お前の飯を作りたい
上島紗絵、と聞いて、金谷さんと南さんが血相を変えた。
「……狐を上島本家まで飛ばしてみます、本部にも現状を連絡しないと」
ひゅっと風が起き、南さんはスマホを取り出して電話しだした。俺は金谷さんに聞いた。
「上島紗絵さんって、そんなに強い霊なんですか?」
金谷さんは深刻な顔で答えた。
「……戦後最大の悪霊です。危うく上島家を壊滅させるところまで被害を出しました」
金谷さんの説明によると、上島紗絵の霊は、悪霊と化して上島家の人間を複数殺したのだそうだ。そして、その時に生き残った上島家の長女が現在の当主らしい。
千歳がボンと音を立てて女子中学生の格好になり、言った。
『ほら、だから言っただろ、割と強いって』
「でも、暴れてる霊はしらみ潰しに集めたんだけど……」
『今のところは大人しいんじゃないか? 今の上島家当主、うまく行ってれば上島八重穂だけど、そいつのところにいるなら、多分暴れないぞ』
「え、それはなんで……」
俺が千歳に聞きかけた時、南さんがスマホの通話を切って言った。
「上島当主、今回の主犯格として行き先を追ってますが、上島本家の奥に陣取っている可能性が高いそうです。上島紗絵がいるなら、多分そこではないかと」
上島本家は車で移動できる範囲にあるということで、俺たちは急いで旧朝霧邸を出た。俺、南さん、金谷さん、狭山さんに千歳も加えて車に乗る。南さんは車をかっ飛ばした。
「上島本家にはすでに人が回っていまして、根回しは済んでいるようです。ですが、霊的な障害の前に、物理的な障害がかなりあるらしくて」
狭山さんが聞く。
「物理的な障害って、なんですか?」
「警備員やSPです」
「……物理ですね」
車の窓から、武家屋敷を思わせるような和風の豪邸が見えた。警備員の服装をした男性が至るところにいる。
車を止め、南さんが口を開く。
「狐たちに寄ると、中に上島家当主と強い霊の気配がある、ということですが……」
「……簡単に中に入れてもらえますかね? 南さんがまた門吹き飛ばしても、人数が多すぎる気が……」
俺がそう言うと、千歳が手を上げた。
『ワシ行くぞ、〈そういう〉力も体力もあるし、あの人数くらい吹っ飛ばせる』
俺はぎょっとした。確かに千歳ならできるのかもしれないが、今の千歳は積極的に人を傷つけてないからお目溢しされてる部分が大きい。誰かに危害を加えたら、まずい!
「千歳、他の人を傷つけたらダメだ、前も言ったけど、それをしたら、俺のこと祟り続けるの難しくなるよ!」
金谷さんも南さんも、狭山さんもかなり動揺していた。千歳は首を傾げた。
『しょうがないな、じゃあおどかして逃げさせるのはどうだ?』
「それでお願いします……いや、ちょっと待って、おどかすってどうやって」
俺は慌てたが、千歳は車から降りてしまった。ボンと音を立てて黒い毛羽立った一反木綿らしき格好になり、そして、みるみるうちに巨大化した。
天を衝く巨体になった千歳。車に、豪邸に、警備員たちに千歳の大きな影が落ちる。
それでも勇敢に警棒を振りかざす警備員の一人を、千歳はかがんで片手でつまみ上げてしまった。ぶら下げられたのは、落っこちても足をくじく程度の高さだったが、これは相当怖いだろう。
『おい、お前ら邪魔だから、あっち行け。ワシ、用があるのは上島紗絵なんだ』
つまみ上げられて、千歳に言い聞かせられた警備員は、みるみる股間に染みを作ってしまった。他の警備員も、腰を抜かすか、三々五々逃げ出していった。
千歳はつまみ上げていた警備員をひょいと地面に置き、豪邸を上から覗き込んだ。
『あ、庭にいるな。おい、お前も来い』
「え?」
千歳は俺の方に両手を伸ばし、俺はその両手にがっちり抱えられてしまった。千歳はそのまま俺を持ち上げ、豪邸の塀や家屋を飛び越して、中庭らしきところに俺を下ろした。そして、いつもと同じサイズに戻る。
中庭には、かなり高齢のおばあさんがいて、隣には、くずし字でびっしりの札がたくさん貼られた注連縄の囲いがあった。
おばあさんは、千歳を見て、年の割に元気に吠えた。
「どうやってあの封印を破った! 記憶操作に加えて遺骨で刺しておいたのに!」
千歳は、なんでもないように言った。
『折ったら砕けたぞ。外に出たら、全部思い出したし』
そして、おばあさんでなく、注連縄の囲いに向かって呼びかけた。
『おい、上島紗絵、戻ってこい! お前の知識で作る飯、いつもうまいって言うこいつもいるぞ!』
注連縄がぶんぶん揺れた。一迅の風が吹き抜け、千歳が身震いした。
『よーし! 元通りだ!』
おばあさんは、先程までの覇気はどこへやら、呆然としてしまった。
「な、なんで……紗絵は私の言う事なら聞くはずなのに……」
千歳は、おばあさんを見て、鼻で笑った。
『上島紗絵は、あんたの言うことはある程度聞くだろうけど、別にあんたが使役できてるわけじゃないぞ』
「どういうことだ!」
『あんた、上島八重穂だろ? だから、上島紗絵はある程度は言うことを聞いてやってるんだ』
「聞いてやってるとは何だ! 紗絵の分際で!」
『しょうがない奴だな……。あんた、いろんな家の本家の血ばっかり引いてると思ってるだろうけど、本当は上島紗絵の娘だぞ』
おばあさんは、カクンと口を開けた。え、もしかして、上島紗絵さんが産ませられて取り上げられた子供って、このおばあさん!?
千歳は言葉を続けた。
『上島紗絵、上島家を襲ったときも、あんたのことは殺さなかったし、家の運営に必要な人間は全部残したろ? いくら憎い奴らに育てられてたって、自分の子供なら傷つけないし、言うこともある程度は聞くだろ? できれば偉い地位について欲しいし、そのために気も使うだろ? だから、上島紗絵を使役できてるわけじゃないんだ、あんたは』
おばあさんは、唇の血の気がなくなるほど蒼白になっていた。
「そんな……私は……正当な血筋で……本家の娘で……妾腹の出来損ないの娘なんかじゃ……」
千歳は、おばあさんを冷たい目で見た。
『上島紗絵の料理の知識はすごく役立ってるから、それに免じて、今回は見逃してやる。でも、また何かしてきたら、今度は張り倒すぞ」
相当ショックを受けたらしくて、座り込んでしまったおばあさんを尻目に、千歳はまた大きくなった。もう一度俺を両手で持ち抱える。俺を持ち上げ、家屋や塀を飛び越して、車のところまで戻った。
千歳は俺を下ろして立たせ、車から降りてきていた南さんたちに言った。
『上島紗絵も集めて、ちゃんと元に戻ったぞ! どうもありがとうな! でも、もう帰りたいから、車で送ってくれないか?』
あまりにもスピード解決だったせいか、南さんも金谷さんも目を丸くしていたし、狭山さんはぽかんとしていた。千歳の言うことだけでは説明が足りない気がしたので、俺は言い添えた。
「あの、上島家当主らしいおばあさんが注連縄の囲いに入れてた霊、多分上島紗絵さんですが、それは千歳の中に入ったみたいです。あと、千歳によると、上島家当主の八重穂さんは上島紗絵さんの娘だそうなんですが、その事を八重穂さんに言ったら相当ショックだったみたいで、大人しくなってました」
金谷さんがハッとして言った。
「え、それじゃ、この間養子になる家を選んでいただいた時に話に出た、取り上げられた子供ってことですか!?」
千歳はうなずいた。
『そうそう、それだ。上島紗絵、上島家全滅させたいくらいだったけど、自分の子供が次期当主として育てられてたから、自分の子供が上島家継げる程度には人を残して殺さなかったんだ』
「そ、そうだったんですか……」
南さんが、スマホを取り出した。
「……とりあえず、現状を本部に報告しますね。上島紗絵の霊も、回収完了ということで」
南さんが電話している間、少し心配だったので、俺は狭山さんに頼んで千歳の状態をよく見てもらった。
「ええと、とても安定してますね、前見たのと同じなので、元通りと言っていいと思います」
『うん、ちゃんと元通りだ!』
お墨付きが出たので、俺も胸をなでおろした。パーツを全部集めただけで治るくらい、千歳が頑丈で本当に良かった。
南さんがスマホの通話を切り、俺たちに声をかけた。
「和泉さま、千歳さん。後処理はすべてこちらでやれますので、本部としては、お二人に速やかに元の生活に戻っていただきたい、とのことです」
それはありがたい。まあ、家に帰ったら、俺は確実に疲れが出て寝込むが。遅れた仕事、マジでどうしよう。
千歳はボンと音を立てて女子中学生の格好になり、俺の顔を見上げた。
『おい、ワシ、一週間いなかったんだろ? お前、ちゃんと飯食ってたのか?』
「え? まあ、食べれるときにそれなりに……」
『何食ってたんだ?』
「コンビニのおにぎりとか」
千歳は怒った。
『野菜と肉も食えよ! 家帰ったらちゃんとした飯作るからな! あ、でも、一週間経ってるんじゃ、冷蔵庫の肉も魚も傷んでるな……野菜も怪しい……どうしよう』
千歳は考え込む。通常運行なのは嬉しいが、いきなり元の生活に戻りすぎじゃないだろうか、と俺は思った。




