ヴ帝国電撃訪問(前編)⑥
「当艦はこれより高高度巡行を開始する。雲を盾にして地上から見えないようにするのだ」
デイル少佐の重みのある言葉に、「ボモンティ」での操縦を買われたおかっぱ髪のハリデ一等兵が「ヨーソロー…」と反応する。上背のあるハリデは、どの操縦席でも窮屈そうに見える。
少し前に艦橋に戻ってきたノラが、展望台から外を眺めているデカに訊いた。
「なんで雲を盾にして隠れるんだい?」
説明しようとしてノラの方を向いたデカが、真っ赤に腫れたノラの頬を見て「ウォッ!」と声を漏らした。
「…どしたんだ、それ? 盛大に張り手の痕が残ってるぞ」
「…まあ、色々あってね……」
偉大なる王女とその後始末は、オン上等兵に押し付けて、癇癪から逃げて来たばかりなのだ。上手く説明できる自信が無かったので、誤魔化す。
「…まあ良いでさぁ。ここら辺は“リットン辺境伯地領”なんですわ」
何か察した顔しながら、デカが下を見下ろす。
“リットン辺境伯領”
大ユピタルは全国津々浦々、全てが内戦状態と言っても過言ではないが、中でも“リットン辺境伯領地”は陰惨な歴史を持つ。
聖戦士のリットン辺境伯は、先の大戦の際に大ユピタルヌス王国から一番離れているにも拘らず、王国への忠誠を保ち続けた。
だがそれが裏目に出て、ヴ帝国が勃興した際に最前線となり、しかも援軍を送る筈の王国が内乱状態となって、その間隙を突いた“アトゥンの火”の軍団からも攻め込まれたのだ。
勇猛を誇るリットン軍とはいえ、両側から攻め込まれてはひとたまりも無く、敢え無く辺境伯領はヴ帝国によって陥落した。
だが、そこからだった。
どちら…とは未だにハッキリしていない……だが、そこで投降した兵士や王どころか、無辜の住民をも手あたり次第に虐殺するというジェノサイド案件が発生したのだ。
リットン辺境伯の住民はアフリカ系の移民であり、見た目で判別しやすいというのも引き金の一つだったかもしれない。兎に角、リットンに住んでいた者の90%近くが虐殺の憂き目にあい、そして歴史の闇の中へと無理やり口封じされた。
そうしてスラムと化したリットン辺境伯領は、ならず者や反政府組織、マフィアの巣窟となっており、例えどこの正規軍艦だろうがノコノコ飛んでいれば、撃ち落とされかねないのだ。
リットン辺境伯領は、大ユピタルの恥部であり、闇の部分である。
都の名を冠して「ポグロム」とも言われているが、彼等はアトゥンの火やヴ帝国だけを恨んでいるのではない。利己的に内輪揉めをして省みなかった他の聖戦士達の国々やひいては、救援を寄越さなかった大ユピタル王国民すべてに呪詛を吐きかける忌地と化したのだ。
パンジール・ウルケーは関係ない…と突っぱねられるほど厚顔無恥でもない。とにかく後ろめたいのだ。だから無政府状態で危険だということを口実に、なるべく見たくないのだ。
それに彼等にとって、パンジール・ウルケーとその他を区別出来る程の分別を持っているべくもない。
「……なるほどね」
やっぱり諍いは良い事なんて何も無い。話を聞いて思ったノラは一つ頷き、懸案中の王女へもう一度詫びに向かう事にした。
「ヘッ、慣れねえ事はするもんじゃねえと思うけどね……」
ノラの背中を見ながら、デカが呟く。
10分後、今度は両の頬をパンパンに腫らしたノラが帰って来るのを見て、遠慮なく爆笑する事になるのだが、それはまた別の話。




