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まずはゆっくり寝かせたい

 なぜ俺は、ヤの付く自由業を絵に描いたようなおっさんとともにリモート打ち合わせに臨んでいるんだろうか。威圧感がすごい。いや俺に向けられる威圧感には慣れたけど画面の先に向けられる圧がすごい。

 おっさんがささやく。


『これでお前の取り分が増えないようだったら、取引先とやらにも祟ってやるからな』


 こいつは俺の子々孫々まで祟ると宣言している怨霊である。割と変幻自在らしい。俺が子々孫々を作りそうにない貧乏なので、『まずお前の実入りを増やす。渡す金を増やせとお前の取引先を脅す』などと宣言してきた。


「やめて。てか変なことすると逆に減る可能性があるからやめて。仕事自体もらえなくなる可能性があるからやめて」


 俺は必死で怨霊を押して画面の外に追いやろうとしたが、力が違いすぎてうまくいかなかった。

 俺の仕事はフリーのWebライターだ。仕事が取れないと無職と同等の身分である。取引先との関係は大事なのだ。


『なんで打ち合わせが画面越しなんだ。対面ならもっと圧力がかけられるのに』

「あっち九州でここ神奈川なんだから、直接会うなんてコストかかりすぎるんだよ。もうそろそろ時間だから黙って頼むから」


 俺の言葉を待っていたかのように、待機中だった画面が変わり、壮年の男性が映った。割と長いこと世話になっている編集者件兼ライターさんである。


 〈どうもこんにちは、調子どうです? 和泉さん〉

「まあ、ぼちぼちです」

 〈あれ? なんか部屋に他の人いる? ルームシェア始めたの?〉

「いや、ルームメイトでもなんでもありませんね……こないだ私とぶつかって、壊れたから賠償金を払えって言ってる人なんですけど、こっちに支払い能力がなさすぎるってわかったら稼げってうるさくて」

『もう少し他の説明の仕方ないのかお前』


 怨霊に呆れられるという実績を解除した。俺としては普通に穏便に相手と話したいから無視するが。


「本当にすみません今日は萌木さんと仕事の話だって言ったらこいつ萌木さんに圧をかけて実入りを増やさせるって張り切って部屋に陣取ってきて私の腕力的に止められなかったんですけど私の気持ち的にはそういうつもりは一切ないので無視を貫いていただけると大変助かります本当にすみません」


 一息で言い切ると、萌木さんは大変困惑した顔をした。無理もない。


 〈そ、そう……まあ今日は部外者に漏れたらうるさいことは特に話さないからいいけど。でも一応聞いても言いふらさないでって言っておいて〉

「わかりました」

 〈じゃあ、大体はこないだの納品終わりに言った感じだけど、今月は5記事大丈夫たなんだよね?〉

「はい」

 〈記事のテーマとキーワードは共有した通り。ペルソナは前回から引き続き。いつも通り、まず記事構成ができたらこっちに渡して〉


 ペルソナとは、記事などのWebコンテンツの想定読者層のことだ。どの程度の知識を持ったどの年代の人間が読むか、どんなニーズを持ったどんな人間が読むかなどを細かく決める。これがないと何も文章が書けないが、Web上の市場を調べ直した結果ペルソナに修正を加えることもたまにある。


「はい、でもまず全部のテーマで下調べして、前提から練り直したほうがいいんじゃないかってときは構成の前に連絡しますね。なるべく早めにします」

 〈そうしてくれると助かる〉

「遅れそうなときは、それはそれで連絡します」

 〈遅れたこと特にないじゃない〉

「量絞ってますからね……」


 ブラック企業でぶっ壊した自律神経が本当に治らない。今はなんとか机の前に座って話しているけど、ダメなときは本当にダメで、一日寝ていることも珍しくないし、少し無理をすればすぐ反動が来てまた寝込む。


『たくさんやれば稼げるのか! 働け! お前昨日も寝て過ごしてたじゃないか! もっと働いて稼いで裕福になって子孫を繋げ!!』

「ちょっと黙ってて、ていうか自分のキャパ考えずに引き受けて結局できなくて納品日守れないとか、フリーランスとして完全アウトなんだよ、各所に迷惑がかかるんだよ」


 さらに画面に映り込もうとする怨霊を全力でぐいぐい押し返していたら、萌木さんから声がかかった。


 〈あのさ、余裕納品は本当に大事なんだけどさ、和泉さんがもうちょっと安定して仕事受けてくれるようなら、僕も上に言って記事単価上げられるんだよ? そっちも実績積めるしさ〉


 こういうことを相手から言ってくれるのは本当にありがたい。仕事柄いろいろな編集と接しているが、はっきり言って稀有な人間だ。萌木さんはこういうことを言ってくれる人だから、なるべく関係をよくしておきたいのだが。


「まあそうなんですが……やりたい気持ちはあるんですけども」

 〈和泉さんは最初から構成も文章もしっかりしてるし、調査力も高いし、量を頼めるならありがたいんだけど〉

『働け! もっと働いて稼げ!!』

「頼むから黙って。すみません萌木さん、やりたい気持ちはすごくあるんですが、まだ体追いつかなくて」

 〈そう……まあしっかり療養してね。増やせそうだったら相談してよ〉

「ありがとうございます、本当にありがたいです」


 俺は頭を下げる。たぶん映像なしの音声だけのやり取りでも下げていたと思う。

 自律神経が死んで在宅仕事しかできなくなり、消去法で始めたライター業だが、書いたものは意外と高く評価してもらえている。ブラック企業では死ぬほど業務を積み上げられてもそれをこなすのが当たり前であり、全く評価はなかったし、もちろん給料にも反映されなかった。

 だから、評価がもらえている今、できる仕事はなるべく引き受けたいけれど、悲しいことに体がついてこない。

 その後、萌木さんと細かいところを詰めて、打ち合わせはお開きになった。


『取引は済んだのか! 決まった通り働いてすぐ金をもらえ!』


 怨霊が黒い一反木綿のような元の姿になってがなってきたが、できない相談だった。


「……エネルギー切れたからもう休む」

『はあ!?』

「今日もあんまり調子よくないんだよ……打ち合わせの予定は前々から決まってたから頑張ってたけど、もうダメだ、今日は店仕舞い」

『……』


 怨霊は首を傾げた。


『お前、外に働きにも行かずによく寝てるから、怠けてると思ってたが、もしかして病気なのか?』

「まあ……そう言っていいかな。自律神経失調症って正式な病名じゃないけど」

『難しい病気なのか?』


 怨霊は不思議そうに聞く。幽霊に体調を心配されているというのも変な話だが、聞かれたことに答える以上のことに頭が回らなかった。


「パキッと効く治療法がないという意味ではね……規則正しく生活してちゃんとしたもの食べるくらいしかない」

『…………』


 怨霊は考え込んだ。


『病気を治せば、たくさん働いて稼げるのか? 稼げるようになったら子孫を繋ぐか?』

「子孫はともかく、今よりは仕事増やせるから収入は増えると思う」

『じゃあまず病気を治せ! 寝ろ! 布団に行け!』

「言われなくても寝る……」


 椅子から立ち上がって布団まで行こうとしたら、怨霊が俺の体を持ち上げて布団まで引きずりだした。


「いや自分で行けるから」

『速やかに寝ろ!』

「あんた力すごいな……」


 引きずられるどころか体が宙に浮いた。そのまま布団に放られる。


『おい何だこの煎餅布団は! こんなところで寝たら治るものも治らんぞ!』

「いいから寝かせて」

『ワシは少なくともお前を七代祟るんだ! なんとしてでもお前を治して子孫を繋がせるぞ! もっと柔らかい布団に寝かせるからな!』

「俺が起きてられる時に布団干してくれるだけで十分なんで寝かせてください……」


 体が治ったとしても、ライター業なんてよっぽど売れないと収入は悲惨なので俺が末代なのは変わらないと思うけれど、柔らかい布団で寝たいという気持ちはあるので、そこについてはもう何も言わなかった。

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