木漏れ日のクラウン
庭に、午後の日差しが降り注いでいた。やや遠くで遊びまわる弟妹に目を細め、少女は、膝の上の本を閉じる。視線を持ち上げると、木の葉が風に揺れて、日の光が差し込んでいた。
「ばあっ!」
大げさな声と動作で、赤い鼻の道化師が顔を出す。三日月のように曲がった目に、口の周りの派手な赤。仮面の奥でも満面の笑みを見せて、道化師は逆立ちで地面に着地した。
「また来たの」
ぴょんと起き上がり、道化師は芝居がかった動作で礼をする。サイズの合っていない派手な服に、赤と黄色で色づけられた白い面。頭を上げてズレた面を直すと、ふたつのボールでジャグリングを始めた。少女はつまらなそうに頬杖をつく。
ボールが三つに増え、四つに増え、五つに増える。だが、六つ目を取り出した瞬間、高く投げ上げていたボールが道化師の頭にぶつかった。道化師はふらついて、押さえた頭に更にボールが降ってくる。
「もうちょっと練習したら?」
少女が半笑いで言うと、道化師は握った拳を上下させた。転がったボールを手早く片付け、額に指を当てて考え込む。二、三度指の腹で額を叩いてから、道化師は少女に駆け寄る。白手袋の中から、真っ赤な薔薇の花が現れた。
「なぁに? 芸で失敗したからごまかしているの?」
道化師は首を横に振る。少女の手に薔薇を持たせると、連なった三角の旗を二筋、リボンのように伸ばして見せた。
「こら、ジェスター!」
背後から怒鳴り声がして、ぴっ、と道化師は背筋を正す。
「また姫様に。今日はお加減がよろしいのだから、邪魔をするなというのに」
道化師は足をコンパスのようにして、声の主に向き直る。兵士のように敬礼をした後、道化師は両手で手を振りながら走り去っていった。少女は手元の薔薇に視線を落とす。ご丁寧に、茎の棘はすっかり取り除かれていた。
鏡張りの壁に、クリスタルをちりばめたシャンデリア。窓の外がすっかり暗くなっても、室内は昼間のように明るかった。
「ルーウォーク。一の姫様についていなさい。無礼のないように」
「はい」
呼び止められた少年は、部屋の隅で座っている姫に駆け寄る。大きな車輪のついた椅子に座り、ひときわ派手な服を着せられて、その姫は一人、広間を眺めていた。
「一の姫様」
「レーアよ」
「レーア様。本日の護衛をお勤めいたします、ルーウォークと申します。何なりとお申し付けください」
レーアはふんと鼻を鳴らし、椅子の手摺に肘を乗せた。
「騎士団の見習いかしら」
「ええ、はい」
「なら団長殿に言いなさい。私の機嫌を直せるのはあの宮廷道化師だけだって」
ルーウォークは困ったように頬を掻く。
「……ダンスが始まったら、連れ出しなさい。踊れないのにいるなんて滑稽だわ」
「それは……承知しました」
奥の扉が開き、会食を終えた貴族たちが広間に入ってくる。色とりどりに着飾った娘達は、スカートの裾を床に擦りながら、声をかけられようと広間をうろついていた。
ルーウォークはレーアの背後に回り、椅子の車輪に噛ませていた木片を蹴飛ばす。楽団がワルツを奏でる中、二人は広間を後にした。
ここでいい、と言うレーアを部屋の前に残し、ルーウォークは広間へと戻っていった。レーアは自室の扉は開かず、そのまま、壁に手をかけて立ち上がる。
「お父様も、見栄っ張りなんだから」
歩けないわけではない。ただ、昔から、少し走るだけで高熱で臥せるような体だった。足に怪我もしていないのに、舞踏会で踊れないとなると、それだけで外聞が良くない。
咳をして、レーアは額に手の甲を当てる。慣れない格好のせいか、いつもよりも体が重かった。ルーウォークを帰らせたのは間違いだったかという思いがよぎる。
「あ」
中庭への扉を開いたところで、ぐにゃりと世界が歪んだ。
石畳は冷たかった。このまま目を閉じて、明日の朝、自分は目を覚ますだろうか。舞踏会が終わる時間を思い出し、レーアは諦めたように目を閉じる。女中も従僕も、誰もかれもが忙しい夜だ。平時から気を配っていない姫の所在など、誰も気にかけないだろう。
「……様」
消えかけた意識を引き戻したのは、聞き覚えのある声だった。
「姫様!」
体を揺すられて、レーアは目を開く。見上げた先には、道化師の面があった。
道化師はレーアを抱え、レーアの自室まで小走りで戻った。
「どうして、あそこに?」
レーアが問うと、道化師は胸に拳を当ててみせた。
「……騎士?」
その通り、と道化師は何度もうなずく。それから、掌を下に向け、すうっと下げる。
「小さい? 小さい騎士……あ、ルーウォークのこと?」
今度は壁を拳で何度も叩くふりをして、それから目を擦って伸びをした。
「ルーウォークに起こされたのね? それで……歯磨き? 違う? うーん……顔を洗う! それも違うの?」
道化師は握った拳を上下させた。レーアは眉間にしわを寄せ、口元に手を当てる。
「分かった、着替え! 着替えたのね」
道化師は両手を挙げて小さく跳んだ。
「それから、……探す? 探して、椅子があった。うん。それから、私を探したのね」
道化師は顔の横で拍手をした。レーアは笑って、それから眩しそうに道化師を見上げる。
「あなたはすごいわね」
道化師は、ぐいんと体ごと首を傾げてみせた。
「明日も、私を探しに来てくれる?」
勿論、と言うように道化師は頷いた。
庭の端には、見事な花畑がある。日が傾き始めて、花畑にも木の影が落ちていた。
草を踏む音がしてレーアが顔を上げると、道化師がそこに立っていた。
「こんなところに来ても、あなたは私を見つけるのね」
かすかに笑って、レーアは白い花を摘む。道化師はレーアの前にしゃがんで、顔を覗き込んできた。そのままレーアの隣に座り、道化師は膝を抱える。
「今日は、芸はしないのね」
道化師は、レーアの見よう見まねで、花を一輪摘む。
「……私、十日後に隣の国へ行くわ。二回り年上の人の第三妃になるの」
ぽつり、と独り言のようにレーアが言う。
「私、元々正妃の子じゃないし。きっとお父様は、どうにかして私を処分したかったのね」
処分、という言葉に道化師はレーアを振り返る。
「持参金代わりに、召使いを四人連れていけるんですって。女中が三人と、護衛の騎士が一人」
一輪の花を持ったまま、道化師は俯く。レーアはそれ以上何も言わず、黙々と花を摘んだ。やがて、白と黄色の花冠が出来上がる。
「私が連れていく騎士に、あなたがなってくれる?」
花冠を持って、レーアは道化師を振り返る。
「ね、ルーウォーク」
道化師の頭に、花冠が乗せられた。木漏れ日の中で、花弁が風に揺れる。
「……へっ?」
たっぷり時間をとってから、道化師がそう言った。
「舞踏会の夜から気付いていたわよ。声と手が同じだったもの」
レーアが、道化師の面を取り上げる。耳まで真っ赤になり、汗だくのルーウォークの顔が現れた。
「それで、返事は?」
「……そ、それは……ぜひ、お供いたしたいと……」
「一緒に隣の国まで行ってくれる?」
「はい!」
「騎士として守ってくれる?」
「はい!」
「嫌になったら連れ出してくれる?」
「はい! ……はい?」
顔をひきつらせたルーウォークに、レーアはまた笑いをこぼす。
「でも、その、どうして……」
「……あなたはね。たった一人、私を探してくれたのよ」
道化の面に視線を落とし、レーアは目を伏せた。
「だから、私は、あなたさえいればいいの」
レーアはルーウォークを引き寄せ、こつん、と額を重ねた。




