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消費

「死ぬなら高いところから」


 彼女の口癖だった。私は、迷惑だからやめなと一度言ったきり、その話は聞かないことにしていた。

 人の体というのはほとんど、水の入った袋のようなものだ。落ちるとぱぁんと音がする。何でも、落ちる途中で恐怖でもう死んでいるそうだ。死にたいと言っても、いざ避けられない死を目の前にしたときに、きっと、生物の本能的にそれを避けたいと思うんだろう。経験したことがないので分からない。

 なので、彼女が明日死ぬよと言ったその日も、その気持ちがまるで理解できなかった。私は毎日命が惜しい。どうして、一つしかないものを蹴飛ばせるのか。残念なことに、私には命よりも大事なものなんてなかった。

 けれど、一つだけ、興味のあることがある。

 恐怖で死ぬとはどんな感覚なのだろう。



 落下死のことを調べていると、大抵の人間は、落ちている途中に死んでいる。落下というのは、翼のない人間にとってはどうしようもない事象だ。頭が重いから下に行く。いや、どんな体勢でも多分、目は下を向くだろう。人は、自分の行き先を見るものだから。

 地面が近付いてくる。体より硬い地面。自分を殺す地面。どうしようもなく避けられない死が、刻一刻と。足を離してしまえば二度と戻れないので、無限に後悔してもどうしようもない。

 梯子車が三十一メートル、それ以上は高層ビルに分類されるそうで、どうせなら届かない四十メートル以上と仮定する。


 落下時間は、たった三秒。


 短い。人生を振り返るには、私はあと五分くらい欲しい。命が惜しくない人達にとっては、それで十分な時間なんだろうか。

 たった三秒で、死ぬと実感して、今踏み出したことを後悔して、死に恐怖する。多分、人生で一番忙しい三秒だろう。体感はもっと長いのかもしれない。


「落ちてから死ぬまでの三秒のこと、死んだら私に教えて」


 今まさに飛び降りようと身構えていたらしい彼女が、電話の向こうで呆れるのが分かった。ビルの上を見ると、彼女はフェンスの内側に入って、それから「バカ」と言って電話を切った。私は大急ぎで彼女に会いに行った。

 頬を引っ叩かれて、それから、ありがとうと抱きしめられた。一つも理解できなかった。


「私も命が大事になった」


 それはめでたいことだと思う。


「だから、誰にも消費させてやらないんだから」


 ふん、と得意げに笑った彼女は、いつもと同じ高飛車な顔で、十分前まで死のうとしていたなんて思いもよらない様子だった。

 なるほど、と私は一人で納得する。人の命をエンターテイメントとして消費する、下劣な、しかし何より刺激的な行為。その対象に自分がなるのだと自覚して、嫌になったのだろう。いいことだ。命というのは尊いものなので、大切にしなければいけない。

 私は、撤収するレスキュー隊と野次馬を見て、それから、少しだけ、興味がわいた。


 今私が飛び降りたら、彼女や他の人達は、私の命をどう消費するだろう。


 それは、落下する三秒よりも私にとっては好奇の対象で、けれど、やはり命は惜しいので、その気持ちはしまっておくことにした。

 彼女に引っ叩かれそうだったし、痛いのは、好きではないから。

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