新盆
夏は織笠宗慈郎が死んだ季節である。
うだるような暑さ。かぁんと照りつける太陽は、長かった梅雨の鬱憤を晴らすが如く地上の全てを焼いている。息をするのも苦しいほどの熱波が押し寄せては過ぎ去っていく。風。平生ならば暑さを和らげるそれが、今年の夏ばかりは敵である。
むぅっと湿気の多い空気。何度目になってもきっと慣れることのない、日本の夏だ。遠くで逃げ水が揺れている。車、家々の硝子窓。都会ほどではないが、ここも太陽が多い。
暑い。
隣の家に、息子夫婦が帰ってきていた。まだ幼い孫を抱いて、墓参りに行くらしい。普段は都市部にいるもので、田舎は涼しくていいですね、と疲れた顔で挨拶をされた。これでもずいぶん暑いですよ、と私は半笑いになる。
ああ、宗慈郎も、そんなことを言っていた。田舎は緑が多いからか、涼しいのだと。
夏は命があふれる季節だ。新緑は濃い緑へと変わり、草花は瞬く間に生い茂る。ついこの間まで見通しの良かった原が、私の腰ほどまでの草で埋め尽くされるのもあっという間だ。気の早い稲はもう穂をつけ始めている。山々の色は、緑を通り越して黒みすら帯びている。春が水彩で描いた季節であれば、夏は間違いなく油絵だ。どんな生き物であっても、夏こそ命の盛りである。
そんな夏に、私の唯一の友は死んだ。
山を二つ越えたさきに、渡し守のいる川がある。毎年灯篭流しが行われていた。黒々とした夜の川を、いくつもの橙色の光が流れていく。橋の上から眺めていると、光が空へと昇っていくようにも見えた。見下ろしていたあの灯篭を、今年は私が流す側である。
宗慈郎は光そのもののような男であった。偏屈で頑固と指差される私を唯一照らした光である。夏が好きだとよく言っていた。この時期になると、私の家に一週間ほど滞在するのが慣例になっていた。日がな一日、アトリエで私の背を眺めていることもあった。油絵の具の匂いが好きだという。
「君も絵を描いてみたらどうだい」
宗慈郎の困った顔を見たのは、後にも先にもあの一度きりだった。
日暮れ時である。瓦を一枚と乾いた木切れ、新聞紙を持って家を出た。敷地と私道の境界には、用水路が流れている。橋のすみで迎えの火を焚いた。
帰りたい場所がないのであれば、うちに来るといい。立ち上る煙を見上げて、そんなことを思った。
首筋を撫でる風が、昼間よりはいくらか涼しくなったようだった。




