なんでもない日を過ごしたい
値段を上げてからご無沙汰だったクライアントから珍しく仕事の話が来て、少し驚きながらも対応して見積もり提案を送り、一息ついたところで怨霊(女子中学生のすがた)(命名:千歳)が買い物から帰ってきた。
『ただいま!』
「お帰り、なんか重そうだね?」
千歳のいつもの買い物量より、エコバッグのボリュームがなんだか大きな気がする。
『ワシの金でスイカ買ってきた! お前にも、少し分けてやらんでもないぞ』
千歳は台所で荷物を広げた。八分の一くらいに切られたスイカが出てきた。まあ、健啖な千歳と言っても、まるごと一個は食べないよな。
「じゃあ、はしっこのほう一切れちょうだい」
千歳の顔がふくれた。
『もっと食えよ! せっかくワシの金で買ってきたんだぞ!』
どうしろというんだ。ここは遠慮を見せるべきところではなかったのか。
「じゃあ、二、三切れちょうだい」
『よし、切って冷やして、今日の夕飯の後に出してやる』
「ありがとう」
『あ、後な、昨日、お前ワシのこと「タンパク質とかDNAでできてないと思う」って言ってたじゃないか』
「うん、それがどうかした?」
千歳は荷物を冷蔵庫に詰め込みながら話した。
『星野さんに、昨日健康診断したこと話して、そのことも話したら、「それならコロナ移ったり移されたりの心配がないってことだから、今度一緒に道の駅までドライブしない?」って。デイケア送迎とスーパーの往復に飽き飽きなんだって』
「星野さんと一緒なら、いいんじゃない?」
千歳は一人で知らない場所に行くのが苦手だが、星野さんが一緒ならその心配はないだろう。
千歳の顔がパッと輝いた。
『やった! 星野さん、一応お前の許可取ってほしいって言ってたんだ』
「別に、俺にいちいち許可取らなくても大丈夫だよ。千歳の行きたい所行きな」
『まあ、お前がどう思おうが行きたいが、星野さんが許可取りたいって言うしな』
星野さんのこと大好きだな、千歳。
「俺のLINEで、星野さんに「行くの全然大丈夫です」って返事しとこうか? その方が早いだろ?」
『じゃあ、そうしてくれ!』
俺はスマホを取り、星野さんにその旨を送った。千歳は食材を冷蔵庫にしまい終わり、ボンと音を立ててヤーさんの姿になって、布団を取り込みにベランダに出た。俺は今月の萌木さんからの仕事に戻った。
その日の夕飯終わりに、千歳が『爪楊枝とかないから箸でつまんで食え』と言いながらスイカを出してきた。スイカを箸で? と混乱したが、千歳(幼児のすがた)が出してきた皿を見て疑問は溶けた。スイカの赤い果肉は、ダイス状にカットされていたのだ。
「おお、食べやすくなってる! ありがとう!」
千歳は得意げな顔になった。
『スイカの皮を漬物にしたかったから、身と皮を切って冷やしといたんだ』
「あ、そっか、皮って漬物で食べられるんだ」
『明日の朝飯に出すからな』
「そうか、じゃあ楽しみにしてる」
『そんなに楽しみにするほどの物か?』
「だって、千歳の作るのは何でもおいしいし。千歳のおかげでいろんな物が食べれてるし、どれもおいしいし、最高だよ」
何気なく言ったのだが、千歳は変な顔をして、黙ってしまった。え? 俺なんかまずいこと言った?
「えっと、ごめん千歳、俺なんか変なこと言った?」
『いや、別に変ってわけじゃないが……』
「何かまずかった?」
もしかして、そういうことは普段からたくさん言え、みたいなことだろうか? まずいな、毎回おいしいとは言ってると思うけど、感謝の念はあまり伝えていない気がする。
「えっと、千歳、あの、毎日おいしいもの作ってくれて、俺すごくありがたく思ってるんだよ。俺一人じゃ絶対食べられないものばっかりでさ。他の家事もたくさんやってくれて、すごく助かってて、その」
『いや、別にいいんだが、お前、何出してもおいしいって言うから、義理で言ってるか、舌がバカかのどっちかだと思ってたぞ』
そっちかー! 義理では全然ないんだけど、俺の舌がバカと言われると、否定材料がない。千歳が料理してくれるようになるまで、貧しすぎる食生活だったし。
「毎回素直においしいと思ってるんだけど、舌は……ちょっと自信ないな……」
そう言うと、千歳は笑った。
『まあいいや、うまいなら。ちゃんと食べて、もう少し肉つけろよ』
俺は苦笑いした。
「食べるけど、昔から燃費悪くて、太れないんだよなあ」
未だに腹を壊しっぱなしだし。薬も飲んでいるが、これだけはしつこく良くならない。
『お前、油ものあんまり良くないしなあ。もうちょっと肉増やすか?』
「そんなにたくさんは食べられない……おいしいけど、胃の容量はまた別なんで」
『がんばれ! 太れ!』
そんなこと言われても、俺の胃は大きくならない。俺は話題を転換する必要性を感じた。
「そうだ、夕飯前に星野さんからLINE来てたんだけど、急だけど明日はどうかって。明日、星野さんいきなり時間が空くんだって」
『じゃあ、明日行きたい!』
「じゃあ、そう返事しとくよ。楽しんできな」
『うん!』
千歳はウキウキしながらスイカを頬張り、俺もスイカを口にした。甘くて爽やかで体に沁みる味がする。たまに食べる果物は、幸せの味だ。
千歳が幸せなら嬉しいし、俺も今、けっこう幸せな気がする。