あなたにお礼を示したい
俺はかなり迷っていた。どうしようか。
値段を上げてから、ちょくちょく仕事をくれるクライアントからまた仕事の話が来て、それはありがたいのだが、量が多い上に納品日にまで余裕がないのである。割増料金も出してくれるというので、かなりいい条件なのだが。
パソコンの前で腕組みしてうなっていると、『どうした』と、布団を取り込み終わった怨霊(命名:千歳)がのぞき込んできた。
「いや、ちょっと受けようか迷ってる仕事があって」
『安いやつなのか?』
「お金的にはかなりいいんだけど、締切急ぐから間に合うかどうかわからない」
『ふーん、そういうのもあるのか』
「どうしようかな……五日、いや四日フルで仕事できれば間に合うけど……」
本来引き受けるべき人がいきなりだめになったらしく、クライアントがかなり困って俺に声をかけてきた案件だ。そう聞くと引き受けたい気持ちはあるし、対価も十分だし、実を言うと俺はそろそろ作業環境をダブルモニタにして資料閲覧と文章作成を分けてやりたいし。
「安いやつならたっぷりお釣りが来るしな……家計にも入れられるし……」
物価高騰が叫ばれている昨今、金はあればあるだけ困らないし、ていうか、食品の値段上がるから千歳に渡してる食費の増額も千歳と相談すべきだろうと思ってたし、やっぱり、仕事があるならできるだけ引き受けてやるべきなんだろうな。
「……千歳」
『なんだ?』
「四日だけがんばりたいからさ、これから四日、一日コーヒー三杯まで許してくれない?」
『……全部普通の濃さのやつだぞ、めちゃくちゃ濃いの作るなよ、腹痛くなったら飲むなよ』
千歳は渋々といった体で頷いた。
「ありがとう、じゃあ受けるって返事する」
俺はクライアントに返信し、クライアントはそれを待っていたかのように仕事の詳細と資料を送ってきたので、俺は早速作業にかかった。
結論から言うと、俺はなんとか仕事に勝利した。
実作業にして丸四日、返事をしてから五日目にクライアントにすべてを納品して、俺は大きく息をついた。
「終わった、やっと終わった、多分これで大丈夫だ……」
『全部終わったのか?』
椅子にもたれてぐったりしていたら、タブレットで今日の夕飯レシピを調べていた千歳(黒い一反木綿の姿)が寄ってきた。
「うん、多分終わり、クライアントがチェックしたら後で修正来るだろうけど、ここの仕事で言われる修正はすぐ済むのばっかりだから、まあなんとかなる」
『ふーん……』
千歳は、なぜかボンと音を立ててヤーさんの格好になり、敷いてある布団を指さした。
『ちょっと揉んでやってもいいぞ』
「え、本当!? 助かる、もう肩も首も背中も限界」
俺は喜んで布団にうつ伏せになった。千歳がかなりしっかりめに体を揉んでくる。
『腰もだいぶ来てないか?』
「だいぶ来てると思う……」
『ていうか、お前四日間ちゃんとやれたんだなあ』
「だって、そうしないと間に合わなかったし」
『絶対途中で寝込むと思ってたぞ、ワシ』
「…………」
そういえば、四日間フルで働けた。寝込まずに。今もへとへとに疲れてはいるが、全身のコリがどうにかなればなんとかなる種類の疲れで、全く動けず寝込む種類の疲れではない。え、俺少し体良くなってるのか?
いや、でも、最近、体が良くなる要素はあっても悪くなる要素はない。特に、千歳が来てから、ちゃんとしたものを食べるようになって、よく眠れるようになって、微熱や動悸もひいて、多少ながら運動もしているし、え、俺健康になってきてる?
ちゃんとした食事も、良質な睡眠も、千歳のおかげであることは疑いようがない。ラジオ体操も小散歩も、付き合ってくれる相手がいるから続いているところがある。
『うわ、首もガチガチだな、お前たまに首回すとかしたほうがいいんじゃないか?』
「……千歳」
『なんだ?』
「本当にいろいろありがとう、めちゃくちゃ助かってる……」
『なんだ、いきなり』
「今度お菓子とかおごるよ、チョコミントがいい?」
『なんだなんだ?』
頭上で千歳が困惑する気配を感じながら、俺はスーパーやコンビニでは手に入りにくいおいしいお菓子はなんだろうと考えを巡らせた。食費もなんとか増やして、もっと千歳が好きなものを食べられるようにしたいと思った。