アタリの子なら生きててほしい
金谷さんから連絡があった。和束母娘が住むアパートの電気メーターは回っていなかったとのことだ。不動産屋も大家も近隣住民も、年単位で和束母娘の姿を見ていないらしい。
「居住実態がないのは、事実かと思います」
「そうですか。それと、私は気になることがあるんですけど」
先日の疑問。朝霧春太郎の、そしておそらく和束美枝の子が一人生きているのはなぜだろう、その疑問を、俺は金谷さんにぶつけた。
「こんな事を言うのもあれですが、霊にするなら育てる必要ないですよね?」
「それは、確かにそうですね」
「でも、上島ミツさんが確認したときも、その後確認したときも、まだ生きてる。生きたまま助けたいですけど、猶予はどれくらいあるんでしょう」
「育てたい理由があるのかもしれませんが、育てたい理由はよく分かりません。猶予も、今はよく分かりません、申し訳ありません」
「いえ、そうですよね、ありがとうございます」
育てたい理由か……育てたいなら、猶予はかなりあるかもしれないが……。
千歳に金谷さんとのやりとりを話すと、千歳は腕組みして考え込むようだった。
『なんか、ある程度育った後じゃないと霊にしたくないとか?』
「それはあり得る線だけど……どういう場合、ある程度育てて霊にしたいんだろう?」
『それはわかんない』
「うーん……」
和束みやびの人となりを改めて思い返してみる。自分の子供が自分の理想でなかったことに対して「アタリを引けなかった」とか子ども本人に言うような人……。
……アタリ?
「アタリ、の子なのか?」
『アタリ?』
「和束みやびはさ、和束ハルに、お前はアタリじゃなかったって意味で「アタリを引けなかった」みたいなこと言う人じゃん。でさ、和束美枝さんに10人産ませて、ひとりだけ生かしてるってことは……その子が、何かしらのアタリなのかなって」
『はー、なるほど』
千歳は、感心したようにため息をついた。
『それ、日報に書くよ』
「そんなすごいこと?」
『すごいだろ。アタリなら、どんな風にアタリなのか調べてほしいしさ』
それはそう。
アタリ……アタリだとして、どういうアタリ、なんだろう?




