序章ー⑤
案の定、会議は紛糾した。実際、サラーフが聞いても荒唐無稽にしか思えない。
だが、フィデルの鶴の一声で会議は唐突に終了する事になる。
曰く、「では、誰かもっと確実に勝てて、しかもそ損害の少ない作戦があるのなら、今すぐ提示して欲しい!」
敵はもう、本土まで数千リーグ(※1リーグ=約1.8㎞)まで迫ってきているのだ。遅くて数日、早ければ明日にでも先遣隊が到達するだろう。
そんな中で我が軍師様が望むのは、対案ではない。
『他に案が無い中で、参謀総長の意見が通ったという事実』である。これで以降、彼の発言力は絶大なものになる。
とはいえ……
「フィデル参謀、このままでは各将軍の反発を食うぞ!?」
廊下を独り突き進む、従弟へ声を掛けた。だが、当人はどこ吹く風、扇子で口元を隠し不敵に笑った。
「なに、構わんよ。寧ろ、そんな不敬な者を選抜するのに今回の場は相応しかった」
参謀はどうも、軍部の再編すら考えているらしい。
「僕はねえ、サラーフ……」
急に、立ち止まった参謀殿がこっちをいたずらっぽい目で覗き込む。
「“英雄”が欲しいんだ。この国を救うには救国の“英雄”が不可欠なんだよ」
「え…英雄!?」
「そう。君も含めて、僕も含めて。誰でも良い。この事態を逆転させるには、どんな逆境に於いても…いや寧ろ、逆境だからこそ輝く。そんな“英雄”が誕生してほしい。其の為に、この戦争は実験の坩堝とさせて頂く」
「も、もし……英雄が誕生しなかったら?」
すると、再び歩き始めた参謀殿は涼やかに笑う。
「この国は滅ぶだけの話さ」
何て奴を参謀に迎えてしまったんだ……
戦慄が今更背筋を掛けて、冷や汗をかいているサラーフ司令などお構いなしに、フィデルが廊下の先で声を掛けた。
「さあ、マルマラ海の海賊の頭目へ会いに行こう」
「おい、ノラ・シアン。おめえ…“ドン・ボルゾック”の棲み処を知ってるか?」
夜警をしていると、ベシ先任曹長が酒臭い声を掛けてきた。
ドン・ボルゾックとは、マルマラ海を支配している大海賊の頭目だ。
オレ等、ワタリの行商人はその地域、その地域の顔役には一声を掛けるのが習わしだった。そういや、未だしていなかったな……
そんな事をぼんやり考えていたら、ボカリと頬を殴られた。
「どうなんだ、知ってるのか知らねえのか、サッサと答えろウスノロ!」
「は、ハイ! し、知っております!」
「じゃあ今から、てめえが案内しろ。軍のお偉いさんが会いたいんだってよ」
下らねぇ…と呟きながらズルズルと足を牽きずる様に、曹長がそのお偉いさんとやらの所まで向かっていく。
鼻血が出てないかを確認し、慌てて後を追いかける。ぼやぼやしていると、また殴られそうな雰囲気だった。
「君か……ドン・ボルゾックの居場所を知っているという兵士は?」
意外そうな顔をした優男がこっちを見ていた。扇子で顔を隠しているのが、妙にめかし込んでいる風でオカシイ。
「は。オレ…わ、私の名前は……!」
「ああ、良いよ。どうせ……」
ノラ・」シアン二等兵が名乗ろうとした時、優男が軽く手を振った。
「モウスグ、シンジャウンダロウシ」
…うん? このお偉いさんは一体何を言ったんだ?
脳で反芻する間もなく、今どき珍しい車に押し込められ、言われるがまま海賊王の隠れ家へと案内した。
ドン・ボルゾックは数年前に最愛の妻を亡くしてから、毎晩行きつけの酒屋『蝿の王』亭で呑んでいる。
一応は変装してはいるらしい。ただノラですら知っているし、巷間で知らぬ者は居ない。わざわざ道案内をするほどの事でもない。よっぽどこのお偉いさんは世事に疎いのか、パンジール軍の情報能力が低いかのどちらかであろう。
「ああ、君。二等兵かね? ふむ…一階級特進させてやろう」
扇子野郎が近習に手を振ると、汚いようなモノを見るような手つきで、近習達がオレの肩の肩章に星を一つ足した。
「あ、ありがとうございます!」
こんな事で階級が上がるのなら願ったり叶ったりだ。思わず嬉しくてピョコンと頭を下げた。
「ああいや……」
店に入った扇子野郎がまた不可解な言葉を放つ。
「シンダアトデ、オンキュウガスコシデモタカイホウガ、イゾクモヨロコブダロウ……?」
…はて?
意味は分からない。だが、何だか妙に胸騒ぎがした。