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人はそれを利器と呼ぶ

「感情を物質化できるようになりました!」


 たびたび変な発明をしては話題になる博士が、突然そんなことを大々的に宣伝し始めた。


「諦めきれない恋心、耐え切れないような悲しみ、重すぎる愛情、どうしようもない怒りや不平不満。全部取り出してしまいましょう!」


 初めのうちは誰もがいぶかし気にそんな宣伝文句を横目で見ては、また変なことをしているなあなどと気にも留めなかった。口さがない人々は、ついにおかしくなったのだと半笑いで指差した。

 風向きが変わったのは、長く療養していた歌手が、鮮烈な復活を果たしてからだった。人に話せないような悩みがあったと初めて口を開いて、こぶし大の青い宝石のようなものを自慢気に見せた。これがなくなったおかげで、またステージに立てるのだという。


 それからはあっという間だった。博士の小さな研究室に押しかけては、色とりどり石を持って出ていく人が後を絶たなくなった。博士は小さな研究室を大きくして、一戸建てで完全予約制のカウンセリングを始めた。予約はすぐに数か月先まで埋まり、たった一人の助手がせっせと予約を取りまとめている。カウンセリング室のカレンダーは、一年先の予約まで書かれていた。

 運よく予約が取れた人々は、カウンセリングを受けては満足して出てくる。不平不満を漏らす患者は一人もいなかった。

 二か月ほど、博士を絶賛する記事ばかりがあった。しかし、あまりにうまく行っている様子に、疑問の声が出てきた。というのも、感情を物質化するというその装置の外見すら、どのメディアにも発表されなかったからだ。そして感情を取り出した人々は口々に、あれはいい体験だった、素晴らしかったと言うばかりで、具体的にどういう機械でどんな施術を受けたかは全く明らかにならなかった。

 そしていつしか、疑念は根拠のない確信になり、博士のカウンセリングは危険な施術をされている、と抽象的な噂が広まった。いつ誰が言い出したのか、感情ではなく記憶を消しているとの説も出てきた。


 さる科学雑誌の記者は、その博士の唯一の助手と知り合いだった。脳科学に関する特集を組むという名目で、その記者は、本来休日である日にカウンセリングを体験できることになった。


「ちまたでは、私の発明が記憶をどうこうするものであると噂ですな」


 博士は柔和な笑顔で記者に言う。記者はぎくりとした顔で「いやぁ」とはぐらかした。


「いいえ、そういった疑念が出るのは仕方のないこと。感情なんて目に見えないものですからな。ですが、十数年前は、記憶をどうこうする方法も確立されていなかった。感情とは記憶に基づいていますから、記憶がどうこうできるのであれば、そこから辿って、感情もどうこうできると思ったのですよ」


 そこから博士は、こまごました文字が並んだ論文を見せ、記者に一時間ほど一方的に理論の説明をした。記者は引きつった笑顔でうんうんと頷いていたが、手に持ったメモは真っ白のままだった。


「では、実際に体験してもらいましょう」


 博士の話が終わると、間髪入れずに助手がそう言った。記者が遠慮する暇もなく、レコーダーやカメラは取り上げられ、六畳一間のカウンセリング室に通された。そこには、大仰なマッサージチェアのようなものがあり、ひさしのようなカバーと、それに繋がれた白い機械がちかちかと光を放っていた。

 困惑しつつも、これは秘密を暴く最大の好機だと、記者は言われるまま椅子に座る。柔らかな椅子は、座った記者を包み込むような感触だった。耳元にスピーカーがあるらしく、オルゴールの音楽が静かに鳴っていた。

 リラックスするように言われて、五分ほど、博士の他愛のない話を聞いていると、記者は次第に眠気を覚え始めた。快適なクッションに包み込まれて、今意識を手放したらどれほど幸福だろうと思う。


「では、取り出したい感情について伺いましょう」

「え? あ、はあ……ええと……」


 記者は眉間にしわを寄せる。気を抜くと眠ってしまいそうだ。体が椅子の中に沈むような錯覚をする。椅子のリクライニングが起動して、記者の意識はさらに遠くなった。



 返された腕時計を見て、もうそんなに時間が経っていたのかと記者は目を丸くした。


「すみません、途中で寝てしまったようで」

「皆さんそうですよ」


 助手が、こぶし大のぴかぴかした宝石のようなものを差し出すと、記者は両手でそっとそれを受け取った。そして、素晴らしかった、本当に心が軽くなった、カウンセリング代を取材費に上乗せすると約束して帰っていった。

 博士と助手はひそかにしたり顔で頷き合った。


「トランス状態で話を聞いているだけなのに、効果てきめんですね」

「うちに来るような人は、気兼ねなく弱音を言える相手もいないんだ。なに、プラシーボだって本人が本物と思えば本物なのだよ」


 それに、と博士はほくそ笑む。


「利用価値があるなら、仕組みはどうでもいい。そんなものだろう?」


 アクリルの宝石もどきを手で弄んで、助手は「そうですね」と苦笑した。

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