不完全殺人
※残酷な表現あり
後ろから、死体がついてきている。
そう気付いたのはいつだろう。ずるずると足を引きずって、振り返ると、腐って歪んだ顔でにっこりと俺に笑いかける。俺は悲鳴を上げて逃げ出す。
そんなことを繰り返しているうちに、夜出かけるのが嫌になった。そうすると、死体に付きまとわれることは減った。
ほっとした次の日に、クローゼットから、腐った死体が出てきた。
俺はもうダメだと思って、警察に駆け込んだ。
俺が殺した女が、俺をストーカーしていると半泣きで訴えた。頭がおかしいと思われたらしく、追い返されそうになった。俺は、一か月前まで世間をにぎわせていた猟奇殺人の話をして、自首するから助けてくれと言った。
ようやくその場で拘束された。これでもう大丈夫だと思って振り返ると、夕闇の中にその死体がいた。周囲の誰もそれに気付かない。死体は、雑に縫い付けた傷口から、色々なものをこぼしながら、俺に近付いてきた。
やめろ、やめてくれ。そう俺が叫ぶと、今更何をと言わんばかりに警察が俺を押さえつけた。警察からすれば、自首してきた凶悪犯が、今になって逃げ出そうとしているようにしか見えないんだろう。
死体は俺に手を伸ばす。骨が見える腕が、ガスで膨れてあちこち破けた皮膚が、俺に近付いてくる。俺の頭を、ぐりぐりと撫でる。
俺は、そこで正気でいることを諦めた。
俺は目を覚ました。両手の指が痛んだ。見上げた壁を、何度も引っ掻いた跡があった。
「なあ、ここは刑務所か?」
看守らしき女にそういうと、怪訝な顔をされた。それから視線を巡らせて、ああ、と得心がいったように頷く。
「そうだよ。自分の日記を読むといい」
「日記? ……それより、相部屋が女じゃねえか。どうなってんだ?」
「あなたも女じゃないか」
「は?」
俺は、自分の体を見下ろす。俺にはないはずの胸があって、きちんと服を着て、丹念に手入れをしようとしているんだろうな、というような女の体があった。
「……は?」
看守が、呆れたような顔で手鏡を差し出した。そこに映っているのは、俺が殺したはずの女だった。
俺は日記に飛びつく。殺したはずの女の名前が書いてあって、俺には書けないような几帳面な字で、毎日のことが書いてあった。日記をめくる。ところどころ、黒く塗りつぶされて読めないページがあった。日記は最近になるほどページ数が増えていて、死体に追いかけられる夢を見ること、そのリアルさが恐ろしいことが書いてあった。
「……なあ、なあ看守さん、俺、俺は何をして、ここにいるんだ?」
「殺人。詳しいことは知らないけどね」
それは、俺の記憶通りだ。俺は自分の恋人を殺して、その死体に追いかけられる幻覚を見て、交番に駆け込んだ。その勢いで自首をした。
それから――――?
もう一度日記を見る。日付は、俺の記憶から三年経っていた。
カウンセリングだとかで、面会室に連れていかれた。
「×××さん」
俺が殺した女の名前で、その医者は俺を呼んだ。俺が否定すると、困ったように笑った。
「自分が起こした事件のことは、思い出せますか?」
俺は、自分が恋人を殺して、その死体をバラシて捨てたことを話した。死体の処理に困って、少し自宅のクローゼットに入れていたことも話した。
「うん。そしてこれが、あなたの事件の記事」
古い新聞の切り抜きを見せられた。恋人を殺した女が、異臭を放って通報されるまで、その死体と生活していたと書かれていた。女は、恋人と自分を一人二役で演じていて、警察が来た時も、腐乱死体を恋人として紹介したそうだ。
「……あなたは、×××さんを愛していますか?」
唐突に、そう問われる。
「ハイ、あいしています」
何を、当たり前なことを。愛しているから殺したんだ。愛しているから許せなかったんだ。愛しているから一緒にいるんだ。愛しているから私は俺を愛しているから永遠に一緒にいるんだから死んでも腐っても絶対に。
「……これは、根が深い」
また、困ったように笑う。俺だって困っている。日記を書いたら、早く目を覚まさないと。愛している人に会うために。




