6.二人の晩
ケガの痛みはまったくない。だけど体調があまりすぐれない。
全身には違和感がある。それから視界に靄がかかっているような感じだ。
頭もまだボーッとしている。
鏡を見た。左目の強膜(白目の部分)は空色のままだった。
いま僕の部屋に幼馴染のクリルがいる。
彼女に泊っていかないかと、うっかり誘ってしまったのだ。
とりあえず夕食は二人で済ませた。
しかしベッドは一つ。もちろんクリルに貸すつもりだ。
僕は長椅子の上を片付け、そこで寝るとしよう。
「わたしが椅子に寝るわ。シドはベッドを使って」
「それはできないよ。クリルにはベッドで寝てもらう」
「ベッドはシドが使って。わたしはいいの」
「だけど……」
なかなか埒が明かない。
「だったら……二人でベッドに寝ましょ」
おお、それならば平等……。
いや、いや、いや!! 二人でって。
もう昔とは違うのだ。駄目だろ。
でも待てよ。僕が意識しすぎなのか。
そうさ。クリルは兄弟姉妹みたいなもの。
意識しすぎる僕って馬鹿みたいだ。
「そ、そうだね」
情けないことに、僕の返事はちょっと震えた声だった。
いっしょにベッドに入る。
心臓がドキドキ言っている。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
変に意識するな。彼女に失礼だ。
それに彼女は僕を信じているんだ。
ランプの明かりを消す。
「シド……」
「な、なんだい」
「その……何もしないでね」
「も、もちろんだよ!」
釘を刺されたのだろう。
「おやすみなさい」
「おやすみ、クリル」
月光がカーテンを透けて部屋に入ってくる。
月ってこんなに明るかっただろうか。
体調の悪さのせいか、なかなか寝付けないでいた。
クリルはそろそろ眠りに入った頃だろうか。
なんの気なしにうす目を開ける。
え………………?
ちょうど真上にクリルの顔があった。
でもちょっと近すぎないか。吐息がかかりそうだ。
うす目には気づいていないらしい。
いまクリルはいったい何を?
唇が近づいてくる。嘘っ。
ひいいいいいいいいいいい。
おいおいおい。どうしよう……。
僕の心臓がバクバク言っている。
頭の中は大パニックに。
まさか まさか まさか まさか まさか
誤解していいのか。勘違いしていいのか。
いいや、クリルに限ってそんなことは。
だって『何もしないで』と言われたじゃないか。
ゴロリ。
寝返りを打つフリ。
僕は彼女の反対側に向いた。
うすく開けた横目で天井を確認する。
彼女の顔はもうなかった。
僕って弱虫……なのか。
ぎゅっと目を閉じる。その瞬間、左目に激痛が走った。さっきまで痛みはなかったはずなのに……。さらにはケガした左目だけでなく、右目までも強烈な痛みに襲われた。しかしそっちはほんの一瞬だけだった。
おかげで隣に寝るクリルのことを、意識しなくとも済むようになった。
目の痛みは次第に和らいでいった。しかし今度は頭の中に靄がかかってきた。
しばらくして頭の中の靄がすーっと晴れあがる。そこに文字が浮かんでいた。
いままで見たこともない文字だ。あるいは文字ではなく単なる記号か。
ん?
どうしてだろう。不思議と読めるぞ。
厳密にいえば、読めるというよりも内容が頭に入ってくる感じだ。
夢ではない。いま僕は異質な人間であることを思い知った。
文字のような記号のようなものを理解しながら、心の目で追う。
その文字ないし記号は、こう言っている――。
『開眼により封印は解かれた 呪魔導を唱えよ』
なんだ、これは? 僕自身に何かが封印されていたってことか。
開眼というからには、封印されていた部位は目だと思われる。左目に刺さったダガーナイフが封印を切り裂いた――と考えればしっくりくる。でもその結果、左目から白色が消えた。たぶん空色こそが僕の本来の強膜だったのだろう。
とすれば、もしかしてこの全身の違和感も、目の封印が解かれたことで引き起こされたのかもしれない。
だけど【呪魔導】ってなんだ? 普通の魔導とは違うのか?
カーテン越しの光が強くなった。
もう朝だ。結局、一睡もできなかった。
上体を起こす。
するとクリルも起きあがった。
しまった。起こしてしまったか。
しかしクリルのようすがおかしい。
プーッと膨れっ面だ。目の下にはクマがある。
どうしたのだろう???
「お……おはよう、クリル」
「ええ、おはよう。シドって紳士だったのね」
一変しての満面の笑み。でもどこか硬さがあった。
それに、いまのは褒め言葉のようだが、口調は不機嫌な感じだった。
しかし……。
「あれっ、シド?」
首をかしげるクリル。僕の顔に何かついているのか。
気になったので、鏡で確認してみた。
「うわっ、これって!」
僕の右目の強膜……左目だけでなくこっちまでも空色ではないか。
そうか。左目をきっかけに両目の『封印』が解けたのかもしれない。
「安心して、シド。わたしがついているわ。絶対に治してみせるから」
僕の両目をクリルの両手が塞ぐ。
そんな彼女の手を握り、そっと外した。
「クリル、いいんだ。治るようなものじゃなさそうだし」
「でも、もしその目のせいで何かあったら……」
「僕は大丈夫だよ」
「何かあったら、わたしが守るから。絶対、絶対、守るから」
僕は彼女の胸元に抱き寄せられた。
恐ろしい呪竜の伝説について、この国の誰もが知っている。
いま彼女は外国で暮らしているが、仮年齢が八歳まで同じ孤児院にいた。
だから呪竜の話をよく知っており、心配してくれているのだ。
「ありがとう、クリル……でも、くっ苦しい」
「ごめんなさい。まあ、顔が真っ赤。そんなに締めつけ、強かったかなあ」
真っ赤なのは、たぶん締めつけのせいではない。
「だ……大丈夫だ。ところでこれから朝ご飯にしない? パンでいい?」
「ううん、食べない。わたしはこれから寝るわ。猛烈に眠いの」
えっ、いま起きたばかりだよね。まだ寝足りないのか。
話を聞いてみると、一晩じゅう眠れなかったらしい。
それは目の痛みに苦しんだ僕も同じだけど、クリルはどうして?
買い置きのパンが切れていたことに気づいた。
だから朝ご飯を食べに一人で出かけた。
クリルはベッドの中で爆睡中だ。
大通りを歩いていると、多くの人々とすれ違う。
この日は通行人たちのようすがヘンだった。
大声をあげる者、逃げ出す者、腰を抜かす者……。
すぐに理解した。皆、僕の目に驚いているのだ。
空色の強膜と言えば、呪竜の目と同じ。
呪竜と言えば、この国を滅ぼしかけた恐ろしい存在。
人々からは畏怖され、呪われ、恨まれ、忌み嫌われている。
いつもの店に入った。けれども追い払われてしまった。
ある店では、店員が逃げ出してしまった。
また別の店では「本日閉店となりました」などと言われた。
嘘だろ? 朝の開店早々、閉店だなんて。
しょんぼりしながら歩く。
小石を投げられた。危ないなあ。
この目が原因であるのは知っている。
だからって、こんな仕打ちはないんじゃないか。
ショックだ。さすがに凹んできた。嫌われ方は想像以上だった。
朝ご飯にありつけられないまま、アパートに戻った。
長いこと無駄に歩き回ったためか、どっと疲れがきた。
「おかえりなさい、シド。外に行ってたのね」
クリルはすでに起きていた。
「うん、ただいま。クリルはやっと起きたんだね」
「実はまだ眠いわ。でもシド……やっぱりそんな顔してる」
「僕がそんな顔って?」
彼女の持つカゴにはパンがたくさん入っていた。
「お腹すかせた顔。そう思って買ってきたわ」
空腹なまま帰ってくるって、よくわかったものだ。
ああ、そうか。わかっちゃうんだな。
こんな目の色になったから、店に入るのにも苦労するって。
「チーズも買ってきたのよ。いっしょに朝ご飯にしましょ」
クリルのおかげで、なんとか朝ご飯が食べられる……。
彼女は子供のときも、よく気が利いていたっけ。
そういうところは変わってないんだな。
「ありがとう、クリル。助かった」
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