田口由美子
*
杉内さんが旅に発ったというその夜、那由多さんはギターを抱えてお店に現れた。ウチは『がんにゃ』という普通の庶民的な居酒屋で、那由多さんのような芸能人が来る場所じゃないのに。
――「お母さん。那由多さん来てくれたとやけん、少しよかもん出してよね」
お母さんに言うものの、ハイハイ、とすまされてしまった。どうせ出るのはもつ煮だ。
私はこの春から大学で、授業もあるしあまりお母さんの手伝いはできなくなる。だからこうやって那由多さんが来てくれる時は少しでも会っておきたいのだ。彼女は私の中で史上最高のアイドルであり、アーティストだった。その歌はどれも幼い私の胸に染み込み、まだ知らない初恋の痛みまで教えてくれた。人に恋することが、いつでもいいことばかりではないのだと、それを教えてくれた。ちなみに私は高校で那由多さんの親衛隊長だ。放送部の権限を無限に行使して、昼休みに彼女のCDを流し、そして最大の功績は『夕凪』を合唱コンクールの課題曲にまで持っていったことだ。それはまだ那由多さんに話していない。
それはそうと。
その晩、那由多さんは珍しいことに熱燗を一合頼んだ。杉内さんのお気に入りだったお酒だ。私は素早く一合徳利にお酒を入れて温める。その間に、
――「あのCMの『夕凪』も好きですよ」
そう伝えると、那由多さんは真面目な顔で頷き、消えそうな声で、ありがとう、と答えた。今日の那由多さんは目に見えて元気がない。それはもちろん杉内さんが旅に出たからなのだと私にも分かっていた。
なのでその話は避けようと思っていたのだ。
なのにお母さんときたら、
――「ナオミちゃんは元気に出て行かれたですか」
なんてデリカシーのないことを訊ねる。けれど那由多さんはどこか幸せそうな顔をして、
――「はい。元気に出て行きました」
そう答えていた。その笑顔の訳が分からなかった。
そんな中、十一時過ぎの戸を開けて入ってきたのはラジオで有名な殿村梨花さんだった。いつの間にウチは芸能人の集まる店になったのかしら。
――「日向さん、元気?」
決して元気でないはずの那由多さんは、それでも、
――「ええ。最近にはなかったくらい元気です」
――「寂しくない?」
――「寂しくないことはないです。ただ、自分の好きな人が夢に向かって歩き出したと思えば、それはそれで幸せなものです」
ようやくで熱燗を猪口へ注いだ。殿村さんがビールをグラスに注ぐと、ふたりは控え目に乾杯していた。
――「レーベル、変わると?」
――「ええ……今の事務所では万枚レベルの発注もかけられませんし」
その後、業界の裏話のようなことを話していたふたりに、私の耳はダンボになる。学校では放送部に入り、大学も放送大学を目指そうと思っている私には、彼女らの言葉が気になってしょうがなかった。
三十分経つと那由多さんがやっと熱燗を口にして、そしてふたりの話は続いていた。ただし梨花さんが何か尋ねると那由多さんが十秒黙るという、どうにも先に進まない話のようでもあった。そしてお酒も大して進まず、
――「由美子ちゃんありがとう。お勘定して」
それだけで帰っていった。そのあとは梨花さんがやって来るお客さん皆に絡み出して、私はお酒の注文に追われるだけだった。
私は、いつか恋をするなら、ふたりのような恋をしたかった。那由多さんと杉内さんのことだ。二人は私の憧れだった。少しぶっきらぼうな杉内さんと、それを温かい目で見守っている那由多さん。それはウチのお母さんと、亡くなったお父さんのようでもあった。
長崎から単身博多へやってきた彼を追って、ナスティという事務所に入ったふたり。住むところも同じで路上演奏――那由多さんはストリートという表現が嫌いだった――でお金を稼ぎ、一緒に同じ夢を目指して頑張っていたふたり。なのに、どうして離れ離れの道を選んだのだろう。
つき合っている片方が売れ始めるというのは、嬉しいことじゃないんだろうか。おめでとう、と祝福できないものなのだろうか。いつしかふたりはまるでライバルで、いつしかいがみ合う仲になっていたのだろうか。高校生の私には分からなかった。
そんな那由多さんが東京の会社と契約して博多を離れるという話になったのは、高校のの卒業式の日だった。私にはそれが寂しくて悲しくて辛くてやるせなくて、今こそ応援しなければいけないのに、延々と涙を流して彼女を困らせた。
――「事務所は変わらないですから。また会えますよ」
そう言ってくれた那由多さんは、二カ月後にはテレビに出ていた。それだけでも涙が溢れたけれど、何よりも嬉しかったのは、変わらない彼女の演奏スタイルだった。ステージへ直に座り、マイクを思い切り低くして唄う彼女を見て、変わっていないことが嬉しかった。
また二カ月が経ち、今度こそ大ホールのライブを終えた彼女とまた会うことになるのだけれど、そこにはステージ衣装を脱いでラフな彼女がいた。そして隣に男の人を連れて。
男の人はよく知っていた。昔、彼女さんと仲よく見えられていた仲井間さんだ。杉内さんと来ることもあった。優しくて歌声の甘い、私も大好きな人だった。
なのに私は、
――「那由多さんの隣にいていいとは杉内さんだけやもん!」
と憤慨し、ふたりを追い帰さんばかりの勢いで怒鳴り、逆にお母さんに店を追い出された。だけどそれは私の本気の言葉だった。悔しかったのだ。那由多さんの笑顔に、仲井間さんの変わらぬ素振りに。私は私で大学生なりに、居酒屋へふたりでやって来る男と女というのがどういうものか分かっていたつもりだったから。
家に帰って那由多さんのニューシングル『花束のあとに』のカップリング『友情』を聴いて、何度も泣いた。それは那由多さんの作詞で、
――恋するほどに遠くなる君の声
――広がる過去を両手で掬い
――今は見送るだけの背中に
――心からの友情を My Friend
か細い声のバラードだった。いつか愛した人の幸せを祈り、友達のままでいよう、という曲で、友人の結婚を祝う『花束のあとに』のまさにB‐sideの曲だった。
それがきっと杉内さんへ書いた歌なのだと信じ、また泣いた。私はきっと那由多さんの幸せをジャマしたいんだ。杉内さんへの一途な思いを募らせ、どんどん不幸になってゆく彼女を見ていたいんだ。自分勝手に他人の健気な恋を夢見ていたのだ。そう気づいた時、自分を責めた。
それから一年が過ぎると結局普通の大学生活を送り、私には初めての恋人ができた。どこがいいという訳でもなく、なんとなく一緒にいると楽しい人だった。那由多さんや杉内さんの歌の世界のような激しい気持ちはなかったけれど、こういうものかなと普通の恋愛にしかし日々を埋め尽くしていた。
瞬く間にさらに一年が過ぎ、あの杉内さんが東京でデビューすると聞いた。たまたま博多の事務所に戻っていた那由多さんからだ。彼女が来ていると母から電話で聞いて、取るもの取らず家を飛び出していた。
――「同じ会社なんですか?」
那由多さんはひとりでレモンハイを飲んでいて、
――「違うとこだけどね」
と、それでも晴れやかな顔をしていた。その顔が見たかったのだと、私は二年間のモヤモヤにけりをつけた。好きな相手の幸せを願う、ということはこういうことなんだと胸が熱くなった。
――「彼氏とは仲いい?」
那由多さんに訊かれ、
――「別に……普通です」
という言葉しか出なかったのは、今思えば申し訳なかった。それが六年後、結婚する相手になろうとは思ってもみなかったからだ。
いつの間にかメディア系大学への夢もすり替わり、この人と同じ大学に入れただけでいいという気持ちだけで大学生活を過ごし、就職先は決まらぬまま四年生の後半は母のお店をまた手伝っていた。何せ、ここにいると不意打ちで日向那由多がやって来るのだ。彼にもその話はしていた。
――「ウチはバイト代もよう出せんとやけん。コンビニでもいかんね」
という母の小言を振り切り、私はがんにゃの看板娘の道を選んだ。
別件だが彼の親とはなかなか上手くいっていて、
――「そげんなら卒業したら結婚するね」
と彼の父に言われると、ついその気になって、
――「いいですかね」
と甘い本音を漏らした。彼も就職は内定していて、心に熱く秘めた情熱などなかったけれど、ふたりでちゃんとやっていけると、その時に確信した。
大学卒業後は彼の生活と貯金が落ち着くまでしばらくかかったものの、卒業から三年経つと話はとんとん拍子で進み、彼の両親ががんにゃへ顔を出すと、母は恐縮するばかりだった。仕舞には
――「こげんアホな娘で申し訳なか限りです。いらんようになったらすぐ返してくれて結構です」
と、人を訪問販売の布団扱いしていた。クーリングオフか。
まあ、そういう訳で私は二十五にして結婚が決まった。寒い冬の時期、結納から結婚式の日取りへと話も進み、お互いの友人をリストに上げ、私としては簡素な結婚式でいいつもりだったのを彼の両親が譲らなかった。
――「ひとり娘さんの結婚式ですけん!」
そんな訳で招待状をしたためていた時、ふと思い出すことがあった。あり得ない話なのだけれど、彼女に来てもらえないだろうかという儚い希望だ。彼に言えば笑われると思い、招待状とは別に彼女の事務所へとハガキを送った。
そして三月十八日。土曜日。友引――。
――「由美ちゃん、緊張せんでよかけんね?」
私よりも緊張している義母が、新婦の控室であたふたしていた。私の母は「もっと背中しゃんとせんか!」と檄を飛ばしてばかりだ。
やがてホールには列席者へ向けた会場アナウンスが流れ始め、私たちはお互いの堅苦しいタキシードとドレスに頬を緩め、スタッフの開けた入場口からしずしずと赤い絨毯へ進んだ。大きな拍手と、それからこの曲じゃないと絶対に入場しないと決めていた那由多さんの『花束のあとに』が流れる中、心にじんわりと、ようやく結婚の実感が芽生えてきた。大してカッコよくない、どこか冴えない私の旦那。それでもゆっくりと歩を進める私にはあちこちから祝福の声が飛んでくる。幸せだ。
と、会場の中央に届いた辺りでBGMが切れた。照明も暗くなった。
場内がざわつく中、BGMはまた微かに鳴りだしたのだけれど、様相がおかしい。私たちのひな壇と逆、ステージの方へスポットが当たり、その幕がゆっくりと開き出したのだ。
暗いステージに照明が入る。床に座り込んだような人影が見える。その手はギターを抱えて澄んだ音を奏でていた。曲はもう一度『花束のあとに』の始まりだ。馴染み深いハーモニカの音色もどこからか聴こえてくる。
始まったばかりの披露宴。私は彼の腕にすがって涙をこぼすばかりだった。温かく逞しい腕に、心から「幸せだ」と思えた。この結婚に胸を張ることができるのだった。