あなたを絶対助けたい
俺は、いつも使っている鞄に財布とスマホと常備の薬ありったけと、ついでに充電器を突っ込み、星野さんを送ってきた南さんの車に乗った。
南さんは車を運転しながら、わかっている限りの現況を詳しく説明してくれた。
「先程も申し上げましたが、強力な霊が複数活動しています。今はポルターガイスト程度のことしか起こっていませんが、これがもっと暴れたり散らばったりしたら、更にひどい事態になります」
「ポルターガイストっていうと、物がガタガタしたり、電気が点滅したりですか?」
「そうですね、通信障害が断続的に起こっていますが、それもだと思います」
「……もうすでに、シャレにならない事態になってませんか?」
この情報化社会、通信障害だけでどれだけの被害が生じることか。あと、電気が点滅するというのも、断続的な停電だとしたら、工業や医療に計り知れない影響がある。
「……そうですね。今、狐たちを走らせて状況確認中ですが……あ、戻ってきました」
車の中にひゅっと風が起こる。車の窓は全部閉まっているのに、一体どこから入ってくるのか。
「……一体、強い霊の居場所がはっきり確認できました。和泉さま、ご協力いただきたいのですが」
「何でもします、どうすればいいでしょうか?」
「私と狐たちで和泉さまをガードしますので、霊に呼びかけて下さい。和泉さまはここにいて、千歳さんを元に戻そうとしている、と。それが相手に伝われば、もしかしたら大人しくなって、和泉さまについてくるかもしれません」
車は走る。車窓から見える道順に覚えがあった。これは、図書館の方だ。
「あそこですね、あの建物に一体、張り付いています!」
街路樹の向こうに見える、タイル張りの四角い建物。中から人がバラバラ駆け出ていた。すでに中に異常があったのだろうか。
車を降りて、人の流れに逆らって図書館まで駆け出す。すれ違う人に声をかけられた。
「危ないですよ! 今、地震でものすごく揺れて!」
「地震ではありませんね、多分あの霊が建物そのものを揺らしています!」
一緒に走る南さんに言われる。図書館の入り口まで来て、俺は戸惑った。
「俺だと全然霊が見えないんですが、見えるようにできませんか!? どこに呼びかければいいのか……」
「それは、あかりちゃ……金谷さんクラスでないと出来ませんね、少し待ってください、わかりやすくします!」
突風が巻き起こり、土埃や地面の落ち葉が巻き上がった。つむじ風に持ち上げられた塵芥が図書館の二階部分に向かう。落ち葉や砂が、なにかの輪郭を描くかのように見えた。
落ち葉や砂でうっすら見えた輪郭で、図書館の建物の上に、ぼってりとした巨大な塊が張り付いているのがわかった。
「あれですか!?」
「そうです!」
こちらにも、かなり風が吹いている。口を開けると、中にいろいろと飛び込んだが、俺はかまわず、巨大な塊に向かって叫んだ。
「千歳! いや、千歳の中にいる人か! 迎えに来たよ、一緒に来て! 全員集まって千歳に戻って! 頼むよ、帰ろう!!」
……びりびりと空気が震えた。巨大で透明な塊が身をもたげ、雄叫びを上げたかのようにぽっかりと輪郭が途切れる。そして、図書館の上から飛び上がり、そのまま俺の方に落っこちてきた。
俺は、潰れるかと思ったが、塊に接触する一瞬前に塊の輪郭が消えた。そのまま、落ち葉と土埃が俺に落ちて直撃した。え、これ、霊が消えたの? それとも、形が変わって俺にくっついてるの?
「み、南さん、これ大丈夫ですか!? 今の霊、大人しくなってます!?」
思わず南さんに聞くと、南さんは真剣な顔のまま何度もうなずいた。
「小さくなって、和泉さまにしがみついています! うまく行きました!」
「よ、よかった……」
俺は、頭や服についた落ち葉をはらった。とりあえず、千歳の中にいた人と思しき霊に、俺の言葉は届いたみたいだ。
南さんが、俺の背中の土埃を払いながら言った。
「まだ一体ですが、これでうまくいく実績ができましたので、狐たちで各所に連絡を回します。霊たちの場所がはっきりし次第、また霊のところに行って、同じことをしてください」
「します、でも」
今思ったけど、こうやって千歳の中にいた人を全員集めたとしても、千歳本体は? 核を刺されたと言われていたけれど、その核はどうなっているんだ?
「あの、千歳の核というか、本体もちゃんと探さないと。千歳を刺したおばあさんを探して、どうにかするとか」
南さんは、落ち着いてほしいと言うように手で俺を制した。
「もちろん、最終的には核を探します。ただ、今はあまりにも情報が足りません。狐たちを連絡役兼情報収集に回していますので、動けるだけの情報が集まるまで、それはお待ち下さい。今は、居場所がはっきりわかる、確実に害のある霊を大人しくさせることが先決です」
確かに、わかっていないことが多すぎる。通信障害も起こっているし、害を抑えるのがまず先というのもわかる。
でも、早く千歳を元に戻したい。あせってもどうしようもないことはわかるけれど……。
南さんが言った。
「長丁場になると思います。何日もかかります。今、金谷さん、お兄さんの方ですが、彼がいそうな場所に移動します、そこが一番情報が集まりそうなので」
何日もかかる。そうだ、だから薬ありったけ持ってきた。さらに思いが至る。何日もかかるなら、俺は、通信障害を縫ってクライアントたちに連絡して、しばらく仕事できないと伝えたほうがいい。この御時世、コロナでいつ誰がダウンしてもおかしくないし、コロナに感染したと言えば、十日は猶予がもらえるだろうけど……。
……いや、俺はコロナじゃない。コロナ罹患の証明を求められたりしたら、後で困る。でも、緊急事態なのは確かだ、千歳が緊急事態だ。
同居人が急病で、難しい病気で、しばらく世話しなくちゃならない。そう言っても嘘ではない。
千歳。千歳には本当に世話になってる。本当にありがたく思ってる。こういう時に千歳のために動けなきゃ、俺は本当にダメだ。
千歳の重大事だから、絶対に千歳を助けるから、それくらいの言い訳は許される。俺はそういうことにした。
この話は2022年夏頃が初出です、なのでコロナ感染時の隔離期間が10日です