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100枚の扉

作者: いずみ



夢ではない.

それは,肌で感じる汗のにおいでわかる.

そして眼前には,砂丘の上に続く一本の道が存在している.

ここまでは,直感で判断することができた.

今,自分は砂漠の道の上にいるのだと.


人間の視覚は当てにならない.

なぜなら,それは視覚が嘘か誠か証明する装置としては不十分だからだ.

そこで,目を閉じてみた.

だが,少なくとも道が存在することを感じ取ることができた.

これによって,道の存在が僕の感覚に寄らないものだということがわかり,安心した.



脚元は緩く,気を付けなければ脚の全てが土に埋もれてしまう.

だが,道が存在していること,また,自分は道の上を歩いていることを知っているので,己の直感にしたがって歩き続けた.

注意深く一本の道を進み続けると,地平線の向こうまで一定の間隔で直線上に連なっているの100枚の扉が見えてきた.

これが,僕がずっと探してきたものである.



周りに壁はない.

おおよそ,扉としての機能を果たすというよりは,モニュメントとして存在していると考えた方がいい.




近づいてからこそわかったが,扉は鉄でできていた.

錆のにおいと,砂のにおいが混じった風が自分に吹き付けると,意識が空の向こうに向かってしまう気がした.

そんな,過酷な環境に何の飾り気のない鉄の扉が続いている.



100枚目の扉を開けて,その先には99枚目の扉がある.

扉を開け続けると,やがて最後の一枚に辿り着く.

簡単な話だ.

だが,100枚の扉を開けるというのは,簡単な気持ちでできるものではない.

これが,鉄が重いとか,脚が砂にはまりやすいとか,目に見えるものに労力を払わなければならないならそこまで疲れることはないだろう.

問題は,もっとも心と対峙するような作業だから疲れてしまうのである.


気持ちを落ち着かせて,100枚目の扉を開ける.

すると,目の前にはファクシミリが落ちていた.

何の変哲もないファクシミリである.

度重なる砂嵐によって,ファクシミリは砂に埋もれてしまっている.

それでも,フォルムであったり,特徴的な紙受けであったり,機構的な部分を認識することで,それがファクシミリということが理解できる.



僕はファクシミリに話しかける.

「あなたは,旅の者なのですね.」


ファクシミリはこのように返事をした.

「私は,旅の者ではない.だが,旅を切望していた頃もあった.」


ファクシミリは暫く僕に語りかけた.

私は伝達する者.それを生業としている.そのために生まれてきた.


過去100年程の間にどれほどの変化があっただろうか.

人々の知識は肥え,世界中に旅路が広がった.

産業構造は大きく変化し,過去を否定するかのような技術が次々と現れた.

封建制度の崩壊だの,共産主義だの,グローバリゼーションだの,目まぐるしく社会が揺れ動いた.

最近では,難しい横文字を並べて楽しめるようにもなった.

このような変化は,自分達に大きな良い影響ばかりを与えるかもしれない.



しかし,良い側面があれば悪い側面もある.

人々の知識が増えるということは,欲望も共に増加する.

旅路が広がるということは,文化の物足りなさに深く気づいてしまう.

事実,この世の出来事全てが諸刃の剣なのだ.

過去を否定しながら新しいものを追求し発展を促す,

人間の性なのか,それとも動物としての本能なのか.

考えるだけ無駄なのかもしれない.



社会の何気ない変化は,誰しもが持つ欲求即ち闘争心に火をつける.

一度,火がついてしまえば,社会自体がそれを肯定し始める.

組織が次第に熱をおび,ある段階に熱量が達することによって,文化の革命を促す.


人類は,歴史を繰り返してもなお,今に素直であることを貫いた.

文化の革命は,人々の犠牲なしには有り得ない.

明日,自分が死ぬかもしれないが,そんなことは当たり前なのだ.

それよりも,変化が訪れるかもしれないという可能性が楽しみなのである.





99枚目の扉を開けると,目の前にはフロッピーディスクが転がっていた.

フロッピーディスクは,ごくありふれた代物であったが,プラスチックの把持部分だけ劣化していた.



僕はフロッピーディスクに話しかける.

「あなたは,旅の者なのですね.」


フロッピーディスクはこのように返事をした.

「私は,旅の者ではない.だが,私も旅に憧れることはあった.」


フロッピーディスクも同様に語りかけてくる.

私は記憶する者.それを生業としている.そのために生まれてきた.


神は,1日目にして「光あれ」と言った.

まもなく,光と闇とに分けられた.


世の中は,簡単に分けられすぎることに些か疑問を感じえない.

太陽があるから月があるだの,貧困の裏には贅沢があるだの.

即ち,神が引き起こした出来事によって,これらの悪夢が引き起こされたのである.


光と闇は表裏一体.一方が生まれればもう片方も生まれる.

自然の摂理だ.人類が関与する部分ではないものだ.


存在が,常に脚光を浴び続けることがないのは,神によって決定づけられた結果だ.

これは,最初の1日目に決まっている.


決まったことであり,考える余地などないはずである.



これについて...僕は歴史から学んだことがある.


同じ歴史を繰り返す中で,無神論者が著しく増加したことがあった.

しかし,同様に有神論者も増加していた.

過去の話であると同時に,今にも通づる部分がある.



ある時,誰かが扉に意味はあると言った.

だが実際は,意味などどこにもなかったのである.

扉を開ける度に,それを実感する.

だが僕は,扉を開け続ける中でより深く知ることができる.



いざ開けてみると,目の前にはただ扉があるのみだと.

扉には,必ずナンセンスな戯言を述べるだけの存在が転がっている.

それも,ただの受け入れるしかない事実なのだと.



こうして,僕は最後の1枚まで扉も開け続けるだろう.

その中で,目的を求めるなどという浅はかな思考が頭を巡ることがある.

だが,砂漠の暑さに身をゆだねることで,妄信的に扉を開け続けることができる.

もっとも,私の体力が続く限りだが.


恐らく,きっとその先には人知の及ばない広大な砂漠が広がっているのだ.


乾いた風が,時折砂漠の砂を舞いあげた.


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