星の夢
石畳に、足音が反響する。長い螺旋の階段を下ると、地上の光は届かなくなった。
「どうぞ」
看守の一人が、牢の入り口を開いた。看守に引かれていた少女は、抵抗せず牢の中に入る。看守が戸を閉める。少女は腰に手を当てて、牢屋をぐるりと見回した。
「ねえ、お向かいはどなた? 仲良く出来るかしら」
「向かい? ……ああ」
看守は振り返り、少女の向かいの牢へと目を向ける。
「王女サマも聞いたことあるでしょう? 十五年前の、アトナ村の殺人鬼……」
「ええ。確か……懲役五百五十九年だったかしら。彼が?」
少女は看守を見上げ、看守はその視線から顔を逸らす。
「ま、話しかけるのは自由です。こいつが応じるかはこいつの自由ですからね」
看守は足早に立ち去り、遠くで木戸が閉まる音がする。少女は長い瞬きをひとつ、また向かいの牢へと目を向けた。
そこには、少女と同じ年頃の少年がいる。
「……それでは、お話をしていただけます? ああ失礼、私、少し前までこの国の王女でしたの。名を、ハンナ・エーテルリースと申しますわ」
薄暗い廊下の向こう、冷たい鉄格子からずっと離れた奥の少年。少女、ハンナはその白い指を伸ばし、少年に手を差し出した。
「あなたのお名前は?」
細い手足は、白百合の花弁の如く白かった。あるいは真珠か、白磁か。身に纏うのは、それと対照的な真紅のワンピースだ。大きな双眸は琥珀色、腰まで伸びた癖のない髪は金。ハンナ・エーテルリースと名乗った少女は、その繊細な指先をこちらに向けた。
「あなたのお名前は?」
少年は口を閉じる。長い前髪の間から、その鮮やかな少女はこちらを見ている。
「アトナ村の事件は、勉強しましたわ。でも、どこでも犯人の名前は消されていたの。仲良くなるにはまず、名前を知らなくちゃ」
ハンナは再び名乗りを要求した。少年は視線を床へと落とす。
「囚人番号四百四十七番」
少年は、涼やかな声でそう告げた。そして寝台から立ち上がり、鉄格子に近付く。ハンナは少年を見上げ、口元を手で覆う。
少年の髪は雪のように白く、顔の左側は大きな火傷の痕があった。細い手足もハンナと同じか、或いはそれ以上に白い。顔の火傷痕を除けば、色づいているのは、紺色の双眸だけだ。
「若いのね」
「あなたも若いじゃないか」
「今年で十二になりましたわ。あなたは?」
「……あなたが思っているよりは若いよ」
にこっ、と少年は笑って見せた。
「仲良く、なんて無理しなくていいさ。話し相手にくらいなってあげるから」
少年は、木製の小さな椅子に座ってハンナを見上げる。
「革命だそうだね。大変だったろう。泣いたっていいんだよ」
「……泣きませんわ。民が望むように死ぬまでが、王族の務めですもの」
「ああ、そう」
椅子の上で器用に胡坐をかき、少年は頬杖をつく。
「可哀想に」
少年が告げた言葉に、ぎゅう、とハンナは心臓を掴まれたように感じた。
大勢の足音で、ハンナは目を覚ました。寝台で体を起こすと、向かいの牢の前に看守が集まっていた。通気口を見上げると、少しばかり日の光が差している。朝だろうか。
「フェオー。フェーオーンー。起きろー」
看守たちの隙間から、牢の中で少年がもぞもぞと起き出すのが見える。
「いい知らせだ。王様がいなくなったってんで、刑法が変わるんだとさ。お前がずぅっと見たいって言ってた星空が、見える身分になるかもしれねぇ」
「……ふぅん」
「何だよ辛気臭いな」
少年の指が、ハンナを指差した。看守たちはハンナを振り返り、はっとした顔になる。ハンナが首を捻ると、看守の一人が気まずそうに咳払いをした。
「まーとにかく。希望は出たんだ。喜んだらいい」
「はは。じゃあそうするよ」
看守たちが階段を上っていき、ハンナはそっと鉄格子に近付いた。それに気づいた少年は、笑みを浮かべながらハンナを振り返る。
「あなたは星空を見たことがあるかい?」
「……ええ、勿論」
少年は、低い天井を見上げて目を閉じる。
「俺は時々夢を見るんだ。ほんとうの夜空っていうのはどういう色だろう」
少年は、細い指を目元に当てた。
「みんな、俺の目は夜空の色だと言う。俺の肌と髪は星の色だと言う。けれど、他の誰でもない俺自身が、それがほんとうだと確かめるすべがない」
長い前髪の間から、少年の瞳がハンナを見る。
「俺がここにいる間、たくさんの囚人を見てきた。彼らは星空を知っている。青空というものだって知っている。時々、それがどうしようもなく、うらやましいんだ。ほんとうの星空っていうのは、どんなものなんだろう」
両手の指先を合わせ、少年は足を縮めて俯く。ハンナは開きかけた口を閉じ、ゆっくりと一つ、深呼吸をした。
「あなたは殺人鬼の息子なのでしょう」
そう告げると、少年は椅子の上で丸くなったままで頷く。その静かな肯定に、ハンナは目を伏せる。
「身重の女性が、村一つを焼けると思わないわ。……アトナ村の殺人鬼には、お父様が直々に求刑したとも聞いている」
「ああ、そうらしいね」
ならばこの少年は、生まれてから一度も、地上に出たことがないのか。
「俺は可哀想かい?」
「……ええ」
火傷痕に手を当てて、少年は苦笑いを漏らした。
「けれど、あなたは善い人間だと思うわ、フェオン」
少年は驚いたようにハンナを見る。ハンナは眉根を寄せ、
「それとも、こう言ったほうがいいかしら」
ハンナはスカートをつまみ、腰を下げてうやうやしく礼をした。
「お兄様」
お前のせいで、と金切り声で叫ぶ女が、母だったと知ったのは、火傷が痛まなくなったころだった。
看守の女から、自分の身の上を聞いた。フェオンという名前も、その看守に付けられたものだ。政治のことは分からないが、娼婦というものは看守からの知識で知っていたし、王族貴族の子供は色々と面倒が起こりやすいとも聞いていた。なるほど確かに、国王ならば自分をここに永劫閉じ込めることもできるだろう。ハンナが王女と名乗った時に、ああ自分は彼女の予備だったのだろうと、何の衝撃もなく受け入れられた。
「私が出来損ないだったら、あなたを出すつもりだったのでしょうね。お父様のやりそうなこと」
「……頭がいいんだね、あなたは」
「言ったでしょう? アトナ村の殺人鬼のことは、勉強しましたの」
だから、向かいがアトナ村の殺人鬼の、と言われたとき、ハンナは迷わずに声をかけた。
「そうだよ。俺は、多分、王の息子だ。……人から聞いただけだから、それを信じることしかできないけれど」
フェオンは、ゆっくりと一つ瞬きをして、顔を上げた。
「生かされるか殺されるか。自由なんて、一生、願ったって叶わないはずだったのに」
フェオンが見上げた先には、燦然と煌めく星空が広がっていた。
「……でも、良かったのかい? 生きるのって大変だろう」
「私が死刑になったら、同じ父上の息子のあなたまで死刑になってしまう。……厚意に甘えて、逃がしてもらいましょう。一緒に、遠くまで」
ぼろの服に着替え、ハンナは手を後ろで組んで笑った。荷馬車で待っている看守が、早くしろ、と二人を呼ぶ。
「王女らしくいることは私の自己満足ですもの。それに……ううん。何でもありません」
頬を掻いて、ハンナは眉根を寄せて笑った。
「大変でも、お兄様ほど世間知らずではありませんわ」
「ぐっ……」
フェオンは言葉に詰まる。ハンナは声を上げて笑い、フェオンとともに星空を見上げた。




