お留守番?
移ろう季節はそろそろ秋を迎えようとしています。
鮮やかだった蒼穹は遠く高く澄み渡り、入道雲は姿を消して、羊雲が長閑に流れてゆくばかりです。
仄かに香る金木犀の香り。
草原に揺れる秋桜の花。
畑に伸びる芋の蔓。
青々とした女神様の森のなか、黄金色に染まる銀杏……は完全にあわてんぼうさんですが、もう暫くもすれば、たわわに実る果実が枝をしならせて、紅葉が色付き、森全体が美しく秋色で彩られていくのでしょう。
そんな森を遠目に見ることが出来る高台のお屋敷には一匹の子狸が住んでいます。
領主様の大切な婚約者、ネリです。
狸が?なんていうなかれ。
この子狸と領主様はちゃんと相思相愛、人にも化けられる狸なのです。
覗き見している女神様曰く、
「化けてないわよ、ちゃんと人にしているのよ?ほら、年の取り方も人と同じになってるでしょう?」
ということらしいですが、聞いているのは隣にいる白い獣の伴侶様だけです。彼はふっさりとした尻尾を振って、一応の同意を示しました。
そんな出歯亀さんの存在に勿論、気が付いていない子狸と領主様。
彼らは今、荷物の中と外とで対峙していました。
滑稽な光景ですが、本人たちは真剣です。
事の起こりは、王宮から領主様宛てに手紙が届いたことでした。
国の重要な大祭であり、社交シーズン締めとなる最後の夜会。
王家主催の建国祭、その招待状です。
ネリはとっても嫌な予感がしていました。
だって、夜会は大人の社交の場。当然、ネリは参加できません。
つまりは、お留守番ということでしょうか。
昨年の年末のことを思い出し、ネリの胸の中に冷たい風が吹き込みました。
領主様の匂いのしなくなった領主邸は、皆優しいけれど、とっても寂しかったのです。
お留守番。
重く圧し掛かるその言葉に子狸はしょぼんと耳を垂れ、元からなだらかな肩を更に落としました。とぼとぼと領主様の元から離れ、纏め上げられていた彼の荷物に向かいます。
そして、その隙間に。
そっと、忍び込みました。
自ら手荷物となったものの、その尻尾は丸見えです。もっと言うなら、後ろ足も隠れていませんから、全くもって忍べていません。
それ以前にお話の途中です。目の前で潜入したら、バレバレに決まっているでしょう。領主様は無言でネリを取り出しました。
やっぱり、お留守番?
大きな黒目がうるりと潤んで領主様を見上げます。
領主様は仏頂面にほんの少し苦笑を滲ませながら、べろんと伸びた子狸を抱き上げました。その頭を肩に乗せ、宥める様にやんわりと抱っこすれば、お互いの頬と頬がくっ付きます。ふかふかの毛並みが頬に触れるのを、くすぐったく感じながら、彼はゆっくりと口を開きました。
「おいて行ったりしない。今回はお前も一緒だ。ネリ」
すりすり顔を擦り寄せていたネリがその動きを止めました。顔を離して、領主様をじっと見つめます。
子狸に向けられた浅葱色の目がやんわりと細められ、誤魔化しのない真っすぐな瞳が子狸を映しました。
大丈夫だと頭を撫でられて、ネリの身体からほっと力が抜けていきます。そして、くたくたのぬいぐるみみたいになった子狸は、嬉しくなって大好きな領主様の頬に鼻先を押し付けたのでした。
さぁ、でしたら、お出かけの準備です!
ネリは意気揚々と荷物の中に入ろうとして。
「だから、手荷物になろうとするな」
結局、領主様に回収されるのでした。