配達人
『我が思うに、あれは魔物の類だろうな』と、通学路にて、魔導書は言う。
僕は歩きながら読んでいる風を装っていた。この本が、顔を合わせないと話している気がしない等と、電話を苦手とするご老人のような事を唱えた故である。
「魔物?」
『「魔」の取り付いた「物」、この国では「付喪神」とも言うようだ』
「付喪神は僕も知っている。人が使って百年経つと、物に魂が宿る」
しかしあの水差しは、買ってから二年といった所だ。たった二年であんなに強情に育つ物なのだろうか。
『それは正しい側面もあり、同時に間違ってもいる。特に百年と云うような基準はない』
曰く、人は誰しも微小なれど魔力を備えているらしい。それが日用品に蓄積すると「魔」が取り付いた「物」、魔物となると魔導書は言う。
『貴殿の豊潤な魔力が蓄積を早めたのであろう。あの部屋は異界とも言えるほど魔力が充満している』
そこで日々を暮らす僕は一切の違和感がないのであるが。
横断歩道の信号が赤を示す。点字ブロックの前で静止。
『貴殿は我の存在にもさして驚かなかったな』
「そうかい? まあ喋る本も強情な水差しも、少し個性的だとは思うけれど」
『少々常識がズレているように見受けられる。我やあのような物は、一般的には超常現象の類であろう』
「随分と大袈裟な」
魔導書はバサバサと抗議した。僕が本で遊ぶ変人に見えるから止めて欲しい。
『あんな物、凡そ貴殿の部屋の中でしか起こらんのだ』
「そうでもないと思うけれど」
青になったので渡り始める。
僕は不意な横からの衝撃に突き飛ばされた。ガシャンと何かが倒れる音。
慌てて起き上がる。僕の体に特に負傷は無かった。ややぶつかった箇所が痛む程度である。
近くに配達用の自転車が倒れていて、キャリキャリと車輪が空転している。
「ああ、遺書が、遺書が」
時代違いの制服を着た幅広の男が、散らばった紙を両手で掻き集めていた。慌てた様子であったので、僕は「手伝います」と、彼と同様に拾い集める。
「助かります、助かります、ごめんなさい」
巨躰の癖に、随分と腰の低い男であった。つばのある帽子を深く被っていて、その上地面を見つめているので顔が隠れていた。
箱を紐で結びつけた自転車と云い、どうも郵便の者である。
だが僕が拾い集め、手に持つ手紙には宛先も送り主も無い。切手もない。封筒だったり折り畳まれた紙だったりと、様式は一様で無かった。
共通している事といえば、殆どの表に「遺書」と書かれている事くらいである。
一分ほどかけ全てを拾い集め、配達員に渡す。「ありがとうございます」と受け取る彼の顔は、ツルンとしてして何もなかった。
目も鼻も口もない、青白い皮膚のみが頭蓋を覆っている。
「ええ、ええ。怪我はありませんか?」
仕切りに僕の無事を確認するので、大丈夫だと頷いた。
軽い事故であるが、態々大事にするのも宜しくない。配達員であるなら、仕事が遅れるのは痛手である。
だが箱に詰まった数十通の遺書を見ていると、のっぺらぼうな配達員の職種が気になった。
何れにせよただの郵便ではあるまい。
「遺書を届けるのですか? 誰に」
「ええ、本人にです」
「本人? 遺書を書いた本人に? 遺書を書いたなら、その人はもう死んでいるでしょう」
「私は時の坂道を下りますので。ええ、上司には十年ほどと命じられております。此度は坂道の中途、余所見をしてしまっていたのです。すみません、すみません」
余りそう頭を振ると、帽子が落ちないか心配である。
過度な謝罪にそぐわない平坦な話の調子が少し気になる。洞穴の奥から聞こえているような、ボヤけた声。
「なぜ遺書を過去の本人に配るのです?」
「さあ、私は存じ上げません。ただ上司が『やれ』と言いますので。問にお答えできず、申し訳ありません。すみません、すみません」
また仕切りに頭を下げだしたので、僕は問答をやめて彼を見送る事にした。
のっぺらぼうで巨躰な遺書配達人は、また時の坂道とやらを下って路地に消えたのであった。
そうだ、本のことを忘れていた。ぶつかった拍子に落としたのである。
辺りを探せば、魔導書の奴はアスファルトの窪みにできた水溜りに浸かっていた。これはまずい、と急いで本を救出する。
『全く、有り得ないぞ聖太郎。危うく保険が下りる所であった』
「保険。」
もしかして捨て置けば、金が手に入ったのかと危うい思考をした。
「……ところで先刻の配達人、顔がなかったのだけど、最近は色々と個性が豊かだね」
『それも異常の類であるぞ聖太郎』
「あれも魔物とやらかい?」
『いや、少し異なるようだが』
それから本は何かを考えるように唸り、黙ってしまう。
「まあ、世界とはこんなものだよ。僕の部屋には限らない」
『そうじゃない、そうじゃない』
仕切りに魔導書は否定する。配達人の口癖が移ったのであろうか。
自転車に乗った若者が道の反対をすれ違う。水溜りに映った我々の鏡像は、薄い車輪でバシャリと割れた。
教室の窓際、日差しに照らされる木製の机が、僕の座る席である。
矢鱈と話したがる魔導書を机の中に仕舞い、始業の鐘と担任教師を肘をついて待つ。
早朝練習から駆けて帰る運動部の諸氏をガラス窓から眺めていると、不意に僕の肩が叩かれた。
「ねぇ、ちょっといい?」
振返れば、声の主は我が級友たる国河かがみであった。僕は彼女をかがみ嬢と呼称している。
「何かい」
「これなんだけど……」
そう言って周囲の視線を気にしつつ取り出したのは、一枚の封筒であった。表に遺書と書かれている。
「今朝下駄箱に入ってて、悪戯にしては怖いから」
「なるほど」
何故僕にそれを相談しに来るのかは分からないが、偶さかに僕は真相を知っていた。
遺書という字面に全く見合わぬ、花柄の封筒。拾い集めた際、そのちぐはぐさ故覚えていたのだ。
目の前にあるのはまさに今朝のそれである。
「多分悪戯じゃないよ」
「そ、そうなんだ……それはそれで怖いんだけど。誰のかな」
「未来の君の遺書だ」
「私の……? なんで?」
それは配達人の上司とやらのみが知るところである。
かがみ嬢は躊躇している様子であった。確かに自らの遺書を読むのは怖いだろう。とはいえあのように上司の命で遺書を運ぶ配達人がいる以上、意味のない物とも思えない。
その意味のために開けるのか、未来を知りたくないと捨てるのか。結局の所、開けるかどうかはかがみ嬢次第なのである。
「捨てるべき? それとも読むべきかな」
「好きにすればいい」
かがみ嬢は頬を膨らませて僕を睨む。しかし彼女の可愛らしい顔の造形は、多少歪んだ所で威嚇にはならないのである。やや人間という動物の欠点を疑う。
随分と逡巡した後、かがみ嬢は意を決した様に封を開け、中身を広げた。
僕から見えぬよう黙々と読む。
紙は封筒と同じ風の、花柄であった。何らかのマナーに抵触しそうな程華やかである。本人が本人に不謹慎。
かがみ嬢の表情は然程深刻そうでもない。柄の割に重い内容という事でもない様だ。
はて、この遺書は誰に向けて書いた物なのか。家族に遺した物を配達人が分取ったのか、或いは未来では過去の自分に遺書を送るのが流行りなのか。
そんな今更な疑問を抱く僕である。
かがみ嬢がちらちらと僕を見ていることに気づいた。遺書本文たる蛇腹折の紙から、半分だけ顔を覗かせている。
……少し頬が赤いか?
「何か、僕の顔についているのかい?」
「な、何でもない……」
消え入りそうな声でそう言うなり、かがみ嬢は遺書を仕舞って逃げるように自らの席へと戻った。
詳細を聞き出したい所存であったが、始業の鐘が鳴り、教師が出欠を数えるのであった。