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透明な恋と愛

作者: おかず

 総人口が20,000人を下回り、過疎化が進行したその市には、一見どこに需要があるかもわからない産婦人科があった。しかし、そこには人が少ないがゆえに特殊なケースの出産に向いていた。

 そして今まさに特殊な子をそのお腹に抱える母親が診察に来ていた。


 モニターに白黒の画像が写し出され、医師がその画像を指しながら説明した。


「超音波検査では確かにここにお子さんの姿が写っています。しかし、経膣エコー検査で見たところ、本来お子さんがいるはずの場所は何もない空洞になっているんです」


「えっと……つまりどういうことですか」


 大きく膨らんだお腹を不安げにさすりながら、女性は医師に尋ねた。


「私も初めて見る例なので、確かなことは言えませんが……つまるところ、あなたのお腹の子は透明なんです」


 女性は理解が追い付かないのか、自分のお腹を凝視して固まってしまった。

 医師は困ったように後頭部を掻いた。


「幸い、この病院はあなたのような異例の出産する方のためにあります。お子さんが産まれるまでの残り約3ヶ月、私たちと身の振り方をゆっくり考えましょう」


 そう言って医師は女性を待合室に戻るよう促した。





――――――――――――――――3ヶ月後―――――――――――――――――





 女性は広いベッドの上で必死に手摺りを握っていた。すでに陣痛がピークに達しているのだ。

 産婦人科医や助産師が慌ただしく準備をしている。

 出産の準備ができたところで、女性の夫が肩で息をしながら分娩室(ぶんべんしつ)に入ってきた。

 夫は女性のそばに近寄り、必死に声を掛けていた。


「あなた………手………握っていい?」


「もちろん、思いっきり握っていてててててて、ちょっ、待って折れる折れる折れる、ああああぁぁあ」


「ごめんなさい、でもこのまま握らせて」


「大………丈夫、ちょっと驚いただけだから、ッ…」


「ありがとう」


 夫婦の会話が途切れたところで、第二分娩期が始まった。

 今から産まれてくる子どもは透明人間ということで、普段の機材に加え、サーモグラフィー用のモニターが設置されている。

 そのモニターに徐々に真っ赤な頭が映り始めた。それはゆっくり、ゆっくりと出てきた。助産師はモニターで確認しながら、視覚的には何もないところを慎重に支えていた。

 そして、モニターに子どもの頭部がすべて映った時、分娩室には産声が上がった。

 視認することは出来ない。しかし、泣き声だけは響いている。そこには奇妙な空間が広がっていた。

 夫は女性から話を聞き、覚悟を決めて来たつもりだったが、目の前のあまりの異様さに思わず目を(そら)した。

 それから一時間ほど女性はいきみ、ついに赤ん坊がその全容を映し出した。

 助産師はモニターを逐一確認しながら赤ん坊を水で洗い、女性の元に連れていった。


「おそらく元気な(?)赤ちゃんですよ」


 助産師は女性の腕の中に赤ん坊を置いた。

 女性は自分の腕にかかる重さを実感して、何もない空間に笑顔を向けた。





 

 




 今日という日が楽しみだった私は鼻唄を歌いながら、快活に車を運転していた。

 ナビゲーション画面には6時21分と表示されている。普段より、二時間も早い出社だ。

 なぜ私がこんなにも興奮しているかというと、今日は上司が出張でいないからだ。別に上司が嫌いだから嬉しいのではなく、上司がいないことで彼の担っていた仕事が私に回されることが嬉しいのだ。


 私は大学の卒業後、サークル仲間の先輩のツテである産婦人科に入社した。入社した当初は、一般的な助産師としての仕事がほとんどだったのだが、仕事に慣れてきた頃、私はそれまで下で働ていた産婦人科医の担当から外れ、もう一人の勤務している医師の下に着いた。ここが私の人生の分岐点だったのかもしれない。その医師の診察を受けにくる妊婦さんの多くが何らかの特別な事情を抱えていた。例えば、芸能人の隠し子だったり、性的犯罪によって孕んだ子だったりした。しかし、最も特筆すべきことは、特殊な形質持った子をお腹に持つ妊婦さんたちも診察に来るということだ。私はその子供たちに非常に興味を持った。      元々、生物に関する研究に興味を持っており、大学受験でも助産師か研究員かで迷ったぐらいだ。望んで特別な形質を持ったわけではないから、失礼かもしれないが、もっと近くで観察したいと思っていた。

 特殊な状況下にも慣れてきた頃、私は更なる衝撃を受けた。なんとこの病院にはだだっ広い地下があり、そういった子どもの研究と育成が行われていたのだ。私は上司から人手が足りないからと子どもたちの世話役も助産師と平行して任せられた。

 そうして最近、新しい子がこの地下に入居した。その男の子は透明人間だった。私は是が非でも彼に接触してみたかったのだか、残念なことに彼の担当は上司だった。


 だから、上司がいない今日こそ彼の世話をするチャンスなのだ。

 私ははやる気持ちが抑えられず、アクセルを強く踏んだ。





 病院に到着した私は、白衣を着て地下へと向かった。医師でもない私が白衣を着るのは、危険物が付着したときにすぐに気づけるようにするためだ。研究所の中には特殊な体液を持った子どももいるから、一口にお世話と言っても、楽しいだけじゃない。

 エレベーターで地下3階まで降りた後、ガラス張りの部屋を横目に通り過ぎながら廊下を進んでいく。そして、一見空っぽに見える部屋の前で足を止めた。

 ここが透明人間、桜井透也(さくらいとうや)君の部屋だ。

 私はガラスの側に設置されている認証システムに佐々木菜々子(ささきななこ)と書かれた研究員証明書を当て、扉を開けた。靴を脱ぎ、廊下を少し歩いたあたりで先程ガラス越しに見た部屋に繋がるドアを開けた。

 中は真っ白な壁に囲まれた殺風景な部屋だった。部屋の隅には綺麗に畳まれた布団があり、その隣では、ピンク色のボールがひとりでに跳ね、Tシャツと半ズボンがひとりでに揺れていた。

 ボールは地面を跳ね、壁を蹴って、宙に静止した。  

 私は迷わず、ボールに近づいた。


「何して遊んでいるの?」


 私が質問すると少しの間の後、目の前の何もない空間から返事が帰ってきた。


「………バレーボールのアタックの練習をしてる」


 私の想像よりも低い声で透也君は答えた。


「バレーボール、見たことあるの?」


「上田さんがたまに見せてくれる」


 上田とは私の上司の姓名だ。どうやら上司は仕事を怠けて透也君とバレーボールの観戦していたらしい。


「そっか……ごめんね、今日は上田さん出張でいないから、代わりに私が透也君の相手をするね。それじゃ早速、朝の健康観察してもいいかな?」


「はい」


 健康観察の後、私は部屋を出て他の子の健康観察に向かった。私は担当の子達の健康観察が終わったら、夕方頃までは院内で助産師として働き、再び研究所に戻ってきた。


 今は透也君をお風呂に入れているところだ。

 彼は普段、服を着て、顔に白粉(おしろい)を塗っていて、どこにいるか一目で分かるようにしてくれている。だけどお風呂に入るときは全くどこにいるかわからない。だから彼の担当の研究員は、少し酷だが、彼の入浴を監視していた。

 湯船の中にぽっかりと空洞ができている。周りではアヒルのおもちゃがその穴を避けるように漂っていた。穴が空いているのに落ちることはない。そんな奇妙な光景だった。


「透也君、お風呂は気持ちいい?」


「気持ちいいよ」


 私はその返答に満足し、透也君に笑顔を向けた。

 ちょうど何を話そうか迷っていたとき、電話がかかってきた。どうやら私の担当の一樹君が夕食を吐いてしまったらしい。


「ごめんね透也君、私ちょっと他の子を見に行かなきゃ行けなくなっちゃったから、一人でお風呂に入っててくれる?」


「わかった」


「ありがとう。すぐに戻るからね」


 私は部屋を出て、一樹君の部屋に行った。吐瀉物(としゃぶつ)の処理をして、一樹君の健康に異常がないかチェックした後、透君の部屋に戻ってきた。

 一樹君は嫌いな茸を食べて吐いてしまったようだ。

 気を取り直して浴室のに入ると、湯船に綺麗な水面が写っていた。

 私はすぐに部屋中を探したが透也君は見つけられなかった。そこで、研究所の管制室に行き、サーモグラフィの監視カメラで探してもらった。けれど透也君の姿はどこにも映っていなかった。

 私はどこに行ってしまったのかと焦って右往左往していると、管制官の方が私が透也君から離れてすぐの映像を見せてくれた。

 そこには湯船から出た後、体を伸ばしている透也君が映っていた。しかし、しばらくその場でじっとしていた透也君の赤い姿は、みるみる青く変色していき、最終的に周囲の温度と同化してしまった。

 彼は体が透明なだけでなく、体温調節も自在にやって見せたのだ。これではもう探しようがない。

 私は自らの失態を悔やみながら、院長の元に報告に向かった。








 

 教師の黒板に文字を書く音だけが響く教室で授業を聞いていた。

 すると、僕の隣に座っていた女子生徒が消しゴムを落とした。落ちた消しゴムは思いの外転がっていき、ずいぶんと前の席で止まった。

 女子生徒は転がっていった消しゴムを見て、拾うのを諦めたのか、ノートに書かれた『鑑隊』の文字の上から二重線を引き、隣に『艦隊』と書き直した。

 僕は彼女が気の毒になり、前の席まで歩いて拾いに行った。

 席まで戻って来ると彼女はもう消しゴムのことは眼中になく、授業に集中していた。

 僕は彼女の机の端にそっと消しゴムを置き、床に座った。

 しばらくした後、女子生徒はまた書き間違えのか、消しゴムを使って書き直した。

 彼女はふと気づいたように消しゴムを凝視した後、周囲をみまわした。一度首をかしげた後、隣の生徒に話しかけた。


「ねぇ、消しゴム拾ってくれた?」


「えっ、いや拾ってないけど」


「だよね、拾えるわけないし…………」


 女子生徒はもう一度首をかしげたが、何事もなかったようにノートを取り始めた。

 授業終了のチャイムが鳴り、生徒たちはそれぞれの放課後を過ごし始めた。

 僕も家に帰った。



 今日も何事もなく授業が終わったと達成感に浸りながら家に帰ろうとしていると、突然声を掛けられた。


「見つけたわ。怪異の原因は彼よ」


「おい、誰もいないじゃないか。頼むからそういう非行はよしてくれ。一緒にいるこっちまでおかしいと思われる」


 僕を呼び止めたのは、気の強そうな少女と心底困った表情の少年だった。どうやら少女の方は僕がいることが分かるらしい。

 僕はその少女に見覚えがあった。

 誰だったかと記憶を辿っていると、二人は言い合いを始めた。


「何を言っているの、ここにいるじゃない。それに周りの目を気にしてるなんてとんだ小心者ね」


「豆腐メンタルで悪かったな。お前に分かっても俺には何も聞こえないんだよ。誰かいるって分かるように証明してくれ」


 少女は少し考えるような仕草を取った後、僕に話しかけてきた。


「ねぇ、あなたが彼をビンタしてくれないかしら。そうしたら彼も認めざる負えないでしょ」


 僕は悩んだが彼の頬を打つことにした。僕がそう決意すると少女はにっこり微笑んだ。


「ありがとう。それじゃ助手君、彼があなたをビンタするまでそこでじっとしていて」


 驚いた。僕は返事も何もしていないのに少女は僕がビンタするとわかったのだ。


「…………わかったよ。一番手っ取り早い方法だしな。さあ、やってくれ」


 少年が諦めたように目を瞑って、手を後ろに組んだ。

 僕は少年の目の前に立ち、彼の頬を打った。

 少年は目を見開いて、「マジか」と呟いた。後から痛みが襲ってきたのかすぐに頬を押さえて悶絶していた。


「はい、これで証明できたわね。それじゃ早速本題に入ろうかしら」


「ちょっと待て。こんな目立つところで透明人間相手に話なんてできるか。書道教室なら空いてるだろ。そこに場所を移そう」


「はぁ、あなたは本当に面倒臭いわね」


「悪かったな面倒臭くて。変人に見られるよかましだよ」





 僕は二人に付いていって、書道教室に入った。

 対面して椅子に座ると、少女の方が話し始めた。


「最近この学校、特に2年6組の教室で不思議なことが起こってるって噂になっていたの。それで私たちのところにも相談に来た人がいて、その人の依頼で私たちはあなたを捜していたのよ」


 少女は事のあらましを語った。

 僕に声をかけた理由はわかったけど、この人たちは一体誰なんだろう。

 

「申し遅れました。私たちは占星術研究部の者で、私は押耳心(おしみこころ)、彼は藤堂響(とうどうひびき)よ」


 押耳さんは立ち上がり、お辞儀をして丁寧に自己紹介をした。

 占星術研究部ってなんだろう。

 

「占星術研究部というのは、さまざまな占星術を実践して相談に来た生徒を占う部活よ。成り行きでたまに悩みの解決に乗り出すこともあるけれど」


 なるほど、なかなか面白そうな部活だ。

 それはそうと、なぜ彼女は僕と会話ができるんだ?


「ああ、それは私が人の心の声が聞こえるからよ。あなたが何かを思い出したり、考えたりしていればあなたの声とともに聞こえてくるの」


 それなら長い間声を出していなくて、声帯が退化している僕でも会話ができるわけだ。

 押耳さんと会話ができるロジックがわかったところで、彼女は本題を切り出した。


「率直に聞くけど、2年6組で起きている怪異の原因はあなたよね」


 押耳さんは僕に問いつめるような視線を向けた。

 怪異がどんなこと知らないけど、たぶん僕がやったことだろう。


「そうね、例を挙げるなら落としたはずの消しゴムがいつの間にか机の上にあったり、黒板消しが急に落ちたりとかかしら」


 間違いない。僕のしたことだ。


「わからないわ。どうして目立つようなことをしたの?あなたの立場からすれば、周囲の人に存在がばれることは避けると思うのだけれど……」


 僕は理由を話すか少し迷ったが、チャンスはもうないかもしれないと思い、押耳さんたちに語った。







 僕は研究所を脱走すると無我夢中で遠くへ走った。

 研究所の生活が嫌なわけでも、外での生活に憧れたわけでもなかった。ただ母さんが悲しむ姿を見ることが耐えられなかった。

 母さんは毎日僕に会いに来ていた。でも僕は母さんと直接触れることはできなかった。

 以前研究所でともに生活していた親子がいたらしいのだが、その母親が精神的に病んでしまったようでそれ以降、親子の接触は禁止されてしまった。子どもが親にどんな影響を与えるかが不明だからということらしい。

 そういうわけで僕は母さんと遊んだり、話したりしたことはなかった。

 母さんは会いに来る度、普通に産んであげられなくてごめんね、こんなところに一人寂しくさせてごめんねとガラス越しに泣いていた。

 そんな母さんを見ているのが辛くて、僕がいなければ母さんは泣かずに済むんじゃないかと思った。

 そうして研究所を抜け出して来た僕は、走った先に見つけた大型ショッピングモールに住み着いた。

 あそこには何でもあったから、生活には困らなかった。けど豪遊(ごうゆう)し過ぎたせいか、モールの従業員たちが異変に気づき始めて、ついに警察の捜査が入った。

 僕はどうせ見つからないだろうと思っていた。でも、警察官の姿を見てその考えは甘かったと思いしった。大半の警察官は何の変哲もないただの拳銃を腰に下げていたけれど、一部の警察官は拳銃の代わりに塗料スプレーを下げていた。明らかに僕を捕らえに来ていた。

 そこで僕はすぐにそのモールを退き、この学校周辺に越してきた。

 住む家も見つからず、電柱の下で(うずくま)っていると大きめの段ボールが投げつけられた。顔を上げると乗用車が走り去っていくところだった。

 僕がイライラして段ボールを投げ捨てようとした時、中から鳴き声が聞こえた。

 段ボールを開けると、中には三匹の仔猫が鳴いていた。どの子もまだ目も開いていない、本当に産まれたばかりの仔猫だった。

 僕は仔猫たちを育てると決めた。

 仔猫たちと暮らすためには、最低でも雨風が防げるところが欲しかったから、僕はすぐ近くにあった神社に拠点を移した。

 朝起きてから仔猫の顔を確認して、周辺のスーパーや薬局から少しずつ食べ物を拝借して回って、仔猫たちに餌をあげるという生活をつづけいた。

 以前モールで警察官が来たことから、ひとつの店から大量に盗むことは辞めた。

 

 ある日、いつものように食べ物を拝借して戻って来ると、赤いランドセルを背負った女の子が仔猫たちに話しかけていた。


「あなたたち捨てられちゃったの。可哀想に」


 少女は目に涙をうかべていた。


「そうだ!私があなたたちにご飯を持ってきて、育ててあげる。私があなたたちのママよ」


 そういうと少女は満足そうに帰っていった。

 僕は彼女が離れていくのを見てから仔猫たちにご飯を上げた。

 次の日、少女は再び現れた。彼女は昨日のようにランドセルは背負っておらず、代わりにキャットフードを手に持っていた。

 彼女はキャットフードを上げようと段ボールの中を覗き込んだ。そこで、あっと声を出して目を見開いた。そこには僕が先程あげたツナの缶詰があったからだ。


「私以外にもこの子たちのお世話をしている人がいるんだ」


 少女は少し複雑そうな表情を浮かべた後、思いつたように声をあげた。


「そっか、私がママでその人がパパなんだ。よかった。私だけじゃあなたたちを養ってあげられなかったから、パパがいてよかったね」


 その時、僕は初めて自分の存在を認めてもらえた気がした。危険人物や悲哀の対象ではなく、僕という人間そのものを見てくれているように思えた。

 それから3ヶ月ほど、僕は少女と一緒に仔猫を育てた。その間に僕たちは仔猫を通じてたくさん話し合った。


「あなたたちのパパはどんな人なのかしら。きっと優しいハンサムよね。いつか会えないかなぁ~」


 僕は目の前にいると言いたかったが、諦めて隣に腰をおろして仔猫たちを眺めていた。

 こんな生活が一生続けばいいのにと思った。


 ある時、僕が食料調達から帰ってくると段ボールに大きめの付箋が貼ってあった。そこにはこう書かれていた。

『いつも一緒にこの子たちに餌をあげてくれてありがとうございます。突然ですが、この子たちを私の家で引き取ってもよろしいでしょうか。昨日ようやくパパとママに許可をもらえたんです。どうか返事をください。

               

             工藤彩香(くどうさやか)より』


 僕は一晩中悩んだ挙げ句、付箋の裏側に返事を書いた。


『一緒にお世話してくれてありがとうございます。是非この子たちを連れていってあげてください。短い間でしたが、この子たちの父親として育てられたことは楽しかったです。大切にしてあげてください。


             桜井透也より』


 次の日の夕方、彩香さんは僕の手紙を読んで嬉々として仔猫たちを連れていった。

 去り際に彼女は大きな声でありがとうと言って帰っていった。

 僕はそんな彼女の後ろ姿を見て、楽しい日々も今日で終わりかと感傷に浸りながら、仔猫たちの安寧に祝福した。


 数年後、仔猫のいなくなった僕はこの学校に住み着いていた。

 いつものように授業の様子を観察して回っていると、見覚えのある顔を見つけた。

 あの時、仔猫を一緒に育てた彩香さんだ。顔つきは少し大人びていたがすぐに彼女だとわかった。

 僕は彼女を見つけた瞬間、彼女と過ごした楽しい日々がフラッシュバックした。心臓の鼓動が速くなって、彼女に話しかけたいという気持ちが溢れだした。

 僕は必死にアピールした。透明人間なんていう疑わしい存在を信じているはずがないから、無駄だということは分かっていた。

 それでも彩香さんに気づいて欲しかった。僕を忘れないで欲しかった。

 しかし、あまり派手に動くと研究所の人たちにばれる。だから些細な異変という形でアピールしていた。

 彩香さんを見つけて数週間がたった頃、彼女が不意に人気のない校舎裏に行ったと思ったら、部活動の先輩に告白されていた。

 彼女はずっとその先輩に憧れていた。だから、正直悔しかったけど、彼女が心から喜ぶ姿に素直に祝福した。

 でもここ最近、彼女の元気がなくて心配していたんだ。そうしたら、友達との会話の中で「私、浮気されてるかもしれない」という言葉が聞こえた。

 僕はすぐに先輩の周辺を調べた。






 これが僕が目立つようにしていた理由だ。


「彩香さんがあなたを突き動かしていたのね。どうりで彼女の周りにだけ異様に怪異が多い訳だ」

 

 押耳さんはハンカチで目元を拭きながら言った。

 

「それじゃあ、あなたは工藤さんにあなたの存在を思い出して欲しいってこと?」


 はい、そういうことです。


「わかったわ。私たちはあなたの依頼を引き受けるわ。それはそうとどうやってあなたの思いを伝えようかしら」


 押耳さんが悩んでいると、今まで静観していた藤堂君が口を開いた。


「電話越しに伝えるってのはどうだ」


 確かにいい案かもしれない。でも僕はうまくしゃべれる気がしないし、そもそも声が出ない。


「それは困ったわね。………そうだ!手紙に書くってのはどうかしら」


 僕も一度試したんだけど、僕が自分の所有物と認めたものはすべて透明になってしまうんだ。


「それなら、私が手紙を書いて送るから、あなたは内容を考えてちょうだい」


 そう言うと押耳さんは鞄からレターセットを取り出し、端正な文字で書き始めた。

 僕は伝えたい思いをできる限りたくさん語った。

 出来上がった手紙を読んで僕は満足した。

 後は届けてもらうだけだ。

 彼らには本当に感謝しなければならない。


「そんな、大したことはしてないわよ」


 そうかもしれない。だけど僕には凄く重要なことだったんだ。何かお礼できないかな。


「お礼なんていいわよ」


「なら後学のためにひとつの質問していいか?」


 藤堂君が興味津々という表情で詰め寄ってきた。

 もちろん僕に答えられることならなんでも。


「答えられることならなんでも聞いてくれって」


「よし、それならここからは筆談にしよう。押耳、悪いが少し廊下に出ていてくれ。今から男同士の話をする」


「はぁ、わかったわ。でもあんまり変なこと聞かないでね」


 押耳さんは呆れながら、廊下に出ていった。

 押耳さんがいなくなったのを確認すると、藤堂君が僕に腕をまわし、小声で話しかけてきた。


「なぁ、透也って透明人間ってことはさ、どこにでも入り放題ってことだよな。なんかお前の持ってるエロい話とかないか」


 僕は紙にそんなものはないと書いた。


「勿体ぶるなって。お前彩香さんのこと好きなんだろ。彼女の家に行って風呂場まで付いていったりとかしなかったのかよ」


 その瞬間、僕の身体がビクンと跳ねた。


「やっぱりあるんだな。なぁ頼む、断片だけでもいいから教えてくれないか?絶対誰にも言わないから」


 藤堂君は胸の前で手を合わせて、懇願してくる。

 僕がどうしたらいいかと困惑していると、教室の扉が開いた。


「助手君、私の大切な友達に何を吹き込んでいるのかしら?おかしいと思ったのよね。あなたが先のこと考えて行動してるなんてあり得ないもの」


 藤堂君は硬直したまま動かない。


「全く油断も隙もないわねこの変態は。ごめんさいね、透也君。このバカが変なこと聞いて」


「バカとは失礼な」


 押耳さんが睨むと、藤堂君はすぐに黙った。


「ねぇ、さっき私はあなたのこと友達って言ったけど、私のこと覚えてる?」


 唐突に押耳さんが質問してきた。

 僕は記憶を辿ったがこんな美人まるで覚えがない。


「美人なんてそんな………そうね、ガラスに絵を描いて遊んでた子って言えば分かるかしら」


 僕は研究所にいた時の記憶を思い出した。そうだ、確か廊下を挟んだ向かい側に女の子がいて一緒に絵を描いて遊んだっけ。


「そう、それが私。あなたが脱走してこんなところにいたなんてびっくりしたわ。まぁ、無事でよかったわ」


 押耳さんはにっこり微笑んだ。


「さぁ、あとは彩香さんの家にこの手紙を送るだけね」


 僕たちは教室を後にして、彩香さんの家に向かった。








 学校の授業が終わり、家に帰ると三匹の猫が私にすり寄ってきた。

 この子たちは私が小学生の時に拾ってきた子たちだ。

 一匹ずつ頭を撫でてやった後、私は自分の部屋に行き、制服を脱いで部屋着に着替えた。

 お茶を飲みに台所へ向かうと、お母さんが洗い物をしていた。


「ただいま、お母さん」


「お帰り、あなたに手紙が来てたわよ。そこの机に置いてあるから」


 手紙?誰からだろう。

 今どき手紙なんて使う人がいるのかと驚きつつ、全く見当のつかない相手に少し恐怖を感じた。

 置かれた手紙にの差出人を確認すると、『桜井透也より』と書かれていた。

 私は目を見開き、手早く封を切った。

 手紙にはこう書かれていた。


『  工藤彩香様へ


 突然のご連絡恐れ入ります。私は以前あなたと仔猫を可愛がっていた者です。最近知り合った方が貴方のことを知っていて、どうしても挨拶をしておきたくて、こうして手紙を書きました。

 引き取っていただいた仔猫たちは元気ですか。みんなヤンチャな子でしたからお世話は大変かもしれませんが何卒可愛がってあげてください。

 それから、少し前に部活動の先輩とお付き合いなされていると聞きました。私は小学生の時の貴方しか知りませんが、貴方はきっと美しく、そして優しい女性になっている確信しています。そんな貴方とお付き合いしている彼氏は貴方にぞっこんでしょうね。きっとどんなことがあっても裏切らないだろうと容易に想像できます。

 改めて私とともに仔猫を育てて、引き取ってくれてありがとうございました。

 いつかまたどこかで会えたら、その時は仔猫たちの話をたくさん聞かせてください。


            桜井透也より 』


 私は手紙を読み終えた後、すぐに玄関を飛び出し、先輩の家に向かった。

 私は表札の前でもう一度手紙を見つめ、振り返って大声で叫んだ。


「みんな元気ですよ、ありがとうございました」


 私は肩で息をしながら自室に戻ると改めて手紙を見た。すると裏側に追伸が書いてあることに気づいた。


『もしお返事を頂けるのであれば、彩香さんにの高校の2年7組、押耳心さんに届け欲しいです』


 私はすぐにペンを取り、手紙を書き始めた。







 数日後、僕はまた書道教室に呼び出された。


「はいこれ、彩香さんからの手紙。彼女手紙を出した次の日に渡して来たわよ」


 僕は押耳さんから手紙を受けった。


「さて、それじゃあもうひとつの依頼を片付けるわよ」


 手紙を開けようとしていたところで、押耳さんが提案してきた。

 僕は他に何もお願いしていないけど誰の依頼だろうか。


「あなたのに決まっているじゃない。いい、私は心の声が聞こえるの。隠していることなんてできないわ。あなたはお母さんに会いに行きたいんでしょ」


 僕は思わず手紙を落としてしまった。

 でも今さら行こうとしたって、住んでる場所も分からないし、何より僕が帰ってきたって迷惑なだけじゃ………。


「問題ないわ。あなたのお母さんは何度も研究所に来ては、息子は戻ってきたかと泣きついてのよ。それに、私はあなたと違って脱走して来た訳じゃない。今もまだ、彼らの管理下にあるわ。だから連絡ならいくらでも取りようはある」


 押耳さんはスマートフォンを出すと、通話をはじめた。


「私よ。桜井透也君を見つけたわ。えぇ……そう……学校にいたの。それで彼は、ただお母さんに会いたいと言っているの。上田さん、桜井さんの住所を教えてくれないかかしら。……えぇ、わかったわ。協力ありがとう」

 

 押耳さんは電話を切って僕の方に向き直った。


「ここから英鉄電車に乗って4つ目の駅の近く、白い外壁に緑の屋根、赤いポルシェが目印よ。行けそうかしら」


 そこら辺なら少し定住していたからわかる。でもどうやって帰ってきたこと伝えよう。


「大丈夫よ」


 押耳さんは藤堂君の鞄からスケッチブックを取り出すとマジックで大きく『ただいま』と書いた。


「はい、これを持って行って。でもこれは()()大切な大切なスケッチブックなの。だからお願い後で必ず返してね」


「おいそれ俺の…………まぁいいか」


 僕はしっかりとスケッチブックを受け取り、後で必ず返しますといって駆け出した。

 駅に行き、電車を乗り継いで鹿橋(かきょう)駅で降りた後、赤いポルシェを探して駅周辺を走り回った。

 電車内や町行く人たちにはスケッチブックがひとりでに宙を移動しているように見えるだろうが気にしていられない。

 僕はやっとの思いで赤いポルシェを見つけると、玄関の前にたった。

 頭の中では母さんの泣いている姿が繰り返している。

 緊張で手汗が滲んでいる。

 玄関のドアのドアノブに手を掛ける。

 動悸が速くなるのを感じつつ、深呼吸をする。

 覚悟を決めて、ドアを引いた。

 玄関には靴が一足置いてあり、奥に廊下が続いていた。

 ドアの閉まる音を聞いたのか、奥から人が歩いてきた。


「どうしたのあなた。こんな昼間に帰って来るな……ん……て………」


 一目見て母さんだとわかった。

 母さんは僕の方を向いたまま固まって動かない。

 僕はスケッチブックの表紙をめくり、頭の上に高々と掲げて精一杯声を出した。


「『ただいま』」


 その瞬間、母さんは涙を流し、僕に抱きついて来た。


「おかえり………おかえり………」







「なぁ、透明にならないようにするためとはいえ、俺のスケッチブック使ったんだから代わりのものを買ってくれよ」


「はぁ、あなたって本当に器が小さいわね。まぁでも、今回は役に立ったわけだし、何か奢るわ」


「マジか、サンキュー。そうだな、サイゼでピザでも奢ってもらおうかな」


「あなたは遠慮というものを知らないのかしら」


「そんなことどうだっていいさ。ほら、早く行くぞ」


「はぁ」


 二人は教室を出て、校門に向かった。

 押耳は透也の家の方角を向いて、無事思いが伝わることを願った。 


              


 


 

長文に付き合ってくださりありがとうございます。今回の話は本編の番外編で書いてみたもので、もし好評であれば本編も書いていこうと思います

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