救世の主
その娘は、現人神と崇められていた。絵の中から出てきたような容姿をしていて、なまじ生まれつきの霊力も強かったので、必然のように大人達に奉られた。娘はいつも、花で埋め尽くされた祭壇の上にいた。花はいつも少女の霊力でみずみずしく咲き誇っていた。
「可哀想に」
祭壇の後ろには、ふすま一枚を隔てた座敷牢があった。木格子の向こうで、灰色の髪の男が少女を嗤う。
「ああ、可哀想に。神になんか生まれたばかりに」
男の左目の周りには、蛇のうろこのような黒い痣があった。
奉公先で折檻されると泣いてきた少年。いずれ天国に行けるでしょうと手を握った。
働けど生活が楽にならないと泣く男。いずれ天国に行けるでしょうと手を握った。
嫁が生意気で気に食わないと言う女。いずれ天国に行けるでしょうと手を握った。
姑にいびられると言う女。いずれ天国に行けるでしょうと手を握った。
老若男女、悩みがある人間はみな彼女にすがった。彼女が「お辛いでしょう」と言うだけで涙を流し、天国に導きますと言えば手を両手で取った。
「ああクサクサする」
ふすまと座敷牢の間に胡坐をかき、少女は頬杖をつく。
「私を哀れんでくれるのはあなたくらい」
「は。数えで十五の小娘が神だなんだと言われていれば、大人は哀れむものだ」
「じゃ、私の父上は大人じゃないのね」
少女は、絹糸のような髪をさらりと指先で流した。
清く、正しく、美しく。そうあれと望まれた姿そのままを保ってきた。細い手足に白い肌、髪の一本から足のつま先まで、丹念に、丹念に、毎日磨き上げて。
「ああ、もう……」
いやだ、と言いかけた口を、少女は自分でふさぐ。男はぽりぽりと左頬を掻いた。少女は牢の隙間から、細い左手を牢の中に入れる。
「吸って。溜まって溜まってしょうがない」
男は少女の左手に、自らの左手を重ねる。互いの指が手首をつかむと、少女の手首に淡い赤色の蛇の痣が浮かび上がる。それはうねりながら少女の手から男の手へと移った。ばきん、と板が割れるような音がして、男の左目周りにまた一枚、うろこの痣が増える。
「ああ、これで今日も神様でいられそう」
男は指先で、頬の痣をなぞった。瞬きをすると、左の瞼が痙攣する。
少女の父親が真っ青な顔で座敷牢にやってきたのは、その夜だった。
「汚らわしい俗物が! あの子に何をした!」
大あくびをしながら父親を見上げ、くい、と首を傾げる。
「血のにおいがするな」
「きっ……」
父親が、半狂乱になって牢を叩く。背後で、少女は顔を真っ赤にして俯いていた。
五分ほど経って、薄暗い室内でばちんと光が弾けた。ぱたりと静かになった父親が倒れ、少女は荒い息でその背を蹴り飛ばす。
「覚悟ができたか?」
「ええ、もういい。もういいわ」
男が牢の戸を蹴ると、南京錠が容易く千切れ、開いた戸が壁に跳ね返った。少女は牢から出た男に駆け寄り、ぎゅっとその服をつかむ。
「もう人間はうんざり。あなたと同じあやかしになりたい」
つぅ、と少女の足を血の雫が伝う。男はそれを見下ろし、少女の頭を軽くなでた。
「それは人間の娘であるあかしだ。大切にしろ」
着替えてこい、と少女を部屋から出し、男は父親を座敷牢に放り込んだ。
「……どれ」
男は、ぼさぼさの髪を掻き上げる。指で漉いた髪は、灰色から澄んだ白へと変わった。顔の痣はなお色濃く残っているが、目は金色に、ぼろの着流しはきちんと仕立てられた羽織に。
「神の真似事でもしてみるか」




