番外編 夜の温泉宿
祟ってる奴が隣の部屋に行き、隣の部屋の明かりも消えた。多分すぐ寝付いてしまうだろう。いつものことをしなければいけないので、中にいるおっさんに話しかけた。
『おっさん、少ししたら、あいつの寝てる部屋行って動画見たい。ビールとビーノも持ってくから』
おっさんの不思議そうな声が返ってきた。
(枕元で音出していいのかい?)
『大丈夫だ、あいつ、近くでラジオ聞いてても平気で寝てる。それより、アイツ寝てしばらく経つとうなされるから、なだめてやらなきゃいけないんだ』
(なだめる?)
『頭とか背中しばらくなでてやると、すーっと落ち着くんだ』
(……ええと……それ、いつもそうなの?)
『だいたいそうだな。あ、最近はうなされてないこともあるけど』
(あー、よくわからないけど、移動するのはいいよ)
『ありがとう』
タブレットを小脇に抱え、ビールとビーノを持って、隣の部屋に行く。祟ってる奴はもう眠っていた。横向きで丸まっている時は、たいてい熟睡している。うなされだすのもこの寝姿の時のことが多いが。
『動画、続き見るぞ』
(うん)
おっさんは、世界の軍隊の動きに興味があるとかで、ロシアのウクライナ侵攻がどうして起こったか、いまどんな感じか知りたがっていた。おっさんの言うとおりに動画を検索して見たり、ツイッターとか言うのを検索して見たり、ニュースサイトを検索して見たりしていたが、一緒に見ていても、半分も意味がわからなかった。丸の内炒飯OLってなんだ?
そのうち、祟ってる奴がむにゃむにゃ言い出した。
『あ、なだめるから、動画少し止めるな?』
(あ、うん)
祟ってる奴の方に手を伸ばし、後頭部から背中をさする。しばらくさすっていると、祟ってる奴の険しい顔が和らぎ、静かになって、元のように深い呼吸をするようになった。
『これでよし。もう戻るぞ』
(いいのかい? またうなされないか?)
『大丈夫だ、一回なだめたら、その夜はもううなされないから』
(そう……)
テーブルがある部屋に戻って、ビールを飲みながら動画の続きを見た。動画の切れ目で、おっさんが聞いてきた。
(あのさ、怨霊くん。君、和泉さんとはどういう関係なんだい? ずいぶん親しいのはわかるけど)
『ん? 別に親しくないぞ、あいつ、転んでワシがいた祠を傷つけて、痛かったから子々孫々まで祟ってるだけだ』
(祟ってる相手にあんなことする!?)
『だって、あいつ「体力も金もないから自分が末代」とか言うし、本当に体悪いし貧乏だし、ほっといたら子孫繋ぐ前に死にそうだから、ワシあいつに子孫作らせるためにいろいろ頑張ってるんだ。少なくとも、七代祟ろうと思って来たんだからな』
(……後学のために聞くけど、どんなこと頑張ってるの?)
『えーと、三食まともな飯作って食わせるだろ、買い物行くだろ、あいつが起きてる時は布団干してなるべく柔らかい所で寝かせるだろ、洗濯物洗って干すだろ、生ゴミその他分別してまとめておくだろ、あいつのラジオ体操とか散歩とか付き合うだろ、あとあいつが遠出のときは付きそうだろ、たまに体揉んでやるだろ、えーとそれから』
(どんだけ尽くしてるの!?)
『頑張ってるだろ、ワシ』
(頑張ってるけど、頑張ってるとは思うんだけど、祟ってるとはちょっと……言い難いな……)
『祟ってるんだ! まあ、本格的に祟る前の準備とは言えるかもしれんが』
(うーん……)
おっさんは考え込んでいるようだった。
(でもさ、君はさ、和泉さんと話してると楽しそうだよ)
『そうかなあ』
首をひねる。確かに今の暮らしは嫌なこと全然ないし、好きなことがたくさん出来てるけど。
(君は祟ってるって言うけどさ、君、もう、和泉さんが傷ついたり苦しんだりするの、見たい気分じゃないんじゃないの?)
……あいつが傷ついたり、苦しんだり。あいつ、特にケガはしてないけど、ほっとくとそれだけで苦しんでるな。あいつが苦しんでたら……子孫をつなぐ前に死なれたら困るから、苦しくなくなるように、何かしら手当するとは思う。
『苦しそうだったら何かしてやるぞ、あいつ子供作る以前に女すら見つけてないから、今死なれたら困る』
(……そうだな、じゃあ、和泉さんがケガしたり苦しんだりしてるけど、君は見てるだけで何もできなかったらどうする?)
あいつがケガしたり苦しんでて、でも何もできない? 見てるだけ?
……あいつは多分、「千歳」って呼ぶと思う。「助けて」って言うかもしれない。でも何もしない? できない?
考えると、なんだか胸がもやもやした。あんまり考えたくなかった。
『……ていうか、あいつ、ほっとくだけで苦しんでるし。もうだいぶ体傷んでるし』
そう言うと、おっさんが苦笑するような気配がした。
(まあ、それはそうだけどさ)
『あいつ、ガリだから、ワシがちょっと力入れて小突いただけでぐちゃぐちゃになるだろ。それに、人間は自分が傷つくより大事なものが傷ついた方が苦しむだろ? 人間は自分の子供が大事だろ? だから、あいつが子供作るまで世話して、子供ができたらそいつに重点的に祟るんだ』
(……君、少なくとも七代祟るって言ってたけど、それなら和泉さんの子供もある程度ちゃんと扱わないと、三代目以降ができないんじゃない? あからさまに祟られてる人間と子供作りたい人、いないよ?)
……そういえば、そうかもしれない。こんなに世話してる一代目でさえ、子孫を作らせるのに苦労してるのに、生まれた瞬間から祟ってたら、本当に嫁が来ない。いや、婿かもしれないけど。
『……どうしよう』
(それにさ、子供ができたら傷つけられると思ったら、人間は子供作りたがらないし、仮に作っても、和泉さんの子供を傷つけたら、君は和泉さんに嫌われると思うよ)
『それは……』
あいつに嫌われる? 来るなって言われる?
話してくれなくなる? それは嫌だ。すごく嫌だ。
でも祟らなきゃ、祟る相手がいなきゃ、ここにいていい理由がない。どうしよう。困る。
でも、あいつに子供ができるまでは、相当かかると思う。とりあえず、考えるのは先送りにすることにした。
『……あいつが子供作るのは、ずっと先だと思うし。稼ぎはマシになってきたのに、女見つけろって言うと「相手が必要なことは長い目で見て」ってばっかり言うんだ』
おっさんが笑う気配がした。
(まあ、君も長い目で見て考えなよ。君、できれば長い間和泉さんと仲良くやりたいだろ?)
あいつと仲良くやる? 確かに、喧嘩とかはしたことないけど、でも仲いいのか? あいつは……あいつは、割と気弱そうだし、何言ってもたしなめる程度で怒ったことないし、むしろ役に立つこと教えてくれることもよくあるし……あれ、わりと仲いいのか?
あいつとはたくさん話してきたけど、嫌なこと言われたこと、特にないな。一度夢の中で言われたけど、本当にあんな事言われたら、悲しくて悲しくて、その場で泣いてしまうと思う。来るなって言われたら、どうして悲しいのかわからないけど、ああ言われたら、もう二度と話してくれないんだと思ってしまう。話してくれないのは嫌だ。
あいつと仲良くしたいのかどうか、わからない。でも話せないのは嫌だ。
『……仲良くは、よくわからないけど、あいつが、ワシと話してくれなくなったら、嫌だ。すごく嫌だ』
(じゃあ、なるべく嫌なこと起きないように頑張りな、怨霊くん)
『うん……』
でも、何を頑張ればいいか、よくわからない。
『どうすれば、あいつはずっとワシと話してくれるかなあ』
(今のままで大丈夫だと思うけどね。あと、和泉さんが嫌がることはなるべくしない)
『あいつが嫌がることかあ……うーん……食事にパクチーは元から出してないしな……あ、でもやらないでくれって言われたことはあるな、それに気をつければいいかな』
(何をやっちゃダメなの?)
『「俺以外の人は祟ったり傷つけたりしないで」って言われた』
(それは大事なことだよ、ちゃんと守りな)
『わかった』
(あ、その動画の次、またTwitterに戻ってほしいな。知り合いのライターたちの見解を見たい)
『うん』
(あと、朝になったら、朝食の前に朝風呂に入りたいな)
『うん、あいつ起きてたら、誘ってもいいか?』
(君ら本当に仲いいねえ)
『だって、あいつに湯治させられるから、ちょうどいいと思って温泉来たんだ。そりゃワシも入りたかったけど』
(そう言えば和泉さん、なんで体悪いの?)
『自律神経失調症ってやつだって。ブラック企業は怖いんだって』
(苦労してるんだねえ……)
『だから、よくうなされてるんだな……』
そのまま、おっさんの言うとおりにタブレットでいろんなところを見た。夜明け頃に祟ってる奴が置きてきたので、朝風呂に誘うことにした。




