クローズド・プラネット
水の底で揺蕩う夢を見る。
何でも、古代の哲学者には、世界は全て水でできているって言った奴がいるそうだ。そういう、常識を飛び越えた思想っていうのが、文明の発展には必要なんだろう。
けど、その哲学者だってまさか、星ひとつを環境再現飼育装置にされるなんて、思わなかったろう。
目覚めの不機嫌なアラームに、俺の意識は引き摺り上げられた。
「よぉよぉ、今日も惰眠をせっせと貪っているかい、地球人代表諸君」
身の丈ほどの杖を持って、青年は半笑いで人々に呼び掛けた。青々と茂る草地の上で、青年だけが装飾のある服を着ている。他の人々は、老若男女問わず、白い布を止めただけの簡素な衣服だった。全員の首に、透明な青色の首輪がつけられている。
「へえ、道具を作ってんのか。石器時代に移行したい的な? はっ、別にいーけどさぁ。石器文明くらいは許してやるし。でも道具なんていらなくねぇ? 飯に困ることねえだろ、この箱庭 じゃあ」
ぎろり、と人々の目が青年を睨む。青年は大げさに身を縮めて見せた。
「おぉこわ。獰猛だねえ。飼い慣らされてる安心感くらい抱けねえのかカワイくねえ」
「……行こう」
一人がそう言うと、人々はぞろぞろと立ち上がって、青年に背を向ける。
「待てよ。不満とかねーか。寒いだの熱いだの飯がまずいだの具合が悪いだの、何でも」
「快適だよ、お前の存在以外はな!」
一人が、熟れた木の実を青年に投げつける。
「そぉかい。……そりゃ、何より」
顔をしたたる果汁を拭って、青年はまた、小ばかにしたように笑った。
自分の寝床の上に座り、アーウィットは拳で壁を叩いた。
「何なんだ、あいつは!」
「……しょうがないよ。誰だって、家畜生活は嫌だもん」
「リア、お前なんでそんな平気な顔でいられるんだ」
アーウィットは、向かいに座る少女を指差す。少女、リアは困ったように笑った。
「クソッたれのグリスめ。何が石器文明くらい許してやる、だ」
アーウィットは腕を枕にして横になる。
自分たちの身に起きていることは、全てあの、杖を持った青年、グリスに説明された。
地球から無作為に選ばれた老若男女百二十五人。この小さな星は、その地球人を『飼う』ための飼育装置だそうだ。アーウィット達を飼っている存在を、グリスは『社長』と呼んでいた。
『今日から俺がお前ら毛無し猿どもの飼育係だ。可愛がってやるから泣いて喜べ』
この星に放り出されて三日後、グリスはあっけらかんとした笑顔でそう告げた。
「僕達は人間だ。いずれ、全員を連れて地球に帰ってやる」
幾度となく繰り返してきた言葉を、また口にする。リアは困ったように笑みを浮かべた。壁に刻んだ日にちが百を超えた現在でも、脱出の糸口がつかめていないのが現状だ。
『社長』の、アーウィット達に対する扱いは、まるっきり愛玩動物のそれと同じだった。丹念に環境を整え、エサと食事と寝床を与え、健康を常にモニタリングする。大人しく生きているだけで褒められるような日々に、順応し始めた者も少なくない。
だが、アーウィットは断固として順応を拒んだ。そして、同じように地球への帰還を願い、グリスへの怒りや恨みを共有することが、人々の結束の種でもあった。
首輪のない赤子を、グリスは両手で慎重に抱き上げる。母親が、青白い顔でその様子を見つめていた。グリスは赤子の髪を切り、その毛を瓶に詰める。母親に赤子を返すと、ふ、と優しい笑みを浮かべた。
「……グリス」
立ち上がったグリスの背に、アーウィットが剣呑な声を投げる。その隣では、リアがグリスの杖を握っていた。
「泥棒とは感心しねえな」
「……グリス、今日という今日は我慢の限界だ。出ろ」
産屋から出た途端、アーウィットは拳を固め、グリスの胸ぐらを掴んだ。
「なんでそっち側になったんだ。なんで、同じ地球の人間を虐げることができるんだ! 心まで、この一年で飼い慣らされたっていうのか」
「……いいから杖を返せよ」
「僕は、お前を信じてた! お前がそっちに行ったのは何か案があるからだって……なのに、何なんだよお前は!」
「杖を返せ。最後の忠告だ」
「お前が僕達の味方に戻るなら。杖を返すし、何もしない」
「俺に取引できる立場だと思ってんのか?」
グリスの手が、アーウィットの手首をつかんだ。
「飼い慣らされてる? 俺が? そろって首輪に命握られてる猿どもが何吼えてやがる! 毎日毎日様子見に来てやってることに感謝くらいしろってんだ恩知らずども!」
グリスが怒鳴ると、アーウィットの首輪に赤い光が走った。アーウィットの顔が、苦痛に歪む。緩んだ手を引きはがし、グリスはリアから杖を奪い返した。
「あの赤ん坊の首が据わったら、巣の引っ越しだ。荷物まとめときな、諸君よ」
杖を担いで、グリスはアーウィットを鼻で笑った。
大きな飛行船が、草地に降りてくる。その上には、空を覆いつくすほどの巨大な黒い船があった。その巨大さに、アーウィットは言葉を失う。飛行船から降りてきたグリスの背後には、白い布を被った人影があった。
「よぉ反抗期君。引っ越しの準備はできたかい。……乗っ取ろうとか考えんなよ」
アーウィットは舌打ちする。だが、この星から運び出されるということは、最初で最後かもしれない、脱出のチャンスだ。
「お前が地球で優秀なパイロットだろうと」
そんなアーウィットの心を見透かすように、グリスは鼻で笑う。
「まだ、あの船は無理だ」
グリスは杖でアーウィットを押しのけ、タラップに押し込む。コンベアで運ばれていくアーウィットを見上げ、リアは息を吐いた。
「あんたも行くんでしょ、飼育員なら」
「行かねえよ。……さっさと乗れ」
はっ、とグリスは鼻で笑った。
「……グリス。あんた本当に、それでいいの?」
タラップの前で、リアは振り返る。
「……しょうがねぇだろ」
吐き捨てるように、グリスは呟いた。
「そんなに寂しいなら、コイツをやるよ。翻訳機能もある優れモンだぜ」
グリスは杖をリアに放り投げる。それを受け止めようとして、リアの足はタラップに乗った。
「あっ……ちょっと、グリス!」
リアの目に、グリスの笑顔が映る。見慣れた、小ばかにしたような笑い方ではない。無理やりに口角を持ち上げた、下手な笑顔だ。口にしようとした言葉を失って、リアは息を飲む。
「……元気で」
絞り出すようにそう言って、グリスは遠慮がちに手を振った。
飛行船の内部にリアが入ったとたん、分厚い扉が閉められる。リアは窓に張り付き、あっという間に小さくなるグリスを見下ろした。
「……あの、私達、どこに連れていかれるんですか」
「え? 君たち、行き先を聞いていないのかい」
翻訳された声が、杖から聞こえる。
「上のあの大きな船。君たちは、あれで、太陽系のチキュウっていう原始惑星に送り届けられるんだ」
「……へっ?」「は!?」
リアの肩をつかんで、アーウィットが顔を出す。パイロットはその剣幕に肩を縮めた。
「だって、社長と彼は、そういう契約をしたんだって聞いたよ」
「ほら座って座って。揺れるから危険だよ」
手を叩いて、もう一人の白装束がリアとアーウィットをパイロットから引きはがす。
「契約って……どんな?」
「何でも、何かのデータと、彼自身と、あと何かを条件に、チキュウ行のチケットを百二十五枚、社長に用意させたとか……」
「……そんな」
リアの声は震えていた。アーウィットは蒼白になり、視線を床に落とす。
「何で……なんで、そんな……」
口に出す言葉は嫌に空々しく。だが、言わずにはいられなかった。
「……あのバカ野郎!」
箱庭は雲の下となり、地上もグリスも、もう見えない。
信じてなんかいない。あいつらの大半は俺を恨むだろう。それでいい。契約を持ちかけたことも、契約をしたことも、後悔は少しもしていない。
信じてなんかいない。いつか、何年、何十年と経った先、アイツらが俺の運命を変えてくれるだなんて。死ぬまでただのサンプルとして生かされる運命に、光なんか指すわけがない。
信じてなんかいない。
……信じてなんか、いなかったんだが。




