エール
やりなさいと言われたことは全てやってきた。勉強、宿題、塾に習い事。大人が夢見る理想の優等生のようなもの。
別に勉強が好きなわけじゃない。ただ、勉強していればテストでいい点が取れるので、親に怒られなくて済む。優等生でいれば面倒ごとが起きないと理解してからは、優等生でいることは苦ではなくなった。
だって、自分で考える必要がないのだから。親が望むように、教師が望むように成長していけばいい。
「あなたの夢は何?」
面談で聞かれれば、無難に公務員と答えていた。
「そうじゃなくて」
その答えを突き返されたのは、高一の夏のことだ。
「あなた自身の夢は?」
多分、多くの優等生がそうであるように、私はそんなものを持ってこなかった。
例えば、自分の中にそういう意志をいれる器のようなものがあったとして、私はそこに蓋をして、親と教師の期待を乗せている。だからいざそれを退けて器を開いても、何も入っていないし、沸いてきもしない。
何もなくて、ぞっとした。やりたいことがない。夢もない。だからと言ってこれが嫌だというのもない。ただ、誰かがこちらと指差したらそちらに行くだけのこと。
だって、それが一番楽なのだから。
何もない、と答えると、先生は少し笑った。
「……たとえば、これがあなたの心だとしてね」
先生は、ルーズリーフに丸を一つ描いた。
「ここに、本当に何も入っていないって思うでしょう」
私は頷く。先生はボールペンで、丸の中に『勉強』と描いた。
「勉強がとてもできますね。それは、ふつうはできることじゃない。それから、委員会も。あなたに任せて失敗したことがない。すごいこと。これは管理能力ね」
先生は、私の丸の中に次々と書き込んでいく。五分くらいで、丸の半分くらいが埋まった。
「あと半分は、好きに埋めていい」
好きにと言われても。
「高校生活はこれから二年。大学に行くならさらに四年。好きなもの、嫌いなもの、分からないもの、何でも入れられる。今は学校っていう狭い世界の中にいるんだもの、空っぽって思ってもおかしくない」
先生は立って、私の前から退く。午後の日差しが差し込む廊下が見えた。
「人生には、正しい道はないんだよ」
急に自習ノートを捨てたり、塾を辞めたりする勇気は私にはない。
けど、何となく自分の中にあった焦燥感が、なくなったように思った。




