堂々巡り
お手紙ですヨと細君に呼びかけられて、折角進んでいた筆を置くことになった。こう云うときは私は何時も不機嫌になるのだが、細君は気にもしない。盆の上に一杯の水と手紙をちょんと乗せて、書斎の入り口に置いている。思えば昼餉から何も口に入れていない。
手紙は差出人の名がなく、甘い香りがした。紙にうんと香を焚きしめたらこうなるだろう。開くと、ころんと薄橙のものが落ちてきた。胡坐をかいた足に落ちたのは、小指の爪ほどの大きさの金平糖だ。開いた手紙には、真ん中に一言、細い筆の字があった。
『今日は 一枚 すゝみましたね』
社に待たせている原稿が、今日は少しばかり筆が乗ったので、用紙で一枚きっかり進んだのである。
ところで、折り畳まれた手紙のどこに金平糖が入っていたのか、何度紙を改めても皆目見当が付かなかった。
翌日も手紙は届いた。金平糖は二粒落ちてきた。丁度、二枚目の原稿を書き上がったところであった。二枚進みましたねと細い字で書いてあった。どこかで見たことがある字である。
翌日も手紙は届いた。金平糖は三粒落ちてきた。三枚目の原稿がまだ半ばであったので、書き上げてから細君を呼んで茶を淹れた。もしや、細君が私の仕事が捗るようにと図ったものかと問うてみたが、違いますよと笑われた。第一、細君であっても、手紙から金平糖が出てくる説明にはならない。
ようやっと一本書き上がったので、街をぶらぶらと歩いていると、郵便局の前でふと足が止まった。金平糖の甘い香りがする。箱に瓶詰の金平糖を持った少年が、ふらふらと歩いていたので、一つ買って帰ることにした。
家に帰ると、細君が大騒ぎをしていた。書斎の掃除に入ったらしい。隅に山と積んでいたくだんの手紙が、すっかり消えていた。あの手紙と金平糖を支えに書いていたに等しいので、少しばかり残念であった。
ひとつきが経ったころ、覚えのない小包が届いた。開くと随分強い香りがする。ぎっしりと白紙の手紙が入っていた。ようやく合点がいったので、私は細い筆を執った。