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誰かと親しく話したい

旅館の朝食は、お櫃に入った炊きたてご飯に味噌汁、干物、卵焼き、青菜のおひたしにきのこのあんかけなどと、純和風だった。夕食に比べて若干地味かも、と思いつつ口に運んだが、自分の先入観を後悔した。カツオの香りが濃く、とにかく出汁が良くて、どれもこれもおいしいのだ。

怨霊(男子大学生のすがた)(命名:千歳)は味噌汁を飲んでうなっていた。

『これは、ちょっと家では真似できんな……』

「これが一番出汁ってやつかな、カツオ出汁すごいよね」

『おっさんが、昆布も入ってる合わせ出汁だって』

「パーフェクトじゃん」

『干物も味が濃くてうまいな……身がすごくふっくらしてるし……』

「名物なだけあるよな……」

『なあ、ワシ金出すから、帰りに駅前の干物屋開いてたら、家用の干物も買っていいか?』

「全然いい、買ってくれてありがとうございます。開いてなかったら、開くまで待とう」

千歳はご飯をお代わりし、俺はお茶をいれて千歳にも渡した。

『いやもう、昨日からいいものばっかり食べたなあ』

「こんな贅沢、なかなかできないよねえ」

お茶を飲みながら、俺はスマホで湯河原駅前の干物屋の開店時間を調べた。

「干物屋、九時開店だって。開くの待たなくても大丈夫かも」

『おっ、じゃあ絶対買おう』

食器を下げてもらい、お茶を飲み終えてから歯をみがく。その後、金谷さんに「九時前くらいに宿を出ます」とLINEした。持ってきた荷物をまとめ、昨日買ったお土産も星野さん用と自分の家用に整理してまとめる。

「千歳の荷物、タブレットと財布くらいしかないと思うけど、忘れ物ないよね?」

『うん、あと、お土産はワシが持つ』

「よろしく。あと、浴衣着たまま帰らないでね」

『あ、忘れてた。脱いでくる』

千歳は隣の部屋に行き、しばらくしてTシャツとデニム姿で戻ってきた。俺とそう変わらない気の抜けた格好だが、見た目がいいと映えるんだよな。

「ゴミも捨てたし、チェックアウトしちゃおうか」

『うん。あ、ビール一本残ってるけど、おっさんが好きに飲んでくれだって』

「じゃあ、それとりあえず家のお土産用の袋に入れといて」

『わかった』

フロントでチェックアウトを済ませ、同じタイミングでフロントに来た金谷さんたちにあいさつし、干物屋に寄る。千歳はアジの干物とかますの干物を買った。

『今日の夕飯、アジとかますとどっちがいい?』

「かますの方食べてみたいかな」

『じゃあかます焼くぞ』

「よろしく」

電車に乗る。同じ車両の遠くの方に、金谷さんたちもいた。けっこう尾行されてるなあ、まあ後ろめたいことは何一つないし、あっちも千歳が嫌いな人を説得するための材料集めをしなきゃならないし、いいけど。

千歳が言った。

『なあ、星野さんに、ラインってやつで連絡してくれないか? 明日スーパーで会う約束してるけど、お土産わりと多いから、家まで行って渡す方がいいか聞いてほしい』

「わかった、今送るね」

星野さんにLINEしたり、一本残ったビールをどうするか千歳と話したり(ロング缶なので夕飯で開けて二人で分けて飲むことにした)、星野さんからの「車で行くからスーパーでくれたら大丈夫です、千歳ちゃんにありがとうって伝えてください」の返事を千歳に見せたりしていると、大船駅についた。乗り換えて、地元の駅まで行く。改札を出て、俺は一息ついた。

「帰ってきたねえ」

『おっさん、ここで出てくって』

「え、もう?」

千歳の上半身から、藤さんがすーっと抜け出てきた。

「どうもありがとうな、野暮用済ませたら、もうあっちの世界に行くよ」

「ああ、どういたしまして……俺たちも思いがけない贅沢ができて、楽しかったです」

『じゃあなおっさん、来年のお盆に顔見せろよ』

「いやー、本当にいろいろありがとうな、怨霊くん。これで心残りないよ。じゃあな」

藤さんはふわっと浮き、駅前の雑踏に紛れて消えていった。

あっさりした別れだったなあ。でも、これで新居候補の障害はなくなったわけだし、明日からまた手続き頑張るか。

千歳が聞いてきた。

『なあ、この駅、近くに公衆トイレあったよな』

「ああ、駅の裏にあるよ、すごく臭いけど」

『ちょっと行って来るから、待っててくれ』

「うん、どうせ金谷さんたち待つから、ゆっくり行ってきな」

千歳は家でもトイレを使っているが、トイレの必要がある怨霊って、本当に何なんだろうか。まあ食べたなら出すのが摂理だが。

金谷さんたちはまだかなあ、乗り換えのときにはぐれたかなあと思いながら待っていると、後ろから声をかけられた。

「和泉さん」

藤さんの声だった。

「あ、聞こえないふりして聞いてくれな」

どうしろと言うんだ。返事しなきゃいいのか?

とりあえず声を出さず、軽くうなずいてみると、話の続きがあった。

「ここだけの秘密な。俺、あの拝み屋のお嬢ちゃんに、あの怨霊くんの中に入ってた時に分かることを教えてくれって言われたんだけどさ。和泉さんには世話になったから、ひとつだけあの怨霊くんのこと、ちゃんと教えとこうと思う」

千歳のこと? なにか大変なことでもわかったんだろうか? ていうか、何してるんだ金谷さんは。

「あの怨霊くんはね」

思わず身構えた俺の耳に入ったのは、しかし予想外すぎる言葉だった。

「今までで一番、幸せだよ」

……はい?

「本人はあんまり自覚してないけど、中に入って、気持ちや記憶を辿ったからわかる。あの怨霊くん、生前ずっと欲しくて手に入らなかったものが、今当たり前のように手に入ってる。だから、今の生活を自分から崩すようなことはないと思うよ」

ずっと欲しくて手に入らなかったもの? 今当たり前のように手に入ってるもの? なんだ?

「和泉さん、なるべくあの怨霊くんのそばにいてやりな。君がいなきゃ、あの怨霊くんが欲しかったものは満たせなかったからさ」

俺はかなり混乱していた。どういうこと?

「じゃあ、今度こそじゃあな。来年のお盆も仲良くしてなよ」

それを最後に、藤さんの声はしなくなった。しばらくして、千歳が戻ってきた。

『めちゃくちゃ臭かった! きれいに掃除してあるのに、なんであんなに臭いんだ?』

「さ、さあ……下水が悪いのかな?」

千歳が生前欲しかったもの? 今当たり前のように手に入ってるもの? なんだ?

考えてもさっぱりわからない。チョコミントかと思ったが、千歳は俺が散髪に行ったときに初めてチョコミントを知ったようだったし、生前に欲しがったとは思いにくいな……甘いもの全般とかかな?

『帰ったらチョコミント食べたい。おっさん、チョコミント嫌いだっていうから、コンビニ寄った時売ってたのに、食べられなかったんだ』

「そうだったんだ、そりゃ残念だったね」

『あと、おっさんの体の感覚が変になるから、ゴロゴロしたい時に黒い格好になるのもできなかった。飯はうまかったけど、食べ方もけっこう注文が多くてさ』

千歳はため息をついた。

「割と大変だったんだね……お疲れ」

俺は、ふと思いついた。この駅前だと、前に俺の誕生日でケーキを買ったケーキ屋がすぐ近くだ。

「金谷さんに会ってお守り返したら、こないだ行ったケーキ屋行こうか。ひとつ好きなものおごるよ」

『え、いいのか!?』

「千歳のお疲れ様会ってことで」

『やった!』

「お昼も、何か買って帰ろうか」

『じゃあ、いつものスーパーの弁当が安いしうまそうだから、それがいい』

「そうしよう」

金谷さんたちはすぐやってきて、俺たちはお礼を言ってお守りを返し、藤さんとはもう別れた事を告げた。藤さんに最後に言われたことは、秘密と言われたし、どう説明していいかもわからないので、とりあえず何も言わなかった。

ケーキ屋に寄ったら、なぜかチョコミントアイスが何種類も売っていて、千歳が大フィーバーしていた。

書くのも野暮ですが、朝霧の忌み子は自分と話してくれる人がずっと欲しかったのです

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