天災
世界観共有企画「#星を編む人々」より
「アレット・ドラクロワという人物をご存知ですか?」
門番にそう聞くと、露骨に嫌な顔をされた。青年の護符を時間をかけて検めて、門番は入国許可証を差し出した。
「何で訊くんです、そんなこと」
「方々で聞いているんです。探していて」
知っていそうな反応があったのは、この国が初めてだったが。
「それは、良くない名前です。詳しいことは、教会に行けば聞けるかと」
「ありがとうございます」
「しかしお兄さん……それは、旅でついたものですか?」
青年の顔には、大きな傷跡がある。顔の右目周りは皮膚の色が変わっていて、左右の頬骨を繋ぐように、横なぎの幅広い痕が残っている。
「いいや、昔の傷ですよ。でもこれのせいか、昔の記憶がなくて」
入国許可証にサインをしながら、青年は苦く笑った。
青年が目を覚ましたのは、十二年前だ。顔どころか体中傷だらけで、腕のいい遍歴医がいる商隊に拾われていなければ、半日ともたないような状態だったらしい。星読みの護符を得たのは二年前だ。目を覚ました時から今まで、ずっと頭の隅に残っている、アレット・ドラクロワという名前の持ち主を探している。
教会に青年が入ると、数人の修道女が掃除をしていた。背の低い一人が青年に気付いて、スカートをつまんで腰を落とした。
「星読み……旅人さんでしょうか。申し訳ありません。礼拝は今終わったところです」
「いや、礼拝ではなく。失礼ですが、アレット・ドラクロワという人物をご存知ですか?」
「……アレッ……ト……」
青年の顔をじっと見返して、その修道女は目を丸くした。両手で口を覆い、さっと奥の修道女達に視線を向ける。
「……その名は、この国では知らない人間はいません」
その修道女はヘレンと名乗った。教会の裏手に青年を案内したヘレンは、大きな南京錠のかかった扉を開く。円型の背の低い塔だ。内側はぐるりと本棚になっていて、一つの棚を残して、分厚い本がずらりと並んでいた。けれどその本は全て、背表紙までボロボロだった。
「ここは、アレットの根城です。彼は孤児でしたから。いつの間にか、ここに住みついていました」
ヘレンは懐かしむように目を細め、それから青年を振り返った。
「星読みさん、お名前は?」
「私ですか? 私は、レツェルと名乗っておりますが……すみません、昔の記憶はないんです。アレットというのは、過去の私に関係のある人物かと思って、探しているんですよ」
「……アレットは、正確に言うなら、アレット・ド・ラクロワと言います。ラクロワというのは、この国の王のこと。アレットは恐怖という古い言葉です。王の恐怖、と呼ばれていたので、本人もそう名乗るようになったんです」
ヘレンが、棚に近付く。そこには、紙束が一つと、木片のガラクタが置かれていた。
「アレットは十二年前、水害で姿を消しました」
紙束を持ち上げ、ヘレンはレツェルを振り返る。差し出された紙束の一番上には、黒い模様が描かれていた。文字のように一定の大きさだが、形は文字と似ても似つかない。
「悪い人だったのですか?」
紙束を受け取り、レツェルはヘレンを見下ろす。ヘレンは困ったように笑った。
「水害が来なければ、処刑されて死んでいました」
レツェルは紙束に視線を戻し、複雑な表情になった。
「私は、仕事に戻ります。どうぞご自由にご覧下さい」
ヘレンに礼を言い、レツェルは本棚にきっちりと収められた本を見回す。
「……ん?」
一冊を取って開くと、見覚えのある本だった。レツェルが星読みとして勉強していた際、師に薦められた一冊だ。
「これも……これもだ……」
背表紙が取れかかっているものも、泥のしみがついているものも。全て、星読みになるための専門書だ。
「……アレットは、星読みだった……?」
レツェルは、手元の紙束に視線を落とした。
頭が回る孤児。いつも薄汚れていて、本を担いで走っている姿が目立っていた少年。しょっちゅう食べ物をくすねていったコソ泥。金を貰って何かを盗む仕事をしていたとか。貴族と王に疎まれていたが、孤児の子供達には慕われていた。口は達者だが、とにかく生意気だった。いつの間にか孤児やゴロツキをまとめ上げて、ますます王が顔をしかめていた。
小さい国だ。孤児やゴロツキが徒党を組むだけで王は嫌なものだろう。
「はぁ……」
宿のベッドで、レツェルは息を吐いた。アレットという名前を出すだけで、ほとんどの国民が顔をしかめる。ここまで嫌われる人間もそういないのではないだろうか。
星でも見よう、とレツェルは杖で軽く床を二度突いた。杖の下端が三方に分かれ、天球儀の軸を手前へ半回転させれば、簡易な望遠鏡になる。調整を終えれば使える、星読み愛用の杖だ。乱暴に扱えないことと、水をいっぱいに入れたバケツのように重いことが難点だが。
昼間にかかっていた雲が晴れて、いい夜空だった。
「…………」
レツェルは首を横に振り、テーブルの紙束に手を伸ばした。ヘレンが持たせてくれた、アレットのものだ。
『アレットは字が読めませんでした。あの本は、アレットのそばにいつもいた、一番の友人が読み聞かせていたんです』
その友人がもしかすると、自分なのだろうか。
「……違うような気がする」
根拠もなくそう言って、レツェルはぱらぱらと紙束をめくる。表紙に書かれたものと似たような模様が、びっしりと書き込まれていた。字を読めなかったアレットが、自分のためにと作った文字だという。
「三の月十日、晴れ、風は南西……」
何気なくそう読んで、はっとレツェルは息を飲む。もしかすると、水害の前兆が記録されているのではないか。
「七の月五日、長雨が続く、十日目、風は南南東……!?」
レツェルは自分の旅荷物をひっくり返し、自らの日誌と見比べる。七の月。現在だ。風向きも雨の強さも、その雨が長く続いていたことも一致する。
アレットの日記は、長雨が続いたままで終わっていた。最後に一行、「俺に終わりが来たらしい」とだけ殴り書きされていた。
アレットは水害で行方不明に。ヘレンの言葉を思い出す。人が流されるほどの水害だ、不意に来れば無事では済まないだろう。
「……いや、確証がない」
レツェルは窓に駆け寄り、望遠鏡を覗き込んだ。空は良く晴れている。
だが、望遠鏡をあちこちへ向ける間、すぅっと横切った星に、目が留まった。肉眼で見るとそれは、夜空でひときわ強く輝く、紅の星だと分かる。
「紅い星……北の……紅い……」
ぞっ、とレツェルの背筋を悪寒が走った。あの星を、自分は知っている。
「凶星だ」
レツェルは手早く荷物をまとめると、宿の部屋を飛び出した。
夕食時の来客に、国王、ラクロワは不機嫌な顔で客間へ向かった。待っていた旅人はさっと立ち上がり、フードを降ろして礼をする。
「旅の星読み、レツェルと名乗っております」
護符を見せて身分を証明し、レツェルはラクロワが座る前に口を開いた。
「今すぐ、大通り沿いの、いえ、国の低い土地の国民を高台に避難させてください」
ラクロワは顔をしかめ、椅子に座る。レツェルにも座るように促し、両手を膝の間で組んだ。
「順を追って話しなさい」
「この国には星読みがいないのですか?」
「ずいぶん前に、最後の博士が死んでしまってね。旅の星読みを頼りにしている」
「……ここ最近、長雨が続いていたかと思います」
「ああ、確かに。だが秋の前は毎年降るんだよ。今年はまあ随分、長かったけれど」
「そして今夜は晴れですね」
「ああ、いい星の夜だ」
「……十二年前と同じでは?」
レツェルが告げると、ラクロワの顔色が変わった。目つきが鋭くなり、膝の上でこぶしが握られる。
「恐らく、ここの地形は」
「奴の呪いか?」
吐き捨てるように、ラクロワが言う。「えっ?」とレツェルは顔を上げた。
「アレット。十二年前、水害はあいつの処刑当日に襲ってきた。……十二というのは我が国で暦がひとめぐりする年月だ。忘れるなとでも言うつもりか」
「……ええと」
レツェルは困ったように言葉を探す。
「ああ、今はそれでいいです。なので、とにかく全員避難をしてください」
「分かった。明日の朝にも」
「今すぐです!」
立ち上がって国王を追い立て、レツェルは声を荒げた。
松明の明かりを頼りに、国民は高台へと走って行く。孤児の少女を抱きかかえ、ヘレンもその中に混じっていた。山間のこの国は、中心の大通りに近いほど低い土地になっている。憲兵隊に導かれながら、ほとんどの国民は着の身着のままで飛び出していた。
「星読みさん!」
見知った杖を見かけ、ヘレンはそちらに声を投げる。振り返ったレツェルは、ヘレンを見て安堵の息を吐いた。
「よかった、無事に避難されたのですね」
「ええ、憲兵さんが急に……あの、もしかして」
「星読み殿! 星読み殿、こちらへ!」
馬を駆る憲兵が、レツェルの隣に駆け寄る。
「どうしました?」
「陛下が避難されないのです。どうか説得していただけませんか。星読み殿の言葉であれば、あるいは……」
レツェルの顔が引きつる。
どぉん、と遠くで大きな音がした。夜の闇の中、皆の視線が音を振り返る。
「あの音は?」
「川が溢れたんだ……ヘレン、これを」
レツェルは、杖をヘレンに押し付ける。ヘレンが戸惑った顔のまま受け取ると、レツェルは憲兵の馬にまたがった。
「王はすぐに連れてくる!」
レツェルが馬の腹を蹴る。あっという間に街へと駆け戻っていく背に、ヘレンが叫んだ。
「アレット!」
凶星とは、災害の前触れだ。季節が一年で巡るように、星や気候にも巡りはある。災害があった年に見えた星を記録しておけば、それが見えれば災害が来る、と予想ができる。そうして、数百年単位での星の地図を作るのが、星読みの仕事だ。
アレットの手記には、数年分の気候と星の記録が残されていた。水害が起きた年は、雨がそれまでの二倍降っている。そして、北の空に見えた星に、レツェルは見覚えがあった。
「国王!」
ラクロワは城壁の上にいた。その視線はまっすぐに、向かってくる水を睨みつけている。
「星読み殿、避難しなさい。私は王として、奴の呪いを受け止める義務がある」
「天災が呪いであってたまるか!」
レツェルは怒鳴り、ラクロワの隣に立ってその襟首を掴む。
「あれはただの水だ。ただの災害だ! 呪いで自然が動かせるわけがないだろうが!」
「しかし……」
レツェルは鋭く舌打ちをする。辺境で、星読みもいないような場所だ。ましてアレットの処刑と同時に水害が襲ってきたのならば、呪いだと思っても仕方がないかもしれない。
だが。
「ありえねぇんだよ」
フードを降ろし、レツェルはラクロワの顔を引き寄せる。
「アレットの呪いなんて、ありえねぇんだよ! 俺が、アレットなんだからな!」
そう怒鳴った自分の声が、まるで他人の物のように聞こえた。ただ、突然抵抗しなくなったラクロワを引き摺って、馬に乗って走り出す瞬間は、体が異様に軽かった。
* * *
「治水工事の専門家を呼んだ方が早いと思います」
目の前で堂々巡りをしている会議に、頬杖をついたままでレツェルは言葉を投げ込んだ。
「私はここに定住するつもりはありませんし。星読みも、十二年に一度の水害が、十二年に一度なのだと確信するには、十二年星を見続けなければいけません。私はたまたま、これがありましたけど」
レツェルはひらひらと、アレットの手記を見せる。国の大臣たちは、急ごしらえの議場の天井を仰いで苦い顔をした。
「定住してくれないのか」
「……覚えていませんけど。覚えてませんけど、私がアレットだったんでしょう? やーですよ、こんな嫌な噂だらけの国」
ラクロワに不遜な態度で言い返し、レツェルは腰を浮かせた。
「そういうことなので。私は失礼しますね」
引き留める声も聞かず、レツェルは議場を後にする。城門に向かうレツェルに、ヘレンが駆け寄った。
「アレット、出立するの?」
「……あんたも人が悪い。最初から気付いてたんでしょう。俺がアレットだって」
「だって、言ったって信じなかったでしょう。そういう性格だもの」
「あーあー、よくご存知で。でも、中途に思わせぶりなこと言わないでほしかった」
レツェルはヘレンの額を指ではじく。額を撫で、ヘレンは唇を尖らせた。
「ここに住んでよ、アレット」
「嫌だ」
「……お願い」
「……かわいこぶっても……嫌だ」
「じゃあ、ここに帰ってきて」
ヘレンはレツェルの手を取り、両手で握った。
「十二年分、伝えたいことがたくさんあるんだからね」
「……ああ、もう」
額に手をやり、レツェルは傷跡を指先で撫でる。知らないはずの彼女の顔が、いやに懐かしく見えた。
「……『一番の友人』じゃ」
フードをつかんで、俯きがちになりながらレツェルは言う。
これは、自分の気持ちだろうか。それとも、寝て起きたら忘れてしまった、アレットの記憶だろうか?
「友人じゃなくなるんなら、帰ってきても、いい」
ヘレンは目を瞬かせ、フードの中を覗き込む。
「それってもしかしてプロポーズ?」




