万年筆とキーボード
凡才は天才にかなわない。
誰でも知っている。天賦の才というのは存在して、生まれながらにシード権を持っている奴がこの世界にはいる。自分が十時間勉強してテストで百点を取ったとしても、その天才は五時間の勉強で百点を取って、全然努力なんかしていないって顔をする。
天才が努力していないわけじゃない。努力を努力と思わない才があるだけだ。
自分が恵まれていないわけじゃない。天才は足るを知っているだけだ。
分かっている。
分かっている。
分かっているのに、どうしようもなく、その存在が妬ましい。
天才の兄というのは苦労をする。もともと私の背を追ってきていた小さな妹が、いつの間にか、誰しもが知る名前で世に出るようになった。私は相変わらず、部屋の隅で古臭い文机に向かって万年筆を握っている。パソコンという便利なものがあるのだけれど、このアナログな方法が、書いたものが頭に残りやすくて好みだった。
学生の時からこんな調子でずっと文を書いていたので、私が小説家になりたがっていたのは家族皆が知るところだった。けれど、誰にも文を見せたことはなかったし、インターネットで公開するなどもってのほかだった。幾度か新人賞に出した時のみ、パソコンで文を書いたが、活字で印刷された物語は、手書きのものとまるで別のようで、無機質な張りぼてになっていた。
妹は二つ年が離れていて、何かと私の真似をした。いつ覚えたのか、パソコンで打った物語を私に見せてきた。私のように手書きで書くのは苦手だと言う。私に似て無機質な物語になったろうと、鼻で笑いながら読んで後悔した。
気が付くと、ほんの三枚の物語を読み終えていた。はっとしてもう一度読み返す。確かに文字だけの羅列があるというのに、短編映画を見終えたようで、文章がまるで頭に残っていなかった。だのに、ストーリーも台詞も覚えている。
ぞっとした。
妹に才があったと思えば、兄なら祝福するべきだ。けれど、私はただその文章を書いた妹が空恐ろしくて、いいと思うよ、とだけ言って突っ返した。妹はそれで充分喜んだらしいが。
やがて妹は作家になった。私は企業に就職した。実家に帰ると、妹は寝食を忘れたようにキーボードを叩いていることが多い。妹の筆名で世に出ている本の、四、五倍の文を書いていて、印刷されたそれが積み上がっていた。私の部屋では、少し埃をかぶった文机に、ようやく文庫本一冊程度になる原稿が乗っている。
……私には才がないと知っていた。だから活字にして客観的に見てしまえばつまらない芥のような書き物で、インターネットに上げる勇気など湧かなかった。妹は私の何倍も、何十倍も書いて、日々才を磨いている。錆び付く暇もないほどに。
「お兄ちゃん、新作、読んでもらってもいい?」
無邪気というか人のこころが分からないと言うか。昔から変わらず、妹の作品を一番最初に読むのは私だ。
私は相変わらず妹の才が妬ましいし、自分がその才を見抜ける目を持っていることを呪いそうになる。けれど今更諦められず、醜く文机にしがみついている。これではだめだと握って捨てた原稿で山ができるころには、私も妹の足首くらいは掴めるだろうか。
天才というのは妬ましい。けれど、妬ましいと足踏みをしているだけでは、一生私は凡才のままだろう。忙しい日々の合間、文机に向かうほんの少しの時間だけは、きっと諦めきれない。
「正月にまで仕事したくないよ」
私がそうあしらうと、妹は「これは出さないやつだから」と十枚ほどの原稿を渡してきた。
次の彼女の本は、短編集もいいかもな、と思った。