ナンセンス
街角で配るポップなチラシ。掲げられる手作り看板。ゴシック体の謳い文句と気取った明朝体の宗教勧誘。夜空を拒絶するネオンの看板は人波を見下ろして、町の主役を気取っている。
書き割りの群衆が右へ左へ、自分の目的地へ進んでいく。顔も服も髪も全部違うはずなのに、見下ろせば全て同じに見えるのだから不思議なものだ。
駅へ吸い込まれていく群衆を見下ろしながら、コーヒーを一口。窓際の席は、エアコンの直下で少し寒い。けれど、それを我慢して余りあるほどの快適さだ。店内は見えない。下を歩く人間の顔も見えない。ああ、快適だ。
人に生まれ、人の中で育ち、土を灰色のナワバリで覆いつくした中で日々を過ごしている。だというのに、わたしがわたしを取り戻せるのは、そのただ中で人を忘れるこの時間だ。
もしわたしが最大限幸福であろうとするならば、人のいない広い草原の中心に、小さな椅子とテーブルを準備するだろう。コーヒーも悪くないが、できるならば、香りのいい紅茶がいい。草が足元を撫でて、風にそよぐ音を聞いていたら、ああ、それはさぞ至福の時間だろう。
そんなことを夢想して、コーヒーの香りで目を覚ます。夕焼けも去り、いよいよ町は夜の顔を見せ始めた。ぎらぎらと眩しい光は品がない。夜はランプが一つあればいい。
けれどそんなわたしも、文明の利器たる公共交通機関で家路につき、夜の闇を感じさせない明るさの下で活動し、労せず温い風呂に入って、快適で安全な布団で休む。
常々、ナンセンスだと思う。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」
「いいえ、結構です」
物思いにふけっているというのに。
ああ、全くもって、ナンセンスだ。




