あなたにお礼を言われたい
扉から一歩踏み出て、千歳の核の人は一度ビクッとなり、それから辺りをきょろきょろ見回した。
「あれ? ここどこ……ワシ、刺されて……え、なんでお前いるんだ、ていうか、なんでワシの中の奴ら狭山先生にくっついてるんだ!?」
「千歳! 俺のことわかる!?」
俺は、思わず千歳の核の人の両肩をつかんだ。
「わかるわかる、なんでさっきまでわからなかったんだ、ワシ? あ、ちょっと待て、中の奴らが戻ってきた」
千歳の核の人は身震いし、ボンと音を立てて、黒い毛羽立った一反木綿の格好になった。
『よし、これでいるやつ全員溶けて入った!』
いつもの千歳だった。
「よかった、千歳!」
狭山さんは、くっついていた霊たちがいなくなったせいかホッとした顔をし、金谷さんも南さんも明らかに胸をなでおろすような表情になった。暴れていた霊たちの収容、本当に大変だったし、また何かの気の迷いで飛び散って暴れだしたら、手に負えなかったもんなあ。
「大変だったんだよ千歳、星野さんが「千歳ちゃんが刺されて飛び散っちゃった」って真っ青になって駆け込んできてさ、それでバラバラになった千歳の中の霊を全員探して集めてさ、一週間駆けずり回ったんだから」
俺は思わず千歳にぼやいてしまった。
『え、もう一週間も経つのか!?』
千歳は飛び上がった。もともと浮いてるけど。
「ここにいる人たち全員とか、金谷さんのお兄さんも、他にもたくさん、いろんな人が千歳のこと集めてくれたんだよ」
俺と霊集めに同行していたのは車に乗るだけの人数だったが、現地に行くとすぐ話がつながったり、結界らしきものに霊を追い詰めている人たちがいたりして、裏でものすごくたくさんの人が動いていたことがわかる。金谷さん(兄)は、金谷神社で、入れ代わり立ち代わり人が来るのをさばいて指示を飛ばしていたし。
千歳は目を瞬かせた。
『そっかあ、どうもありがとう』
千歳は、皆に向かってぺこんと頭を下げた。
「あ、いえいえ……よかったですね、元に戻れて」
狭山さんは何でもないふうに言ったが、金谷さんと南さんはびっくりした顔をした。……ひょっとして、怨霊にお礼言われるって何か特別な意味があるのか?
南さんは、あわあわしたままなんとか声を出した。
「と、とりあえず、お二人無事に元に戻れてよかったです」
『うん! あんた前も会ったな、どうもありがとうな』
「い、いえいえ……」
南さんは額の汗を拭うような仕草をした。狭山さんが、千歳と南さんを見比べて、はっとしたような顔になった。
「あ、あの、千歳さん!」
「なんだ?」
「あの、今回千歳さんのことで、たくさんの人が動きましたけど、それ、本当にたくさんの家の人が動いたんですよ! あかりさんが、千歳さんに養子にならないかって言った家の人たちだけじゃなくて、千歳さんを静観できない派の人たちもたくさん!」
『う、うん』
千歳は気圧されたようにうなずく。話がよく見えない。千歳を危険視する人たちも、緊急事態だし協力してくれたのはわかるけど。
狭山さんは言葉を続けた。
「で、それには、朝霧家の人や上島家の人も含まれてて……千歳さんを刺したのは上島家の当主みたいですけど、上島家全体が悪いというわけではなくて……で、いい意味で千歳さんと縁を結びたかった家もたくさんあって。全員にお礼行脚してほしいわけじゃないですけど、たくさんの家の人が動いて、千歳さんをもとに戻したってことだけは、覚えておいてくれませんか?」
……千歳に恩を売りたいってことか? まあ、普通に助かったけど……。
金谷さんは、目を丸くして狭山さんを見ていたが、やがて言い添えるように続けた。
「あの、千歳さんは私の家の養子になる予定で話進めてますが、なんていうか、私の家だけと友好的になりすぎてるので、他からは異論もあって……。この一件で、他の家とも縁を結んだということで、他の家とも友好的になってもらえると大変ありがたいです!」
ああ、そうか、千歳と縁を結びたい家どうしの争いみたいのもあるのか。それで、この件で、千歳はいろんな家の人に助けられたし、金谷家以外とも縁を結んだことにしてほしい、と。
「千歳、いろいろ助けてもらったのは本当だし、俺は、助けてくれた人たちの家と仲良くしてもいいと思うけど、どう?」
そう聞くと、千歳はいまいちピンと来てない顔ながらもうなずいた。
『うん、まあ、じゃあ、ありがとうって伝えといてくれ。ていうか、ワシ、何かされなきゃ他の奴とケンカする気ないけどな、こいつを祟るのに忙しいし』
金谷さんは、明らかにホッとした顔になった。
「よかったです。これで千歳さん元通りですし、後の処理はうちの兄や両親がやれます」
千歳は変な顔をして、お腹のあたりに手を当てた。
『……ちょっと待て、今確かめたけど、微妙に元通りじゃない。一人足りない』
「え!?」
金谷さんは飛び上がった。南さんも驚いた顔をした。
『あいつがいないと、飯作るときに困る。割と強い霊だし、ふらふらしてたら、あんたらも困るんじゃないか?』
「だ、誰がいませんか?」
『上島紗絵』
金谷さんと南さんの顔色が、明らかに変わるのがわかった。
狭山が機転を利かせたのは、戦記物や軍記物にどっぷり浸かっていて、人同士が恩を売ったり売られたりの重大さを刷り込まれているから
あと細かい事情をあかりから聞いていて、なんとかしたいなあと思っていたのも大きい




