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二度とあれには戻らない 前編

 買い物帰りの怨霊(女子中学生のすがた)(命名:千歳)が、買ってきたものを台所に広げて冷蔵庫に詰め込んでいる。


『おい、今日は精のつくもの作るぞ!』


 精がつくのはいいが(使い所がないが)、にんにく梅酒みたいなのはやめてくれよ、と俺はこわごわと台所をのぞき込んだ。レバーのパックとニラの束が目に入った。


「ああ、よかった、レバーか……レバニラか何か?」

『レバニラだ!』

「いいね、でもレバーの下処理大変じゃない?」

『新鮮な鶏レバーなら、少し切ってから水でよく洗えば大丈夫だって。星野さんもレバーはそれでやってるって言ってた』

「なるほど」


 俺はスマホの時計を見た。ちょうど一時間後に、萌木さんと打ち合わせだ。


「千歳、あと一時間したら、萌木さんとリモート打ち合わせだから、その時はしばらく俺の後ろ通らないように気をつけて」

『わかった、たぶん台所にいるけど、今度は何も落とさないようにする』

「うん、よろしく」


 ということで、しばらくして萌木さんと話を始めたのだが、今月頼まれそうな仕事はいつもと少し目先が違っていた。


〈和漢生薬とアロマが売りの化粧品のサイト構築を頼まれてるんだけど、その宣伝文とボタニカル成分の解説コラムを頼みたいんだよね。もちろん資料はあるけど、資料のどの部分がニーズが高くて受けそうかっていうのは、適宜リサーチしてほしい〉


 俺はwebライターを三年やってるので、結構広い分野のwebコンテンツを作ってきたけど、萌木さんの所からこういう話が来るのは初めてだ。


「お引き受けはできます。でも、こういうの、化粧品とかアロマの資格のある人がやったほうが箔付きません? それに女の人向けだから、書くのも女の人のほうがいいような気がしますけど」

〈一人そういう人はアテあるんだけど、その人には名前出しての監修に回ってもらいたくて。文章作成は専門の人に頼んでさ〉

「なるほど。その監修さんはどんな人ですか?」


〈神沢あざみさんって言って、薬膳とアロマの資格持ってて、ナチュラル化粧品とか手作りアロマ化粧品好きに名前が売れてる人。その人の資料とかサイト、今送ろうか?〉

「お願いします」


 萌木さんから送られてきたメールを開き、pdfを見て、サイトに目を通す。経歴、関わってきた仕事、サイトコンテンツ……。

 ……俺は背筋が凍った。

 この話の展開、詳しい分野、一見さわり心地が良い言葉だけど、巧みに自然以外の物はよくないという印象を植え付ける文章。医療から人を遠ざける文章。俺はこの触り心地を知っている。よく知っている。


「……この神沢って人、師匠筋は多分、和泉和漢薬って言う漢方薬局を経営してる夫婦の妻の方ですね」

 〈え? 和泉って……、和泉さんと同じ苗字だけど、親戚かなにか?〉

「私の親です」

 〈え!?〉

「……萌木さん、すみません、二時間……いや、一時間半待っていただけませんか? その一時間半で、萌木さんにどうしても見ていただきたい資料作ります。その資料見ていただいてから、このお話については改めて」

 〈い、一時間半?〉

「一時間半で絶対にお渡しするので。どうか見てください。お願いします」

 〈み、見るけど……どうしたの?〉

「見ていただければわかると思いますので。一時間半でお渡しします。申し訳ありません、資料作るので、一旦切らせていただきます」


 萌木さんに頭を下げて、俺はリモート会議から退出した。千歳が声をかけてきた。


『もう終わったのか? どうしたんだ?』


 俺は言った。


「……千歳ごめん、夕飯、いつもより三十分くらい遅くじゃないと食べられない。今、どうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ」

『え? ああ、まあ、ずらせるが……』

「ごめん、よろしく」


 俺はパソコンに向き直った。スマホも開く。神沢あざみのInstagram、Facebook、TikTok、さらにTwitterアカウントを特定してログを漁った。予想通り、和泉和漢薬につながっていたし、ダメな言動がザクザク出てくる。自分の子供がこんなひどい火傷してるのに、西洋薬は毒とか言ってヨモギオイル塗るだけで済ませるな、病院に連れていけ。アロマ用のエッセンシャルオイルをそのまま飲用したり点眼したりを周りに勧めるな、エッセンシャルオイルってものすごく作用強くて、皮膚にすら直接つけちゃいけないんだぞ。いろんながん患者に、漢方薬のみで治ると言って手術や抗がん剤投与をやめさせようとするな、殺す気か。漢方薬の力だけで新型コロナを予防しようとか呼びかけるな、あまつさえ、海外の有名なデマサイトを引っ張ってきて新型コロナワクチンは毒ワクチン略して毒チンだとか騒ぐな。新型コロナワクチンでどれだけ新型コロナの重症化を防げると思ってるんだ。

 明らかにダメだとわかるものを適宜スクショし、該当URLも合わせてメモる。PowerPointを開いて、スクショをURLとともにスライドに貼り付けていく。スクショに強調線や解説をつけて、さらに問題点をわかりやすくする。

 一時間と少しで、なんとか形になった。最後にもう一度資料を見直して、萌木さんにスライド資料を送った。以下の文面をつけて。


「神沢あざみ氏は、長年にわたって非科学的な言説を広め、多くの人を適切な医療から遠ざけている人間です。アロマに使うエッセンシャルオイルの扱いも完全に間違っていて、人に害を与えることをしています。現在も、漢方薬のみで新型コロナを予防・治療できるとして、反ワクチンの思想を広めています。

 これは、この人の師匠筋の和泉和漢薬の経営者、私の両親に影響を受けて始めたことだと思います。和泉和漢薬は、アロマや健康法など、人が集まりやすいことを掲げて自然派に取り込むことを私の子供の頃から続けています。取り込んだ人を適切な医療から遠ざけて、自分の所の漢方薬やアロマだけで何もかも治ると宣伝して、信者から金銭を吸い上げています。がん患者に手術も抗がん剤も受けさせず、何人も悪化させて、苦しめて殺してきました。内部から見ていたので、よく知っています。

 そういうことなので、申し訳ありませんが、私はこの神沢あざみ氏が関わる件には、一切関われません。この人が関わるコンテンツを世に出すのなら、萌木さんとの他のお仕事も今後お引き受けできません」


 ……俺はため息をついた。最後の方は完全に勢いで書いてしまったが、俺は、どうしてもそう書かざるを得なかった。俺の両親がやってきたことと同じことを、これ以上広める役割をさせられるのは、もう嫌だ。小さい頃、さんざんやらされたんだ。もう嫌だ。


『おい、そろそろ大丈夫か、飯できてるぞ』


 千歳に声をかけられて、俺ははっとした。


「あ、うん……もう食べられる、ありがとう」


 俺は千歳と食卓についた。レバニラはくさみがなくて甘辛で、こしょうが効いていた。焼きネギとナスのおひたしも出汁が効いていて、焦げ目がちょうどよかった。たぶんおいしいのだけど、俺の状態のせいで、全然おいしく感じられない。


「……ごめん千歳、萌木さんの所の仕事、今後なくなるかも」


 千歳に心配をかけるべきではないのだけど、俺は、黙っていられなくて、つい口にしてしまった。千歳は目を丸くした。


『え、どうしたんだ?』

「ちょっと……一言で説明できない」

『なんか嫌なことされたのか? 金払い悪くなったのか?』

「いや、萌木さんよくしてくれるし、仕事の条件も俺の持ってる中では一番いいよ。でもダメなんだ、やっちゃいけないことはあるんだ、俺、もう、間違ってる上に人を苦しめるような情報まき散らすのに参加できない」


 四代続いた漢方薬局。祖父の代までは、地味ながらまともに人の相談に乗り、その人の体質に合った適切な漢方薬を選び、きつい冷え性やつらい肩こり、慢性の腰痛、生理痛に喜ばれていた。

 父親の代で、漢方の力があれば予防接種はいらないとか言い出した。漢方の力があれば手術はいらないとか言い出した。抗がん剤は毒で人を殺すとも言い出した。解毒に漢方薬をとか言い出した。

 子供に受けさせないといけない数多い予防接種になんとなく不安を覚えている人、抗がん剤の副作用が怖い人を次々集めて、自分のところの漢方薬以外の医療を受けさせず囲い込んだ。母親は、アロマテラピーとメディカルハーブの知識で自然派ママを囲い込んで、父親のところに流した。両親は、当然のことながら、コロナ禍では反ワクチンに流れている。

 漢方薬がインチキとは思わない。体質と症状を見極めて、合う物を選べばけっこう役に立つと思うし、祖父の代まではそうやっていた。でも父はそういう人ではなかった。もっと稼げる刺激的な言動に走った。

 アロマも、リラックスとか気分転換には役立つし、そういうのは人生においてなかなか馬鹿にならないと思う。でも、日本の基準では雑貨でしかないエッセンシャルオイルを、そのまま飲用して病気を治すとかがんを消すとか言い出したら、もうおしまいなんだ。

 俺は、祖父の薫陶を受けた方だと思う。薬全般にも興味があった。化学の成績も良かった。でも、薬剤師になると絶対に漢方薬局という家業に取り込まれるから、興味はあったけれど進まなかった。

 だけど、生化学を大学で学んで、大学で漢方の専門書や科学的に見たハーブの論文を死ぬほど読んで、卒論も薬用植物をテーマに書いた。小さい頃から、母親が取り寄せたのにポイしていたハーブのまともな専門書は全部読んでいた。小さい頃から祖父にいろいろ教えこまれて、漢方どころか中医学までかじった。

 だからわかる、両親は本当にダメだと。

 何でもハーブとアロマで解決しようとする母親。俺は自然派ママたちの集まりに連れ回されて、キラキラママたちの前で、ハーブでの子育ての結果としてアクセサリーにされたし、ハーブでの子育ての結果として、母親たちの前でハーブの知識を披露させられた。あれで、どれだけの母親をとんでもない集まりに取り込んでしまっただろう? どれだけの子供が、その母親のもとでまともな医療を受けられなくなっただろう? 俺はどれだけの子供を予防接種から遠ざけて、危険に晒したんだろう? 受けて抗体を作らなければ、留学できない予防接種も、医療職に進めない予防接種も、たくさんある。俺はどれだけの子供の進路を潰したんだろう?

 万病は漢方薬のみで治ると宣伝している父親。父親のせいで、まともな医療から遠ざかって苦しんだ人はどれだけだろう? がん患者に、手術も抗がん剤もやるなというのだ。何人のがん患者をまともな医療から遠ざけてきただろう? 果たして、どれだけの人を悪化させて苦しませて殺しただろう?

 まともにやっていた祖父よりも、刺激的な言動で信者から吸い上げていた両親の稼ぎのほうが、はるかに多かった。俺は両親の稼ぎで育った。何人も何十人も、下手したら百人単位で両親は人を殺している。そんな両親の子供で、そんな両親の稼ぎで育って、そんな俺は、果たして生きていていいんだろうか? 

 痛いのも苦しいのも嫌だから、なんとか生きのびてきたけど、生きてても大変なことばかりだった。体壊してからは生きてるだけで痛くて苦しかった。俺は、俺は本当は、


『おい、大丈夫か?』


 千歳の心配そうな声がした。


「あ、ごめん……大丈夫」

『大丈夫な顔じゃないぞ』

「……そう?」

『ひどい顔してる』

「……ごめん、食事中に辛気臭い話しして」

『まあ……とりあえず飯は食え。食って働けるようにしとけば、別の仕事も探せるだろ』

「……そうだね」


 俺は一生懸命料理を口に運んだ。味はわかるし、千歳は料理がうまいなと思うのだが、どうしてもおいしいと感じられなかった。

この話の人名は多くを茶樹の品種名から取っていますが、茶樹につく代表的な害虫として、カンザワハダニやチャノキイロアザミウマがあります。

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