表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/100

木漏れ日のクラウン

 庭に、午後の日差しが降り注いでいた。やや遠くで遊びまわる弟妹に目を細め、少女は、膝の上の本を閉じる。視線を持ち上げると、木の葉が風に揺れて、日の光が差し込んでいた。


「ばあっ!」


 大げさな声と動作で、赤い鼻の道化師(クラウン)が顔を出す。三日月のように曲がった目に、口の周りの派手な赤。仮面の奥でも満面の笑みを見せて、道化師は逆立ちで地面に着地した。


「また来たの」


 ぴょんと起き上がり、道化師は芝居がかった動作で礼をする。サイズの合っていない派手な服に、赤と黄色で色づけられた白い面。頭を上げてズレた面を直すと、ふたつのボールでジャグリングを始めた。少女はつまらなそうに頬杖をつく。

 ボールが三つに増え、四つに増え、五つに増える。だが、六つ目を取り出した瞬間、高く投げ上げていたボールが道化師の頭にぶつかった。道化師はふらついて、押さえた頭に更にボールが降ってくる。


「もうちょっと練習したら?」


 少女が半笑いで言うと、道化師は握った拳を上下させた。転がったボールを手早く片付け、額に指を当てて考え込む。二、三度指の腹で額を叩いてから、道化師は少女に駆け寄る。白手袋の中から、真っ赤な薔薇の花が現れた。


「なぁに? 芸で失敗したからごまかしているの?」


 道化師は首を横に振る。少女の手に薔薇を持たせると、連なった三角の旗を二筋、リボンのように伸ばして見せた。


「こら、ジェスター!」


 背後から怒鳴り声がして、ぴっ、と道化師は背筋を正す。


「また姫様に。今日はお加減がよろしいのだから、邪魔をするなというのに」


 道化師は足をコンパスのようにして、声の主に向き直る。兵士のように敬礼をした後、道化師は両手で手を振りながら走り去っていった。少女は手元の薔薇に視線を落とす。ご丁寧に、茎の棘はすっかり取り除かれていた。



 鏡張りの壁に、クリスタルをちりばめたシャンデリア。窓の外がすっかり暗くなっても、室内は昼間のように明るかった。


「ルーウォーク。一の姫様についていなさい。無礼のないように」

「はい」


 呼び止められた少年は、部屋の隅で座っている姫に駆け寄る。大きな車輪のついた椅子に座り、ひときわ派手な服を着せられて、その姫は一人、広間を眺めていた。


「一の姫様」

「レーアよ」

「レーア様。本日の護衛をお勤めいたします、ルーウォークと申します。何なりとお申し付けください」


 レーアはふんと鼻を鳴らし、椅子の手摺に肘を乗せた。


「騎士団の見習いかしら」

「ええ、はい」

「なら団長殿に言いなさい。私の機嫌を直せるのはあの宮廷道化師(ジェスター)だけだって」


 ルーウォークは困ったように頬を掻く。


「……ダンスが始まったら、連れ出しなさい。踊れないのにいるなんて滑稽だわ」

「それは……承知しました」


 奥の扉が開き、会食を終えた貴族たちが広間に入ってくる。色とりどりに着飾った娘達は、スカートの裾を床に擦りながら、声をかけられようと広間をうろついていた。

 ルーウォークはレーアの背後に回り、椅子の車輪に噛ませていた木片を蹴飛ばす。楽団がワルツを奏でる中、二人は広間を後にした。



 ここでいい、と言うレーアを部屋の前に残し、ルーウォークは広間へと戻っていった。レーアは自室の扉は開かず、そのまま、壁に手をかけて立ち上がる。


「お父様も、見栄っ張りなんだから」


 歩けないわけではない。ただ、昔から、少し走るだけで高熱で臥せるような体だった。足に怪我もしていないのに、舞踏会で踊れないとなると、それだけで外聞が良くない。

 咳をして、レーアは額に手の甲を当てる。慣れない格好のせいか、いつもよりも体が重かった。ルーウォークを帰らせたのは間違いだったかという思いがよぎる。


「あ」


 中庭への扉を開いたところで、ぐにゃりと世界が歪んだ。

 石畳は冷たかった。このまま目を閉じて、明日の朝、自分は目を覚ますだろうか。舞踏会が終わる時間を思い出し、レーアは諦めたように目を閉じる。女中も従僕も、誰もかれもが忙しい夜だ。平時から気を配っていない姫の所在など、誰も気にかけないだろう。


「……様」


 消えかけた意識を引き戻したのは、聞き覚えのある声だった。


「姫様!」


 体を揺すられて、レーアは目を開く。見上げた先には、道化師の面があった。



 道化師はレーアを抱え、レーアの自室まで小走りで戻った。


「どうして、あそこに?」


 レーアが問うと、道化師は胸に拳を当ててみせた。


「……騎士?」


 その通り、と道化師は何度もうなずく。それから、掌を下に向け、すうっと下げる。


「小さい? 小さい騎士……あ、ルーウォークのこと?」


 今度は壁を拳で何度も叩くふりをして、それから目を擦って伸びをした。


「ルーウォークに起こされたのね? それで……歯磨き? 違う? うーん……顔を洗う! それも違うの?」


 道化師は握った拳を上下させた。レーアは眉間にしわを寄せ、口元に手を当てる。


「分かった、着替え! 着替えたのね」


 道化師は両手を挙げて小さく跳んだ。


「それから、……探す? 探して、椅子があった。うん。それから、私を探したのね」


 道化師は顔の横で拍手をした。レーアは笑って、それから眩しそうに道化師を見上げる。


「あなたはすごいわね」


 道化師は、ぐいんと体ごと首を傾げてみせた。


「明日も、私を探しに来てくれる?」


 勿論、と言うように道化師は頷いた。



 庭の端には、見事な花畑がある。日が傾き始めて、花畑にも木の影が落ちていた。

 草を踏む音がしてレーアが顔を上げると、道化師がそこに立っていた。


「こんなところに来ても、あなたは私を見つけるのね」


 かすかに笑って、レーアは白い花を摘む。道化師はレーアの前にしゃがんで、顔を覗き込んできた。そのままレーアの隣に座り、道化師は膝を抱える。


「今日は、芸はしないのね」


 道化師は、レーアの見よう見まねで、花を一輪摘む。


「……私、十日後に隣の国へ行くわ。二回り年上の人の第三妃になるの」


 ぽつり、と独り言のようにレーアが言う。


「私、元々正妃の子じゃないし。きっとお父様は、どうにかして私を処分したかったのね」


 処分、という言葉に道化師はレーアを振り返る。


「持参金代わりに、召使いを四人連れていけるんですって。女中が三人と、護衛の騎士が一人」


 一輪の花を持ったまま、道化師は俯く。レーアはそれ以上何も言わず、黙々と花を摘んだ。やがて、白と黄色の花冠が出来上がる。


「私が連れていく騎士に、あなたがなってくれる?」


 花冠を持って、レーアは道化師を振り返る。


「ね、ルーウォーク」


 道化師の頭に、花冠が乗せられた。木漏れ日の中で、花弁が風に揺れる。


「……へっ?」


 たっぷり時間をとってから、道化師がそう言った。


「舞踏会の夜から気付いていたわよ。声と手が同じだったもの」


 レーアが、道化師の面を取り上げる。耳まで真っ赤になり、汗だくのルーウォークの顔が現れた。


「それで、返事は?」

「……そ、それは……ぜひ、お供いたしたいと……」

「一緒に隣の国まで行ってくれる?」

「はい!」

「騎士として守ってくれる?」

「はい!」

「嫌になったら連れ出してくれる?」

「はい! ……はい?」


 顔をひきつらせたルーウォークに、レーアはまた笑いをこぼす。


「でも、その、どうして……」

「……あなたはね。たった一人、私を探してくれたのよ」


 道化の面に視線を落とし、レーアは目を伏せた。


「だから、私は、あなたさえいればいいの」


 レーアはルーウォークを引き寄せ、こつん、と額を重ねた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ