あなたと一緒に外出たい
地下の座敷牢、格子の奥にいた千歳の核の人は、せいぜい中学生くらいの子供に見えた。なんてことない、ただの人間に見えた。
髪は伸び放題で、性別以前に、顔もよくわからない。着物から出ている手も足も垢じみている。こんなところに風呂があるわけもないし、ろくに体を洗わせてもらえなかったんだろうか?
こんな子供が、名前もつけてもらえず、ずっと閉じ込められて、逆らったら食事抜き、外に出ようと誘ったら怒られることに怯える……どんな境遇だったのか。そりゃ、怨みを抱いて死んでもおかしくないと思う。
でも、芯はいつもの千歳と変わらなくて、素直で感情表現がわかりやすくて、人懐っこかった。自己紹介して、お菓子をあげて、一生懸命口説き落としたら、出てもいいかと思ってくれたようだ。
でも、千歳の核の人は、一歩踏み出して転びかけた。俺は、とっさに彼だか彼女だかの手をつかんで、転ぶのを回避させた。
「大丈夫? 立つのうまくいかない?」
ずっと閉じ込められてたんだろうし、足がうまく動かなくてもおかしくない。そう思ったのだが、どうやら別の理由のようだった。
千歳の核の人は、困った声を出した。
「えっと、動けないの忘れてた、着物の裾が変なのに刺されてて……」
「裾?」
彼か彼女かの足元を見ると、たしかに着物の裾が伸びていて、ナイフで床に縫い付けられていた。
変なナイフだ。持ち手の所は木で出来ているようだが、刃の部分が、明らかに金属ではない何か白いものなのだ。質感的に、骨でできたペーパーナイフに似ていた。
千歳の核の人は、ナイフを指さした。
「これ、そんなに深く刺さってるわけじゃないのに、抜けないんだ」
千歳の核の人が、しゃがんでぐいぐいナイフを引っ張る。抜けない。俺も思い切り力を込めて引っ張ってみたが、やはり抜けない。
「うーん、抜くのは無理そうだから……着物、破くか脱ぐかしたら、それで動けるようになるし、外に出られない?」
そう言うと、千歳の核の人はびくっとなって、なんだか恥じらうように着物の前を掻き合せた。
「……一張羅だし、誰かの前で肌襦袢だけになるの、やだ」
……俺は慌てた。やばい、よく考えたら相当まずいこと言ったかも。この子、女の子かもしれないんだし、男の前で下着姿になれなんてこと、言っちゃだめだ! ていうか、男でも、会ったばかりの知らん人の前で下着になるのは嫌だよな! しかも、俺、下着姿で外に出ろって言ってるのと同じだし!
「ご、ごめん! そうだよね嫌だよね! 本当にごめん! 別の方法でなんとかする!」
着物を破く方がまだマシかと思ったが、普段の千歳を考えると、服部分もそれっぽく作った千歳の一部だ。着物を破いてちぎったら、千歳の核が傷つくことになるかもしれない。
「ごめん、ちょっと待ってね、詳しい人に相談してみる」
スマホのライトをつけたまま、アドレス帳から金谷さんの番号を探し、電話をかける。
「どうかしましたか!?」
スマホから、金谷さんの声が聞こえたらしく、不思議そうに見ていた千歳の核の人がびっくりしたようだった。ただ、今は金谷さんに聞くほうが先だ。
「すみません、ちょっと困ったことが……千歳の核の人、口説き落として、出てきてもらうことになったんですが、千歳の核の人の着物の裾が白いペーパーナイフみたいなので床に止められてて、そのせいで移動できないんです」
「白いペーパーナイフ……あ、少しお待ち下さい、南さんが詳しいそうなので、変わります」
少しして、南さんの声がした。
「変わりました、南です。そのナイフですが、骨でできていませんか?」
「あ、そんな感じのです」
「推測ですが、それは千歳さんを刺したナイフである可能性が高いです。朝霧の忌み子の遺骨らしいんです。本人の遺骨なら、千歳さんの核に影響を与えやすいので」
そんなものまで用意してたのか? 千歳を刺した人、この屋敷といい遺骨といい、相当用意してたんだな……。
「普通のナイフじゃないんですね、抜こうとしても抜けないんです。着物脱ぐにも破くにも、着物も千歳の核の人の一部かもしれないんで、踏み切れなくて」
「なるほど……そうですね、刃物の形でなくなれば、霊的な影響力が落ちるかもしれません。そのナイフ、壊すことはできますか?」
「壊すって、折ったりすればいいんでしょうか?」
「ひとまず、それを試してみてください」
「わかりました、やります」
俺は通話を切った。千歳の核の人は、伸び放題の髪の下からもわかる、まんまるな目のままだった。
「い、今のなんだったんだ!? 板と喋ってたのか!?」
……江戸時代の人がスマホ通話を見たら、まあ、こうなるか。
「うーん、板とは喋ってないんだけど……ええと、何ていうか……この板を持った人同士は、離れた場所にいても話せるんだ。それで、外にいる詳しい人に相談してた」
「そんなことできるのか!?」
「できるんだ、今はね。でね、今聞いたんだけど、このナイフ、無理に抜くんじゃなくて、折るといいかもしれないんだって。そういうわけで、やるよ」
俺はナイフを両手でつかみ、真ん中から折ろうとした。でも、手と腕に全力を込めても、全く折れる気配がない。
俺は、歯を食いしばり、両手でナイフの一点をつかんで引きつつ、ナイフのもう一点を片足で思い切り押した。全身に力を込めるが、それでも折れない。くそ、体力のなさがこんなところで足を引っ張るとは!
やっぱりダメかと思ったとき、千歳の核の人がナイフに手を伸ばした。俺がつかんでいるナイフをつかみ、俺と同じ方向に力を込めて、一生懸命折ろうとする。
しばらくの間。ばきり、と音がした。ナイフがまっぷたつに折れた。
さっきまでの硬さが嘘のように、ナイフは砂のように崩れて、さらさらと消えてしまった。
「やった!」
俺は思わず歓声を上げた。千歳の核の人もうれしそうだった。
「わー、動ける!」
ぴょんぴょん跳ねる千歳の核の人。本来活動的なのかもしれないなあ、そんな子がこんなところにずっと閉じ込められてたのか……。
「じゃあ出よう、歩くのは大丈夫?」
「大丈夫だ! 人がいる所に出てっても転んだりしないように、言われたとおりに毎日足踏みしてたし!」
……やっぱり、こんなところにずっといたら、それくらいしないと足萎えるのか……。この子は、素直に言う事聞いて、こんな所でひとり大人しく足踏みしてたのか。
そのことを思うと、なんとも言えない気持ちになった。なんだか衝動が抑えきれなくて、俺は、思わず千歳の核の人の頭をなでてしまった。
千歳の核の人は、戸惑ったように俺を見て、体を縮めた。
「あ、ごめん、思わず……嫌だった?」
女の子って、そういえば、好感持ってない人に頭触られるのはNGだっけ。男の子でも、知らん男に頭撫でられるのはなんか嫌だよな、中学生くらいじゃなおさら。ごめん、小さい子をいじらしく思うような感じで思わず……。
千歳の核の人は、もじもじしながら言った。
「えっと、嫌っていうか、あの、ワシ、汚いし……そんなに触らない方がいい……。ワシ、ずっと風呂入れてもらえなくて、垢とか……ふけとか……」
……千歳は、そういえば垢が出ない。もしかして、生前、垢まみれだったのを恥じる気持ちが、どこかにあったんだろうか?
うまく言葉が出なかった。俺は、スマホをいったんポケットに入れて、両手で千歳の核の頭をわしわしなでた。
「わ、わ、何?」
「そんなの、全然大丈夫だから。帰ったらうちのお風呂入ろう。狭いけど、ちゃんと頭も体も洗えるし、湯船にも浸かれるから」
千歳の核の人は、ぼさぼさの髪の下からでもわかるくらい、目をまんまるにした。
目が暗いのに慣れてきているのと、小さな窓から日が差し込んでいるので、明かりなしでも割と見える。きらきらしてきれいな目だな、と思った。
その目が、ニコッとなり、千歳の核の人はうなずいた。
「うん!」
そのまま、格子の中から出た。スマホを取り出して、行き先を照らしながら二人で暗い廊下を行き、足元を照らしながら階段を登った。扉から差す明かりで、スマホのライトがもういらなくなった。
「ほら、外だよ!」