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甘納豆さん

          *



 ああ、いまだにこんな唄い手がいるんだ。午後のラジオを聴きながらそう思った。


 共に音楽好きでつき合っていたけれど、主人は洋楽、私は邦楽派でいつも言い争いばかりしていた。それでも結婚してからはそういう趣味の類で言い合うことはなくなっていた。


 私たちは不妊カップルだ。


 その理由は今のところ不確かだ。


 結婚して六年。彼の両親は遠回しに孫の催促をしてくる。夜の営みがない訳じゃない。けれど子供ができないというのが目下の悩みだ。


 専業主婦の私には何かと家の細々とした仕事が多いのだけれど、その間にも楽しめるラジオは毎日の必需品だった。テレビだと見はまってしまうし、その点ラジオは気楽に流していられる。


 夏の名残が色濃い、秋口のよく晴れた洗濯日和だった。


 いつも流しているラジオから殿村梨花さんの元気な声が聴こえる。お昼は昨日の残りとそうめんでいいか、と準備をしている耳に、レコードっぽくないギターのメロディーが耳に飛び込んできた。そういえば昨日からゲストウィークで中州のストリートミュージシャンを特集すると聞いていた。


 そうめんを茹でる私の耳に、どこか懐かしい、けれど若さに満ちた声が届く。覚えやすいメロディーで、若い頃によく通ったライブハウスの雰囲気が満ちていた。スギウチナオミ、という名前を覚えたのはその時だった。



 今日も私は朝からバタバタだ。主人を送り、ゴミを出し、洗い物を片づけると九時になっていた。洗濯機を回しつつ掃除機をかけると、唯一の楽しみであるラジオも聴こえなくなってしまう。いつか勝手に掃除をしてくれるロボットが発明されたら、私は真っ先にそれを購入しよう。


 自分の昼食より夕食に頭を悩ませながらスーパーで合いびき肉を買う。面倒だけど今夜はハンバーグだ。主人は子供口で、カレーにスパゲティーミートソースにハンバーグが大好きという、身体の大きな子供だ。


 そんな訳でまたもや昼をそうめんで過ごして、キッチンで玉ねぎを刻みながらラジオを聴いていた。そこへ――。


 ――『ウンパカパー! 本日は先々週に続いてゲストが! 自己紹介お願いします!』


 ――『皆さんこんにちは。あなたの心のスナフキン・杉内直己です』


 ああ、この間の彼か、と私は玉ねぎを刻む。何でも、リスナーのリクエストで弾き語りをするらしい。ちょっと気になる企画だった。


 私は玉ねぎを刻み終えて、しばし手を休める。緑茶を入れ、大好きな甘納豆をつまみ、ラジオに耳をそばだてていた。


 いつものお便りとリクエストが終わったあと、彼のコーナーが始まった。軽快な歌声が響き、やっぱり私はこの人の声が好きなのだな、と思っていると、殿村さんは一通のお便りを読み始めた。彼が唄うストリートへは行けないからラジオでリクエストを、という話だった。


 ――『ということで杉内さん、準備は?』


 ――『はい。ペンネーム、しゃかりきコロンブスさんからのリクエストで「想い出がいっぱい」』


 柔らかなギターの音色は私の心を数年過去に飛ばす。彼の歌声が響き始めると、まるですぐそこで唄ってもらっている気分になる。音楽というのはすごいものだ。セピア色だった記憶が鮮やかによみがえる。主人に心から恋焦がれていた頃の記憶だ。


 CMに入り、そこでようやくため息を吐くと、私はまたキッチンへ戻り、玉ねぎを炒め始める。



 ハンバーグでご機嫌の主人は晩酌のビールを二本空け、テレビのチャンネルを回している。と、そこへ不意に、彼の声が落ちた。


 ――「来週、お袋が来るそうだ」


 正直なところ、義母は苦手だ。何の用だか分からないけれど、ふた言目には子供の話になるからだ。直接には聞いていないけれども、義母は私のことを「ポンコツの嫁」と呼んでいるらしい。それは義姉から聞いた話だ。私は子供を産まないのではない、産めないのだという認識の下に言い捨てられた言葉だった。その重責はいつになっても慣れない。


 それでも返事は限られていて、


 ――「お茶菓子、何がいいかしら」


 そんな話題へとすり替えて、話を終える。


 午後十一時のベッドで身体を横たえていると、彼がリビングから戸を開けてやって来る。ああ、今夜はそういう日なんだな、と私は軽く身構える。分かるのだ。彼が私の身体を求める日というのが。


 ベッドへと潜り込んだ彼が、何の前触れもなしに私の乳房をつかむ。たったそれだけのことがもうプレッシャーなのだ。また欲望を満たすだけの無意味なセックスが始まるのかと。


 私は彼の愛撫に身を任せる。彼の好みに合わせたネグリジェは裾から持ち上げられ、下半身を晒す。セックスが嫌いな訳ではない、彼の激しさが嫌いな訳でもない。ただひとつ、またこの行為が徒労に終わるのかという諦観のもと、私は人形になってしまうのだった。積極的行為もなく、喘ぎのひとつもなく、ただただ彼が果てるまで、べっとりとした汗を絡め合うだけだった。


 行為のあと、彼は必ずベッドサイドで煙草を吹かす。そこには微かに、


 ――俺は責任を果たしている


 という、保身的な何かが見え隠れするのだった。



 杉内直己さんはオジャマジャ天国のレギュラーになったようで、毎週木曜日は私の楽しみになった。もちろんラジオは毎日聴いているしリクエストも書いている。彼の出番が来ると、私はラジオの前に齧りついた。


 今日のリクエストハガキは杏里の『オリビアを聴きながら』だった。こちらの心のツボをいちいち押さえてゆく、罪作りな人だ。


 そんな翌日、なかなか帰らない主人から電話が入った。


 ――『今日はちょっと宗像の方で会合があるけん。明日の昼に帰る』


 今夜の献立を作り終えていた私は気が抜けてテーブルの椅子にへたり込んだけれど、こうも思った。金曜日だし、もしかしたら今夜はいるかもと。もちろん杉内直己さんのことだ。


時計を見ると十時。動けない時間ではない。中州へは電車で二十分だ。胸の奥がドキドキと高鳴り始めた。


 小さなバッグだけを持って辿り着いた中州は、週末の人出でいっぱいだった。この街へ来るのはまだ会社員だった頃の忘年会以来で、女ひとりで歩くにはかなりハードルの高い場所だ。


 中洲川端の出口から、うろ覚えの中央通へと歩き始める。夜の住人は闊達に言葉を交わし、それぞれに歩いてゆく。白いドレスのお姉さんが駆けてゆく。


 やっぱり来たのは間違いだったかと、バッグを胸に抱きしめて怯えながら歩いていたところに、その声は聴こえてきた。夜の街を彩るような、少し擦れた通る声。彼だ、と直感的に思った。


 けれど私はそれからしばらく決心がつかず、思い立って目の前へ向かったのはもう十一時のことだった。


 彼は一息ついて一服しているとことだった。


 ――「あの、杉内さんですか……」


 畏まって訊ねた私に、


 ――「はい。あなたの心のスナフキン、杉内直己です」


 彼は涼やかな笑顔を見せた。


 ――「よかったあ。こんな街、普段は来ないんで」


 ホッとすると共に、思わず握手をせがんでしまった。二十一歳と訊いていた通り若々しく、それがあの昭和歌謡のラインナップを唄っているのだというギャップが不思議でもあった。


「リクエスト、あります?」


「いいんですか? 私、松山千春好きなんです」


 二十歳の娘に戻った気分で伝えると、彼は『恋』を選んで唄ってくれた。しかもハーモニカの音色と共に。私の心はあの頃にタイムスリップする。たったひとつの恋で一日中胸を満たし、学校からの道を遠回りして帰っていたその頃へと。


 ――「すごいです! よかったです!」


 気がつけば目の端が滲んでいた私に、ふと現れたオジさんが、


 ――「なんねお姉ちゃん、泣いてから。有名か人?」


 興奮気味の私は、


「すごいんです。何でも弾けるんです。ラジオにも出てるんですよ」


 オジさんへそう伝えた。するとオジさんは『二十二歳の別れ』をリクエストする。そして彼は当然の顔で唄い終えた。


 ――「よかったよ。代金はここでよかね」


 そう言ってギターケースへ千円札を置いた。そうだった、彼はこれを仕事にしているのだった。慌てて財布を出すと終電間近だ。


「またラジオ聴きます! 頑張ってください!」


 川端の駅へ向かいながらまた胸が高鳴っているのに気づいた。照れ臭く、どこか懐かしい気持ちだった。



 半年が経った。微熱が数日続いて身体がだるかった三月のある日のこと、いつもあきらめきれず買っていた妊娠検査薬を何気なく試すと、驚くことに陽性の反応が出た。魔が差したような気分だった。結婚から実に六年半の歳月が流れていた。


 そういえば前月の生理は出血が少なかったと思えば急に膝から下に力が入らなくなり、リビングで座り込んでしまった。ただ、今でもよく覚えているのがその時にラジオから流れていた声で、あの杉内直己さんが博多でのラストライブを開催して、遠くへ旅立つということだった。狂喜しそうなニュースと切ない報せが同時に襲った。


 その晩、主人にはまだそのことを話さなかった。病院で確かめるまではガッカリさせたくなかったからだ。いつもの夕食を終え、悶々としたまま眠りに就いた。


 翌日は主人を送り出し、朝一で産婦人科へと向かった。お腹の大きな患者さんが目立つ待合室で小さくなりながら順番が来るのを待ち、受診室へと向かった。何もかも初めての緊張感の中、診断結果は五週目と告げられた。義母にポンコツ呼ばわりされていた私の身体に、ついに子供が宿ったのだ。思わず涙を落とす私に、先生は「おめでとうございます」と世間話のように言った。


 狂喜したのは帰宅した主人も同じことで、


 ――「早くお袋に電話入れなきゃ」


 焦ったように繰り返していた。彼にとってもまた、子のできない妻というのは家に対して申し訳が立たなかったのだろう。その温度差はあったにしても、久しぶりに夫婦共通の話題で笑顔を交わした。そしてまた泣いた。


 つわりはそれほどひどい方ではなく、私は翌日からも明るい顔で家事をこなしていた。何かしらのやる気に満ちていた。昼になれば殿村さんのオジャマジャ天国を聞きながら昼食を取り、そして買い物へ行き、夕食を準備した。


 杉内さんのラストライブは二十五日ということだ。まだお腹も大きくないし、参加するなら今回しかない。主人には出産前の最後のわがままとして、遠出を許してもらおう。何度もストリートに足を運んだ杉内さんが博多を、そしてラジオを離れるのは寂しいけれど、彼の旅立ちを祝福してあげたい気持ちでいっぱいだった。


 それから二年。母の実家へ息子を連れて行った帰り、懐かしい中洲川端で降りてみたのは虫の知らせだったかも知れない。そこに聴こえてきた歌声に、私は吸い寄せられるように向かっていた。いつも落ち着きのない息子の駿介がじっと耳をそばだてているようだった。

 私は子供を抱いて、あの場所を目指す――。

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