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雁渕静香

          *



 十二月。師走の中州。最近、中央通にギターの人がいる。何か知らんけどなかなか上手かっちゃんね。どうも尾崎の歌ばっかい唄いよるごたるけど、私はお店の仕事の間にその人を見るのが好き。あ、お店っていうとは博多ナンバーワンのクラブでNOA。ウチはそこで「ミズキ」って名前で働きよるとけどね。


 ギターの男の子はナオミ君て名前で、長埼から来とるらしか。看板に書いてあった。ウチはその日もお客さんの煙草の買い出しで寒か街に出たとけど。つい目が合って立ち止まってしまった。


 ――「お兄さん、お客さん連れて来たら唄うてくれる?」


 コートをバタバタしながら訊いてみると、


 ――「ええ、いいですよ」


 東京の人のごたる喋り方で答えてくれた。ナオミ君と初めて交わした言葉はそいだけやった。それがまさかウチの店で唄ってくれるようになるとは、そん時には思わんかった。一回だけお店上りの時間に沢田千可子の『会いたい』ばリクエストした。なかなかよかった。


 年が明けて一月。VIPルームのお客さんと話しとる時に、そのナオミ君の話になった。音楽好きのお客さんで、いつも副社長――お店での肩書は支配人と長話する人やったばってん、ウチのこと指名してくれるよかお客さん。


 そのお客さんば見送った時、副社長がウチに言うてきた。


 ――「ミズキ。さっきのミュージシャンはどこにいるんだ」


 折しもナオミ君はライブチケットの売れ行きに困っとったごたるけん、この際、副社長でもいいかと思って案内した。冷たい風の強か日やった。


 NOAの左手に曲がって歩くと、今日もナオミ君は黒いコートでギターを構えて立っとった。この寒か中にようやるねと思うたけど、それが彼の仕事らしかし。


 ――「ナオミ君。お客さんるれて来たけん唄うて!」


 ミズキが行くと、彼はちょっと固まった挙句、副社長にせがまれてオリジナルのバラードを唄い出した。真冬のバラードというのはなんか裏寂しくて背筋が凍るけど、どうやら副社長は気に入ったらしかった。だって、三千五百円するライブチケットば四十枚も買うたけんね。それにはウチもびっくりして、しばらく黙ったね。もちろんナオミ君もビックリしとった。



 あれよあれよと一月が過ぎて行く中で、珍しくヘルプに呼ばれた。なんでも十五人の団体らしか。仕方なかな、と思って友達とカラオケの約束はキャンセルして、お店に向かった。いつものナオミ君の横を通ったら、珍しく可愛い女の子が歌ば聴きよった。ナオミ君のお客さんはどうもオジさんが多い。


 団体を捌きつつ、またしても煙草の買い出しに出る。煙草のストックはあるにはあるけど、どうしてか皆、変わった煙草ば吸いたがる。まあ、ミズキはそのついでにナオミ君に声かけていく。


 ――「ナオミ君、おつー!」


 すると彼が、


 ――「あれ、シフト変わったの?」


 ――「急に団体入ってヘルプ」


 ナオミ君の隣りでは厳しい目つきの女の子が立っている。これは彼女決定だ。


 ――「そういう訳でライブ、ミズキも行くけんね」


 それだけ言い残してお店に戻った。ナオミ君は知っとるやろうか。彼のお蔭でここしばらく、中州が楽しい街にもどりつつあることを。肩がぶつかればすぐに喧嘩になっとった街に、彼の歌は優しさを落としとる。



 一月の給料日あと――。


 急に岡崎副社長がミズキを呼んだ。


 ――「こないだの彼、連れて来てくれないか」


 よほどナオミ君を気に入ったのかと、ウチは外へ出ていつもの場所へ向かった。ナオミ君は店仕舞いのところだったみたいで、話を伝えると来てくれるという。ウチの店にノーネクタイで入るのは多分彼が初めてだ。


 それから彼はVIPルームで副社長と話をして、一曲唄った。何やらギターの話ばしとったけれどウチには分からんかった。ただ、副社長が自然に笑うのを久しぶりに見た。それはよほど気心の知れたお客さんにしか見せん顔やった。


 それからまた一カ月が経った。


 三月三日のライブには副社長のお達しで、お店総出で会場に行った。皆して私服はケバケバで、お里が知れるって感じやった。私は仲のよかジュンちゃんと相談して、甘めの黒のフリルスカートで白のブラウスで向かった。


 初めてのライブハウスはなかなかの盛況で、最初にドリンク頼んだらあとは行けんくらい。


 始まったライブはナオミ君じゃなくてロックンロールバンドやった。ふーん、って聴くには音が大き過ぎて、あのクソ真面目な副社長が真面目に聴いとるかは謎やった。


 と、五曲くらい終わったところにナオミ君が呼ばれた。緊張しとるとかコードでつまづいとった。


 けど、そこはさすがプロで、演奏が始まってナオミ君はハーモニカを吹き始めた。ハーモニカなんて子供が吹くおもちゃだとばかり思うとったウチはビックリしとった。つまり、カッコよかった。


 バンドが終わると今度は可愛らしか女の子の出番で、いつかナオミ君と一緒におった子やった。それが何か知らんけどステージで正座してギターを構えた。最初は周りのお客さんもクスクス笑っとったけど、歌が始まると少しざわつき始めた。素人のウチでも分かるレベルのミスやった。ギターも歌もマイクが入っとらんちゃん。それでも彼女は取り澄まして唄いよらす。こりゃ大変たいね、と思っとるところにいきなりマイクが入った。そしたらその声はいきなりホール中に響き渡った。最初の一番はわざと生音にしとったってことがそこで分かった。


 女の子の歌はそれで終わらず、民謡のごたる不思議な声で次々に続いていった。気がついたら隣のジュンちゃんがハンカチ出して泣きよった。ウチにもその気持ちは分かった。なんていうか、初めて聴くとに懐かしか歌やった。


 拍手の中で、なんていうか唖然としてそのステージが終わったら、もうナオミ君の出番やった。彼はストリートと違うバンドを引き連れて唄い出した。そのカッコよさは言葉に出来んくらいで、今度からは気安く「ナオミ君」とか呼べんごとなった。

 ナオミ君の初ライブは大盛況で、会場を出て行く人たちも楽しそうな顔ばしとった。その中に、観客の流れと逆に歩いて行く背中が見えた。岡崎副社長と、赤いドレスの知らない女の子やった。



 それからNOAでは色々あった。


 まずは副社長が結婚してNOAを離れた。


 それからナオミ君と日向那由多さんが月曜のステージで唄うようになった。それは毎回楽しみで、ナオミ付きのウチとしてはつまらん接客もせんでよくて二度お得やった。


 六月のオフに歩いてる時、中央通にナオミ君が見えた。ていうか分かっとって通ったとやけどね。


 ――「おはよう。もう終わり?」


 て言うと、ナオミ君はスッピンのウチに気付かんかったごたって、目をパチパチした。


 ――「でさ、プールバーに行ってみたくて」


 ナオミ君には日向さんっていう可愛い彼女がおる。だけん玉砕覚悟で誘ったら、


 ――「いいよ、一時間ぐらい」


 なんとOKが出た。


 それから中州会館のビルに行ってふたりで玉突きした。ナオミ君はさり気なく上手で、長崎の友達とビリヤードしよったらしい。けど、下手くそなウチにつき合うてわざと失敗してくれとった。こげん優しか彼氏のおればなあって、急に寂しゅうなった。


 けど、楽しい時間はそれで終わりやった。勢いでウチの部屋に誘うてみたけど、何か彼女さんが大変らしくて断られた。ウチとしては精一杯の誘いやったけん、軽く凹んだ。ただ、それがナオミ君と遊んだ最後の思い出。それからはNOAの専属ミュージシャンていう肩書で、しかもそれはお客さんとのトラブルであっという間に終わった。それは切なくて悲しい出来事で、思えば傷ついたとはウチの小さな恋心やったかも知れん。


          *


「専属! 今夜は九時からのステージ一本入ってます!」


 バックヤードへ向かうと、ナオミ君が煙草を吹かしていた。もう今では気軽に「ナオミ君」とは呼べない。CLUBライオネスの専属ミュージシャンなのだ。CDデビューした彼を、スタッフの誰もが「専属」と呼んでいる。


「ああ。いつものセッティングで頼むよ」


「はい!」


 二十九歳の私はいま、東京六本木にいる。ナオミ君が副社長の作った芸能会社に入ったのが六年前。私もそれを追うように東京へ向かった――というのは冗談で、支配人の勝沼さんが東京へ行くのと入れ替わりで入ったドアマンの上水流君という男の子に告られたのが発端だ。六本木の支店で急に人出が足りなくなり、NOAやAQUAで働いていた女の子を寮つきで招いたのだ。私に熱を上げていた上水流君は一緒に東京へ行くと言い張り、それを副社長が認めてくれたのだ。


 ――「ミズキさんと仕事したいんです!」


 それは彼が副社長に直談判した言葉だった。それを私のそばで言うものだから、もう泣き笑いしかなかった。私よりも四つも若い十代の彼がそれを言ったのだから。


 決して甘い世界でもないし、若さの衰えと共に引退の二字が待っている過酷な世界ではあるけれど、私には他に能もない。お客さんにお酒を作って、話を聞いて、そして時にはナオミ君の歌が聴ける。これ以上の待遇はなかなかないと思うのだった。


 毎日は穏やかに過ぎてゆく。


 表向きは華やかなこの世界で。


 けれどそれを地味にこなすのが私には向いている。


 と、新年明けの月曜の空いた店内を勝沼さんが慌ただしく動き始める。ドアの方から専属ミュージシャンのナオミ君がやって来るのが見える。その隣で白いコートを脱いだシルエットを私は知っている。たとえばそれは親戚のオジさんを知っている、というのとは違って、たとえばそう、聖子ちゃんや明菜ちゃんを知っている、というのと近い感覚だ。杉内直己と日向那由多がやって来るこのライオネスという店に、またひとつ胸を張れる自信が持てるのだった。


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