大丈夫だろ」
徹は僕の肩をポンと叩いて笑顔で励ましてくれる。
いつも明るく僕に声をかけてくれる徹は僕の自慢の親友だ。チャラいとか、大学時代は他の友達には言われていたけど、こういう所が僕は好きだ。
大学で、就職試験受けて一緒に受かった時は嬉しかったな。
僕は、過去の記憶に心がふんわりするのを感じながら企画者を部長に提出した。
「おめでとう、企画書通ったんだね」
退社後、僕は恋人の美久と一緒に、近くのレストランで食事を取っていた。
「うん、ありがとう、やっと通った〜!部長、今回は厳しくてさ」
「裕也、いつも頑張ってるもんね。そういう所好きだよ」
恋人の美久は、僕に沢山好きっていう言葉をくれる。
最初からそうだった。カッコイイと思ってたって言ってくれて、好きだって言ってくれる。
有難いし、大切にしたいと思う。
僕は彼女に笑いかけた。
「いつもありがとう、僕も好きだよ」
「嬉しい、ねぇ、今度新作のバッグが出たんだよ。買い物に付き合って欲しいな」
「そうなんだ?いいよ、いつにする?」
平和な会話。彼女といる時間は楽しい。
彼女は可愛いし、僕のことを好きだと言ってくれる。
それ以上のことなんてないと思う。
美久と次のデートの約束をして、彼女の家まで送ると、僕はウキウキと家へと帰宅した。
「なぁ、お前、彼女とは最近どうなの?」
会社の昼休み。
徹と社食で、昼食を取っている時、不意に聞かれた。
なんだかにやにやして聞いている。
「うん、上手く言ってるよ」
僕は少し照れくさくて、A定食の生姜焼きを一気に口に頬張る。
「そっか、そっか、羨ましいよな〜!美久ちゃんのこと狙ってた奴、何人いるか知ってるか?」
いたずらっぽい徹の笑みに僕は曖昧な笑顔で答える。
「そんなに人気なんだ。美久、美人だからね」
僕がそういうと、一瞬、徹の顔が翳ったような気がした。
「もう呼び捨てかよ、お前って昔から何かモテるよな。どうしてなんだよ?俺にもモテる秘策を教えろよ」
徹の翳った表情は、一瞬で、明るい笑顔に変わり、それを見て僕も安心して笑顔になる。
「秘策なんてないよ、別に。徹だってモテるだろ?」
僕がそう言うと、徹は僕の肩をバンと叩く。
「お前が言うと嫌味なんだよ〜!」
「なんで〜!」
ふざけて言う徹に笑って答える。
でも、徹も実際モテる。整った顔つき、長身に、冗談を良く女子社員と話してる。
徹も彼女が何回か出来てるし、またすぐ会社でも恋人が出来るんだろうな、と思う。
徹が大学時代付き合っていた女の子は、卒業と同時に疎遠になって別れたって言ってたから。
次の週の土曜日、僕は美久と待ち合わせてデートに出かけていた。
美久が見たがっていた新作のバッグを一緒に見る。
「可愛い!欲しいな〜、でも、私の給料じゃなかなか買えないなぁ。もう少し頑張ってお給料貯めようかな」
美久が悲しそうな顔をして、ショーウィンドウに並んだバッグを見つめた。
確かに新作のバッグは高いけど、実は僕は結構ちょこちょこ貯蓄していて、これくらいなら購入出来るかなと思った。
「これ、僕が買ってプレゼントするよ。付き合ってから君にプレゼントしたことないし」
「えっ!?本当?」
僕の言葉に、美久の弾けるような笑顔が咲いた。
「もちろん。付き合って最初の記念のプレゼント。待ってて、店員さんに言ってくるから」
僕が店員さんのもとへと行こうとすると、美久は僕の腕に抱きついて来た。
「ありがとう!大好きだよ裕也!」
「うん、僕も」
僕は美久に微笑むと店員さんにバッグを出してもらい、カードで購入の手続きをした。
その後のデートも、楽しく過ごした。
美久は何度もバッグのお礼を言って、ご機嫌だった。
2人でカフェに行って話してから、僕の家に寄ってゆっくり過ごした。
美久といる時間が幸せだと心から思う。
美久のような最高の彼女が側にいてくれて僕は幸せ者だ。
次の週から、会社で新しいプロジェクトが始まった。
僕の企画書が通ったらしく、部長にプロジェクトメンバーに選ばれたと伝えられた。
信じられなかった。
あんなに修正していたから、通るなんて思ってなかった。
でも、部長に言わせると、良いものだから、企画を通したくて修正を重ねていたらしい。
期待しているよ、と言われて、認められたようで嬉しかった。
僕が部長の席を離れると、徹がやってきた。
「裕也、お前企画通ったの?!凄いな。俺は何度やっても通らなかったんだぜ」
僕の肩に、腕を回して言う徹。
「ありがとう、今回は何度も直してたから正直通るとは思ってなかったよ」
「またまた、お前はすぐに謙遜する」
「いや、本当だって」
徹にそう言うと、徹は、笑って言葉を続けた。
「これから、忙しくなりそうだな。プロジェクト企画会議が多くなるだろ」
「まぁ、しょうがない。僕が選ばれたからには全力でやるよ!」
「お前なら出来るよ!」
徹はいつものように僕を元気づけて笑顔で行ってくれた・・・。
でも・・・。
「何か元気ない?大丈夫か?」
心なしか徹の言葉に覇気がない気がした。
僕の問いかけに、徹は、
「大丈夫、大丈夫!お前は気にせずプロジェクトのことだけ考えてればいいんだよっ!責任重大なんだからな」
と笑う。
「あ、分かったよ・・・」
僕は何となく引っかかるものを覚えながら、心の大半は新しいプロジェクトに向かっていた。
いざ、プロジェクトが始まると、今までの比じゃない位忙しくなった。
会議がそもそも多いし、企画案も練り直してより良い物に書き換え、その企画に従って顧客先への売り込み方、イベント会場の手配などもする必要があった。
いつも定時に帰れてた僕は、美久と会う時間が少なくなり、メールの返信も疲れて出来ない事が増えていった。
美久の声を聞きたいとか、会いたいという気持ちよりも、早く家で眠りたいという気持ちの方が強くなっていた。
連絡しなきゃいけないのは分かっていた。
でも、僕の疲労も限界を迎えていたんだ。
(ねえ、なんで全然連絡してくれないの?私達、恋人じゃないの?!こんなに連絡つかないなんて寂しいよ・・・)
美久からのメール。
(ごめん、プロジェクトが終わったら必ず埋め合わせするから。本当にごめん)
美久へのメールの、内容はごめんが増えていった。
でも、もうすぐ終わるから。
終わったら僕は美久と沢山会って、今まで連絡できなかった分まで、一緒にいたいと思っていたんだ。
そして、プロジェクトの一大イベント、展示会の日がやって来た。
僕たちは無事、イベント会場で商品の展示、顧客へのプレゼンも終えた。
部長に労いの言葉をかけられ、メンバーみんなやりきった気持ちで一杯だった。
チームメンバーと笑って今度飲みに行こうという話をして、帰社して自分のデスクに戻った。
ふと、携帯を見る。
ここの所美久からメールが来てない。
僕も忙しくて送れなかったから、すぐに電話をかけた。
・・・出ない。
もう定時だから美久はこの時間なら出られるはずだ。
「どーしたんだ〜?」
僕が再び電話してると、後ろから徹が声をかけてきた。
「ああ、徹。美久が電話出てくれないんだ。僕結構忙しくてメール返信とか放っといたから、自業自得な所もあるんだけど」
「そうなのか?あ、俺のケータイ使ってみる?知らない番号からなら出るかもよ?」
「あ、そうだね。借りて良い?」
僕は徹の案に乗って、電話をかけてみる。
・・・出ない。
「やっぱり駄目だった。ありがと」
徹に落ち込みながら返すと、徹が慰めるような口調で僕に言った。
「気にすんなって。こういうのは時間が解決するから」
「・・・そうだね」
その後、美久からのメールや電話が途絶えた。
僕は、会社で美久に話しかけようとしたけど、美久は僕をことごとく避けていた。
メールしても、電話しても美久には繋がらなかった。
僕は落ち込んだけど、でも、徹が言ってた時間が解決するってこともあるのかなって思っていた。
そして、そんな中、美久の誕生日が近づいてきてた。
せめて美久への誕生日プレゼントは用意しておこうと思った。
もしかして、誕生日を機に仲直り出来るかもしれない。
そう思った僕は、誕生日の前日の日曜日、前に美久が喜んでいた新作バックと同じ店で指輪を買うことにした。
美久に似合いそうなピンクダイヤの可愛いデザインの指輪を選んで買った。
結構な額がしたけど、仲直りと今までの謝罪も込めてだから、全然構わなかった。
その指輪で美久と仲直り出来るといいなって心から思った。
誕生日プレゼントを買って帰宅後、明日誕生日だから、プレゼントを渡したいってメールを打っている最中、突然徹が電話が来た。
夕方だったから、飲みにでも誘ってくる電話かなと思って取ると、それはビデオ通話だった。
徹がビデオ通話なんて珍しいな、とカメラをオンにして画面を覗き込むと、そこは、どこかのホテルの一室みたいだった。
「徹?どおし・・・」
僕は言葉を失った。
徹の下で、裸で抱きついているのは、僕の恋人のハズの美久だった。
「アハハハハ!!」
カメラをオンにして、青ざめて言葉を失う僕を甲高い声で徹は笑う。
美久も下でクスクス笑ってる。
「ざまーみろっ、こーいうことだから、じゃーなぁ!!」
徹の聞いたことないような揶揄するような声がする。
僕は反射的に携帯を、投げつけた。
携帯は放物線を描いて、少し離れたソファーに着地した。
通話は既に切れている。
状況が理解できない。
僕は無意識に座り込むんでいた。
全身の血の気が引いて、異様な震えが止まらなかった。
い、今のは・・・今のは現実なのか?
あまりに非現実な光景に現実かどうかをまず疑ってしまった。
よりにもよって僕の親友と僕の恋人が・・・。
ありえないだろ。やっぱこれ夢だ。
そうに決まってる・・・。
そうじゃなきゃ、なんで、なんでこんな事になってるんだよ!!
僕の中に目まぐるしく沢山の想いが巡って回る。
回りすぎて頭がおかしくなりそうだった。
涙も出てこない。
だって、まだ状況を理解できてない。
おかしいだろ?何でそうなるんだ?
どうして、2人が・・・。
そう思い至った時、僕はふと思い出す。
そうだ!!あれ、あの時、美久に知らない番号からならかかるかもって徹の携帯を借りたんだ。
それで、徹が美久に連絡を取って・・・取ってそういうことに?
徹がどうして?僕の親友だったはずだろ?!
もう何も考えたくない。
嘘だ・・・あんなの。
見たくない。
考えたくない。
思考を放棄させてほしい。
神様・・・神様・・・いるなら、嘘だと言ってください。
全て間違いだったって・・・。
フッと意識が遠のいた。
僕は床に横たわっていた。
地面の冷たい感覚。
そしてそのまま意識を失ってしまったんだ・・・。
ピピピ・・・チチチ・・・
すずめの鳴き声がする。
あぁ、朝だ。昨日カーテン閉め忘れたんだっけ?
やけに明るい。
体を、起こそうとして、下に冷たい床を感じる。
何でここに・・・
そう考えた瞬間昨日の記憶が雪崩のように流れ込んできた。
ウッ・・・。
僕は吐き気を催して、トイレにかけこむ。
胃の中の物が全て出ていくかのような凄まじい吐き気だった。
全てを吐いて、ぐったりとベッドに倒れ込む。
昨日の記憶を総て思い出して、僕は頭を掻きむしりたい衝動と戦った。
このまま全て忘れたい。
忘れさせてくれ・・・お願いだから。
こんな記憶、ぼく一人で抱えきれない。
絶望なんて感情じゃ表現しきれない。
助けて・・・誰が・・・
ダメだ・・・
無力感と喪失感が自分に襲いかかる。
凄まじいものだった。
今までの人生で感じたことがないような。
だってそうだろ?
僕は恋人だけじゃなく、親友も失ってしまった・・・。
世の中にこんな残酷なことがあっていいのか。
僕の支えだった人が一気に2人もいなくなったんだ。
正気でいられるのが不思議なくらいだ。
あ・・・会社・・・
思って一瞬後思う。
無理だ。行けない。どうでもいい。
動けなかった。
そのまま絶望の感情と共に一日過ごした。
何もせずに、その場から動けずに・・・。
その後3日位どう過ごしたか覚えていない。
記憶が曖昧だ。無力感と喪失感に苛まれていたことだけは覚えてる。
4日目に初めて泣いた。泣いたら止まらなくて、ずっと泣いた。
悔しさとか、悲しさとか、苦しさとか、切なさとか、良くわからない。怒りもあったのかもしれない。
とにかくいろいろな感情が混ざって泣いて泣いて泣いた。
そしたら、少しだけ楽になった気がした。
その時泣くっていう行為には癒やしの効果もあるのかなって思ったんだ。
そこでようやく、会社に電話して、今までの無断欠勤を詫びた。
高熱で意識が朦朧としてたって伝えた。
だって本当のことなんて言えるわけがない。
会社の部長は、プロジェクトの疲れが出たんだろうって言ってくれて、今週一杯、休むようにとのことだった。
僕は感謝した。
部長には本当にお世話になりっぱなしだ。
お礼を言わなければ。
そうして、後2日、癒えない傷と闘い続けた。記憶が蘇っては苦しむ日々。
ふとした時に思い出しては、親友と恋人の情事を消そうとする・・・。
でも・・・。
人間って不思議なもので消そうとするほど、浮かんでくるんだ。
それでまた苦しんでのループ。
気が狂った方がマシだった。
正気でいることが耐えられない。
一週間経った頃には、5キロ痩せていた。
むしろ、5キロで収まったのが不思議なくらいだ。
なんせ、ほぼ食べ物を受け付けなかったんだから。
ただ、一週間たって、僕は大分立ち直れもした。
時間の効果は凄い、と感じる。
苦しんで苦しんだ分、繰り返し思い返す波は、次第に浅くなり、さざ波位になっていた。
この点は自分のメンタルを褒めたいと思う。
次の週の月曜日、僕は何食わぬ顔で会社に行った。
徹の姿を見つけてドクンと心臓が掴まれるような反応をしたけど、徹のことを無視した。
徹も僕には話しかけてこない。
幸い美久は違うフロアだから、会うことがほぼない。
部長に謝って、菓子折りを渡した。
部長も、プロジェクトメンバーも優しい言葉をかけてくれて、少し救われた思いだった。
ただ、僕はこの会社でこの先徹と美久と働いていけるのかと自問自答していた。
しばらくは、頑張って会社に行っていたけど、さすがの僕のメンタルも、徹と美久を見る度に蘇るあの時の痴態に耐えられなくなった。
もったいないと思ったけど、辞表を書いて部長に出した。
部長は、引き止めてくれた。ありがたいことだ。
でも、僕の精神はもう持たなかった。
僕には大切な人が沢山いた、希望に満ちて入社した門を一人で退社することになった。
徹にも、美久にも、あれから連絡していない。
2人からも何も連絡は来なかった。
何でそんな事したのかなんて、聞いたところで事実は変わらないし、僕は別に救われない。
だから、僕と2人の縁はそこで切れたんだ。
大切な人だったはずなのに。
縁が切れるなんてあっさりしたもんなんだな。
僕は自嘲して笑った。
それから、また就職活動を頑張った。
どうして辞めたのかという問いには、体調不良と答えた。
本当の事言ったら、空気が凍るのは目に見えてる。
体調不良で辞めたんじゃ、企業の人も入社しても、また体調不良になるんじゃないの?と言って落ち続けた。
企業側の気持ちもわかるし、仕方ない。
でも、捨てる神あらば拾う神あり。
プロジェクトのイベントで頑張っていた僕を評価して見てくれていた関連企業が雇ってくれた。
最初は契約社員だけど、構わなかった。
1から頑張ろうという気持ちで、懸命に働いた。
そうして、その職場で新たな出会いがあったんだ。
年下の可愛らしい小動物みたいな女の子。
僕を慕ってくれて、好きだと言われて、付き合うことになった。
久しぶりに訪れた穏やかな日々。
僕は仕事に、恋愛にと充実した日々を送っていた。
基本的に恋愛には一途な僕は、彼女をひたすら大事にした。
年下の、甘え上手な彼女は可愛かったし、一緒にいるのは楽しかった。
でも・・・。
でも、人生ってそう上手くはいかないんだよね。
入社して2年目の飲み会の席。
みんなで話していたら、彼女を抱きしめてふざけてる社員がいた。
立ち上がって注意しようとすると、何人かが自分こそ彼氏だと言い出した。
僕が固まっていると、小悪魔的な笑みを浮かべて彼女が言った。
「彼氏一人なんて選べなかったの。ごめんね♪」
もはやそれは僕に向けた言葉でもなかった。
会社の人間関係はその後最悪。崩壊した。
彼女は辞めたし、僕も転職することになった。
2度目の会社の門を退社する時・・・。
僕は天を仰いだ。
もう女なんてゴリゴリだ!
女は裏切る生き物なんだ。
そんな変な価値観が僕の中に根付いてしまっていた。
だから、頑張って入った次の会社ではより女性に対してガードを固めた。
付き合って欲しいなんて言う女性には警戒心しかない。
裏切られるんだって思いしかなかった。
だってそうじゃないか?現に2回も裏切られたんだから。
3回目がないってどうして言える?
ただ、仕事に打ち込む毎日、唯一の趣味は歌を歌うこと。僕にも、できる事、続けることがあることが嬉しかった。
歌を歌って、評価してくれる人たちの言葉が幸せで、帰宅後の楽しみになっていた。
僕の気持ち、頑張りが評価されることが、なんだかとても報われたように思ったんだ。
そうして、しばらく経った頃。
僕は仕事帰りに、家の近くを帰宅途中、公園のベンチで猫が座ってにゃーと鳴いているのを見つけた。
無類の猫好きの僕は、すぐに猫の近くに行って、そっとベンチの端に腰をおろした。
猫は、さり気なく近づかないと逃げてしまうからそっと近づいた。
僕が座ってもその場に留まる猫に、僕は、静かに距離を縮めて、ゆっくり身体に手を伸ばして猫を撫でる。
猫はしばらく撫でられたままでいると、ゴローンと伸びをした。
可愛い。とんでもなく可愛い。
癒やされる〜と思いながら撫でてると、声が上から降ってきた。
「可愛いね、猫だぁ」
囁くような声。きっと猫を、驚かさないようにだろう。
見上げると、ベンチの横に女性が立っていた。
ボブカットの明るい髪色。一目見て、目立つ顔立ちで明るそうな印象の子だな、と思った。
「ねえ、私も撫でていいかな?」
一瞬、僕を狙ってる?という自意識過剰な想いが働く。
でも、その子の視線はまっすぐ猫に注がれていた。
「いいよ、僕の猫じゃないから」
僕がそう言うと。その子はひだまりのような笑みを浮かべた。
「そっかぁ!じゃあ、遠慮なく〜!」
その子は猫をなでながら優しい声で話しかけている。
「ん〜?君はどこからきたの?え?2丁目から?遠くから来たねぇ!この辺で集会があるのかな?」
「ねえ、猫語分かるの?」
猫と話してる女性に、思わず笑って話しかけてしまう。
「ううん〜!でも、そう話してたら面白いと思わない?」
彼女の瞳がキラキラと輝く。
心から楽しそうだ。
僕も思わず笑顔になってしまった。
「そうかもね」
「良かった〜猫語肯定派で!この公園で、たまに猫見かけるんだけど、いつも逃げられちゃうんだ」
彼女は心底悔しそうな顔をした。
「それが、今日はこうして、あなたが手なづけてるじゃない!だから、高速でここまできたんだ、忍者みたいに忍び足でくるの大変だったぁ」
「あはは」
彼女の話し方が面白くて思わず笑ってしまう。
「あ、笑われた〜。でも、良かった。ねぇ?君とお近づきになりたかったんだよ。よろしくね」
彼女は優しい眼差しを猫に向けた。
猫の喉を撫でてると、ゴロゴロって猫が気持ちよさそうな音を鳴らす。
「慣れてるんだね」
「うん。実家で猫飼ってるの。でも、全然会えなくて、寂しいな、なかなか仕事忙しくて帰れなくてね」
「そっか、いつもお仕事お疲れ様です、実家で猫に会えるといいね」
僕は、彼女の言葉にそう声をかける。
「ありがと、あなたは優しいね!えーと、名前は・・・?聞いても良い?」
「いいよ、松野裕也っていうんだ」
「私は宮下明里、よろしくっ」
明里さんは、僕に手を差し伸べてきた。
僕はその小さい白い手を握って握手をする。
「それじゃあ、行かなきゃ。猫ちゃん補充も出来たし!また会えたらいいねっ!バイバイ!猫ちゃんもね〜!」
そう言うと、明里さんは、そのまま公園を出ていってしまった。
引き止める暇もなかった。
・・・引き止める?
何で・・・別に今日会ったばかりの人だ。
引き止めてどうするっていうんだ?
僕は自分にツッコミを入れると、立ち上がる。
ニャアと鳴く猫に、「またね」と話して、明里さんみたいだな、と苦笑する。
明里さんは、僕にあからさまな好意を向けてこなかった。
ただ猫だけに優しい眼差しを向けてたな。
そんな彼女になんとなく好感を抱いた。
一期一会となるかと思ったと彼女との縁だけど、どうも帰る時間が同じ位らしく、良く公園でバッタリ会うことが増えた。
僕はそんなに明るい性格じゃないけど、彼女はいつも、僕を見つけると、
「お〜い!裕也くん、また会えたね〜!」
と手を降って、笑顔で声をかけてくれる。
猫も公園が縄張りらしく、良く見かけたから一緒に撫でながら話したりした。
明里さんと話して何回目の事だろう。
僕は、恋人に2度浮気されたことを話した。
だから、女性不信なんだと。
明里さんは、その話を聞くと、ちょっと考え込んだ。
「あのね、裕也くん、じゃあ、私のことは性別女性だと思わないで」
「え?」
突拍子もない事を言われて僕は目を丸くして明里さんを見つめた。
「一人の人間として仲良くしてくれないかな。性別で区別するんじゃなくて、私は裕也くんっていう人間と仲良くしたいと思ってるから」
ニコッ
向日葵が咲いたような明るい笑顔。
「明里さんって、面白いこというよね」
僕は思わずそう言いながら内心の嬉しさを隠せなかった。
明里さんの言葉が本当に嬉しくて。
性別じゃなく、人として仲良くしたいと言ってくれる明里さんの考え方が無性に好きだし、嬉しかった。
「あ。馬鹿にしてるな?」
明里さんの少しすねたような顔に、
「違う違う。一人の人間として、明里さんと仲良くしたいからこれからよろしくお願いします」
僕は笑顔で明里さんに伝えたんだ。
それから何回か話した後、ある時は僕の歌の投稿の話になった。
「え?歌?歌歌ってるの〜!凄い凄すぎる〜!」
僕が何回目かに会った時に歌を歌って投稿している話をすると、明里さんは、例のごとく目を、輝かせて僕を覗き込んだ。
「ねえ、何の歌歌ってるの?私が知ってる歌だといいな!」
「え〜と」
僕は最近歌った歌をアップロードしたアプリを開いて、彼女に見せる。
「こんな感じで・・・」
正直、明里さんに見せるのは恥ずかしい気持ちもあった。
でも、天真爛漫で明るい彼女になら、見せても大丈夫って確信している自分もいた。
「あ。この歌知ってる。聴きたいな、私もアプリ入れても良い?」
彼女の言葉にホッとしている自分がいる。
絶対大丈夫だと思ってても、不安だったんだなとその時感じた。
「もちろん、あ、今イヤホンあるけど聴いてみる
?」
「本当?!もちろん聴くよ、聴かせて〜」
彼女は笑顔で僕にそう言うと、イヤホンを受け取って自分の耳に押し当てる。
そうして、真剣な表情で僕の歌を聴いている。
僕は正直、自分の歌声に自信がない。
そんなにいいと思えない。歌う事はみんなの評価で楽しくなってきたものの、歌声を聞かれるのはいわれのない恥ずかしさと、焦燥感があった。
彼女に思わず感想を求めそうになるのを黙ってグッとこらえた。
彼女は聴き終わると、何故かもう一度無言で最初から歌を再生し始めた。
「明里さ・・・」
「もうちょっとだけ待ってくれる?」
「うん・・・」
明里さんの言葉に。僕は待つしかなかった。
変な汗をかいてしまう。どうしたんだろう。
何か緊張してるな。
2周目が終わると。明里さんは潤んだ瞳で僕を見上げた。
「凄い、スゴイ!なにこれ、感動して何か胸からこみ上げてくるよ。歌声が優しくて、ずっと聴いていたくなる。裕也くんは本当にスゴイ歌手なんだね。素晴らしい歌声を持ってたんだね。ありがとう。私にこんな素敵な歌を聴かせてくれて。生きてきてこんなに素敵な歌声を聴いたのは初めてかもしれない」
「あ、明里さん、大袈裟すぎ、そんな、歌手じゃないし、褒めすぎだから。大したことないって」
「裕也くん、いくら本人でも、裕也くんを悪く言うのは許さないよ!こんなに素敵な歌声なんだから!私、家に帰ったら沢山聴くよ」
明里さんは興奮したような眼差しで僕に語りかける。
その眼差しは、どこかこの間猫に向けていた優しい眼差しと重なって、そんな眼差しで見られて嬉しいと思った。
もちろん、彼女が手放しで僕の歌を褒めてくれたことも嬉しい。
歌声が好きじゃなかったけど、彼女が褒めてくれるのなら、好きになれそうな気がした。
何より明里さんを取り巻く空気が明るくて、一緒にいると元気になれる。
その時ふと思った。もしかして僕は彼女が好きなんじゃないかって。
彼女の無邪気な笑顔、いつも明るく楽しく会話できるこの、公園での時間は、僕にとってかけがえのないものになっていた。
彼女は、それから僕の歌を沢山聴いてくれて、沢山感想を言ってくれた。
いつも励まし、明るい笑顔で僕に語りかけてくれる彼女に、やっぱり、僕は彼女の事が好きなんだと、疑惑は確信に変わっていた。
はじめて、僕がいいな、と思い恋をした女性。
僕は、どう彼女に気持ちを伝えようかと悩んでいた。
正直怖い。拒絶されたらと思うと、気持ちを伝えることにためらいを覚える。
でも、こうして自分から好きになって、気持ちを伝えられるってことは幸運なことでもあると思い直す。
だって、これまで僕は自分から気持ちを伝えられたことがない。
それだけの思いを人に向けたことがないってことだ。
だからこそ、明里さんという存在は僕にとって大きく、気持ちを伝えることに意味があると思った。
だから、公園で会った時に、思い切って彼女をレストランに誘ってみた。
そこで、彼女に告白すると決めていたから。
レストランへ誘うと、彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべて了承してくれた。
レストランで、食事をして、食後のコーヒーを飲んでいる時、僕は彼女に話を切り出した。
「いつも、僕の歌を聴いてくれてありがとう」
「え?ありがとうは私だよ。いつも歌を聴かせてくれてありがとう。裕也くんの歌を聴いてるといつも元気になれるよ。私、裕也くんの歌声に毎日元気付けられてるよ」
明里さんの弾けるような笑顔。
あれ、なんだろ・・・涙腺が・・・。
視界がぼやけることで、僕は自分が泣いていることに気づいた。
「明里さん、好き・・・」
頭の中で。こう言おうああ言おうと思っていたことは沢山あったけど、すべて飛んでしまっていた。
ただ、溢れ出すように思いが口から出てしまった。
「裕也くん・・・ありがとう」
その言葉に、明里さんが静かな笑みを浮かべた。
「私も、裕也くんが好きだよ。いつも歌で希望を届けてくれる、私を思いやってくれる、優しいあなたが大好きだよ」
綺麗な笑顔を浮かべる明里さんに、僕の涙腺は崩壊してしまう。
「あ、裕也くん、泣かないで」
明里さんが戸惑いながらハンカチを手渡してくれた。
カッコ悪すぎる。でも、こんな自分をどこかで誇っていたりもした。
ちゃんとかっこ悪くても、自分の思いを伝えられたって。
僕と明里さんは付き合い始めた。
何ていうか、今までの恋愛と全然違った。
今までは、疲れると、彼女の連絡も滞りがちになったけど、明里さんには、疲れた時に連絡したいし会いたいと思った。
会って側にいると楽しくて、彼女の明るい笑顔と楽しい会話に救われた。
疲れも取れて、仕事も頑張れて、なんていうか、歯車が凄くいい方向に向かっていたんだ。
モチベーションも上がって、歌だって沢山投稿できたし、沢山の人に聞いてもらえるようになった。
僕は、本当の幸せを見つけたって思った。
そんなある日
家で一人でいた時に不意に着信があった。
番号を見てギクッとする。
元彼女、元親友と浮気した、元彼女だった。
取りたくないのに、引き寄せられるように携帯の通話ボタンを押してしまう。
「・・・はい」
「裕也?あーよかった、繋がって、久しぶり〜、元気?」
元彼女の美久の声が僕の耳元に響く。
「・・・何か用?」
何事もなかったみたいに連絡くるなんて、どういう神経してるんだと思う。
美久は付き合っていた時に僕の部屋においていったものを取りに来たいと言った。
そんなのとっくに処分してる。
僕は冷たくそう告げる。
空気が読めないのか、美久はその後もつらつらとどうでもいいことを話している。
「でさ、今彼、浮気してたんだよ、ひどくない?やっぱり私との身体の相性良くないってことなのかな」
そんなん知らんよ。
生々しい話を僕の前で良くできるよな。
僕は、嫌悪の気持ちより、もはや呆れてしまう。
「その点、やっぱり裕也は優しかったよね、一途だったし。やっぱり私、まだ裕也のこと・・・」
「あ、僕もう彼女いるから」
美久が何か言いかけるのを遮ると僕は通話ボタンを押す。
僕は速攻で美久をブロックリストにいれる。
もうこれで連絡も来ないだろう。
なんか・・・
明里さんに会いたいな。
そう思った時に、ドアチャイムが来客を告げた。
「はーい」
ガチャ
ドアを開けると、そこにはさっき会いたいと願った明里さんが立っていた。
「はいっ」
彼女は手に持っていたコンビニの袋を僕の手に渡す。
「今日帰りに新しいアイスのフレーバー出てたんだ。前この味好きって言ってたでしょ?それ見たら裕也くんに会いたくなっちゃった」
「・・・」
何か、明里さんはいつも僕の心の琴線に触れることをしてくれたり言ってくれたりする。
僕は無言で明里さんを抱きしめた。
「裕也くん・・・?」
明里さんは不思議そうにただ抱きしめられていたけど、しばらくして、頭をなでなでしてくれた。
「明里さん?」
「何か、こうしたくなったの、だめ?」
ふわっと笑顔になる彼女に僕は参ってしまう。
「ダメなわけ、ないでしょ」
もう一度、きつく彼女を抱きしめる。
何だかどうでもいいと思えた。
元親友も元彼女も裏切ってきた人達も。
僕の人生には必要ない。
そうハッキリ、今思った。
僕には大事な歌と、そして大事な明里さんがいる。
だから、僕には、もう過去は必要ない。
乗り越えた事は意味があったと思うけど、もう囚われる必要はないんだから。
僕は、最愛の人のぬくもりをただ感じながら、その美しい光にも似た明るい笑顔をこれからも愛して守っていこうと思ったんだ。